頭上から降ってきたのは、大好きで今一番会いたくない人――ルイ君の声だった。
声の限り叫びたい。神様の意地悪ーーーっっっ、と。
ギリギリ、と音が鳴りそうなくらいぎこちない動作で振り返る。
「わー……ルイ君だーーー」
思い切り棒読み。
「今日もいい天気だねえええ……」
ルイ君はちらっと外を見てから私に視線を戻した。
「あぁ、今にも雨が降りそうだがな」
私は心の中で絶叫する。
できることなら、顔に“ムンクの叫び”を貼り付けたい。
なんだろうなんだろうなんだろうっ!?
無表情なのはいつものことだけど、怖いと思うのはどうしてだろう?
本当にルイ君が怒ってるのか、それとも、ただ私が怖いと感じているだけなのか――ひとまず訊いてみることにした。
「な、何か怒ってたりする、かな?」
私の顔は引きつったままだ。
今日一日、自分の行動に問題があったことは自覚している。
でも、それを言うなら――今日はルイ君にまとわりつくことなく過ごしたのだ。
むしろ、いつもよりおとなしくていい子だったのだから、怒られることはないはず……。
捕獲されてるチックなのはなんででしょうか……。
あ、もしかしてバレンタインのチョコをもらってほしい女子たちからまだ逃げてるとか?
キョロキョロとあたりを見回してみたけど、注目は浴びているものの、とくに手にプレゼントらしきものを持ってルイ君を見ている女子はいない。
何、なんなのっ!?
頭は超高速回転でひとつの答えをはじき出した。
「あ――」
もしかして原因は私!?
フリスクケースのクレームですかっ!?
「や、あのね!? フリスクケースにはなーんにも意味ないからっ! 別にバレンタインとかそういうの関係ないからっ。ほらっ、あの日ルイ君のフリスク切っ……れてたっ、しっっっ」
ショート寸前の頭が練り上げた言い訳はきちんと口に伝わらず、最後は舌を噛んでしまう始末だ。
「フリスク食べられないのに丁度あるのか。ほぉ」
ルイ君は、ケースのことではなくフリスクに反応した。
聖のばかぁぁぁっっっ。
ルイ君に、フリスクが苦手なんて話したことはない。きっと聖から得た情報なのだろう。
頼りがいのある聖を今は心底恨めしく思う。
「買い物してるときに気づいたらカゴに入ってただけっ。たぶんっっっ」
威勢よく出て行った最後の一言に愕然とする。
どんな言い訳を口にしても、最後に“たぶん”だけはつけちゃいけなかった。
不出来な自分の口を呪いそう。
恐る恐る長身の王子様を見上げると意外すぎる言葉をかけられた。
「もういいのか?」
何を訊かれたのかはわからなくもない。
ただ、自分の耳を疑った。
確認したくて短く声を発すると、私の聞き間違いではなく、話しは体調のことに移っていた。
襟元を掴まれていたはずなのに、気付けばそれも左腕に移動している。
聖とは違う種の大きな手が、私の腕を掴んでいた。
もうフリスクのことは訊かれない……?
糾弾を逃れ、ほっとした私は腕を気にしつつ答える。
「うん。風邪ひいてもたいていは一日休めば治っちゃうの。便利でしょ?」
顔の筋肉をやっと緩めることができた――そう思ったのは束の間。
ルイ君の口端が引きあがる。
な、何っ!?
「そうか、てっきり知恵熱でも出したかと思ったが」
「ち、知恵熱!?」
「なんだ、違うのか。バカはいつでも熱出すからな」
「……そ、それはれーちゃんのこと?」
私がれーちゃんを“バカ”だと思ってるわけじゃない。
ルイ君が“バカ”扱いするのはれーちゃんに限られると知っての一言。
「いや、一般的にという意味だ。レイはバカを通り越しているから風邪すらひかん」
えぇとえぇとえぇと……。
ルイ君に訊きたい、確かめたい。
私、四足歩行の大型犬から二足歩行の人間に昇格できた……ということでよろしいのでしょうか?
ついでに、連行されてる理由など教えていただけると大変助かりますっ。
ルイ君は私の腕を掴んだまま、一昨日と同じように歩き出したのだ。
「る、ルイくん!? どこ行くのっ!?」
「帰るだけだが?」
平然とした顔で腕を引かれる。
行動以上に返された言葉に驚いた。
驚いた、驚いたのだけども――。
五組の下駄箱まで連れて行かれた私は懇願する。
「あの……靴に履き替えさせていただいてもよろしいでしょうか」
ルイ君は私の足元を見てから、「あぁ」と言った。
*****
靴を履き替えると、すぐそこにルイ君が立っていた。
私が走りよるのを確認すると、ルイ君は先に歩き始める。
その後ろを歩く私の頭には二つの言葉が浮かんだ。
“一緒に帰る”と“連行”。
二つをバランスよく並べてみたけど、軍配があがったのは“連行”だった。
「おい」
「え? な、何っ?」
この状況が何を指しているのかが全くわからないから、声を発するたびにどもってしまう。
どうしてこんな状況になっているのか、フリスクケースの話しに戻されたらどうしようか――。
そんなことばかり考えていると、どうしてもルイ君の言葉をかまえてしまう。
ルイ君は私を見たまま小さくため息をついた。
普通のため息。
いやみっぽくなければ、呆れてるようにも見えない。
次に発した声音は、角がちょこっと取れて少し柔らかくなったように感じた。
「今更だが、予定大丈夫だったか?」
私は首を縦に振ることで問題ないことを伝える。
現状況や意外すぎる会話の連続で、それ以外の行動が取れなかったのだ。
「ならいい」
「――――」
な、ん、で、す、とっ!?
私は絶句する。
歩いている足が止まりそうになるくらいの衝撃を受けた。
だってだってだって、ルイ君……笑顔だったんですけどっ!?
普通に普通に笑顔だったんですけどっ!?
なーーーにーーーっっっ!?
神様っ、これなんの罰ゲームですかっ!?< それともご褒美っ!?
一体なんのっ? 私の幸せ貯金どのくらい減っちゃったんだろう?
昇降場では、バスが出た直後で人は並んでいなかった。
すぐに次のバスが滑り込んできて、先に乗れといわんばかりに促される。
バスに乗ると、一昨日と同じように一番後ろの席を指示され、有無を言わさない態度で窓際へと座らされた。
隣に座ったルイ君は無造作にポケットに手を突っ込み、黒く四角いものを取り出した。
私はそれを見て口を真一文字に引き結ぶ。
“黒く四角いもの”は、私が一昨日押し付けたフリスクケースだったのだ。
嬉しいと感じる気持ちと、その話題が再燃することを危惧する思いがせめぎあう。
でも、ルイ君の手から目を離すことができなかった。
視線に気付いたルイ君が、「あぁ」とそれを私の目の高さまで持ち上げる。
「これ、サンキューな」
そんなふうに言ってもらえるなんて思ってなかった。
不意打ちをくらった私は微妙な言葉しか返せない。
「え、あ、うん。や、え……」
もう、自分が何を話してるのかすらわかってない。
そんな私をルイ君は笑い、あの日私がしたようにフリスクケースをシャカシャカと振ってみせた。
「食うか?」
無理っっっ。
声を発せずとも顔とか目が勝手に答えてたと思う。
自分で感じるくらいには頬が引きつっていた。
「あぁ、おまえ食えないんだったっけか」
ルイ君の意地悪モードにスイッチが入った気がするのは気のせい?
ううん、絶対にカチって音がしたと思う。
「なんで持ってたんだ?」
言葉に詰まって何も答えられずにいると止めを刺される。
「ご丁寧に俺のイニシャル入りだ」
ルイ君の目が、チェックメイト、と言ってる気がした。
言い逃れができないだけじゃない。
ここはバス、左に窓、右にルイ君、前には座席という壁がのっぺりとある。
――逃げ場がない、全くないっ。
私は一瞬にしてコーナーに追い詰められたウサギになった。
何か言わなくちゃ、何かなにナニカ――。
そうは思うものの、スタミナ切れで高速回転思考モードは終了してしまった模様。
けれど、隣から向けられる視線が痛すぎて何か答えなくちゃいけない状況。
「あ、あのねっ!? 駅ビルがピンクで白黒の場所に避難したらそれが置いてあったのっ。店員さんがフリスクケースって教えてくれて、いつもルイ君が持ってるのだって思って、店員さんがイニシャル彫れるって教えてくれて、気付いたらお願いしてたっ。……あっ、でもね、ダブルイニシャルにする? って訊かれたのは断ったんだよっ!?」
一生懸命話したつもりだけど何を口にしたのか、はたまた説明になっていたのか――判断などできない。
頭大混乱で泣きそう。
「ごめん、プレゼントとかじゃないのっ。迷惑だったら本当にごめん。いらなかったら引き取るからっ……」
もうやだ。
このまま終点の駅まで行かなくちゃいけないとか本当にやだ。
……泣きたいのは我慢。とにかく謝ろう。
そう思って一度ぎゅっと目を瞑った。
すると、またしても思いがけない言葉が降ってくる。
「いや、迷惑ではない。ありがとう」
「――え?」
顔を上げ、体ごとルイ君の方を向く。
ルイ君は少し不思議そうな顔をしていた。
「……ほ、んと?」
「あぁ」
その言葉に心底ほっとした。
半泣きで、よかった、とこぼすくらいには――。
私は単純だと思う。
迷惑じゃないと言われたら、涙が引っ込んだ。
学校でルイ君を避ける必要がなくなったのだ。
明日からはいつもどおりに挨拶することができる。
好き、と言うことができる。
それだけわかれば残りの道のりが無言だってかまわない。
たまに鳴るカシャっという音を右耳でキャッチしつつ、私は窓から見える景色を堪能した。
いつもと変わらない風景。あと少しでこの風景を見始めて一年が経つ。
なのに――初めて見る風景のように新鮮な景色として目に映った。
誰より先に聖に伝えたい。
聖、あのね、耳に入ってくる音が全部虹色なの。目に映るものすべてが虹色なの。
すっごくカラフルできれいで――楽しいっ!
Update:2011/12(改稿:2013/08/18)
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