光のもとで

第09章 化学反応 12〜17 Side Akito 03話

 歩いてきたばかりの廊下を戻りエレベーターホールへ向かう。
 こんなにも歩かせて大丈夫だろうか、と不安にはなるものの、彼女の足取りは意外としっかりしたものだった。
 倒れたら抱き上げればいい。そんなことを考えながら十階の話をする。
「翠葉ちゃん、知ってる? 十階は、藤宮の人間か藤宮とごく親しい人間しか入れないって」
 十階は俺が入院したときにも使っていたが、基本は一族専用のVIPフロアだ。特殊な機材を使わない限り、手術もこの階で行える。
 翠葉ちゃんは不安そうに俺を見上げた。
「翠葉ちゃんは俺の大切な人だから」
 にこりと笑って見せると、彼女は唇をきつく引き結ぶ。まるで何かに耐えるように、困惑した様子で。
 エレベーターに乗り込み、顔を近づけると彼女が力んだのがわかった。
「安心して?」
 俺はクスリと笑い、
「エレベーターには監視カメラがついている。そんなところではキスなんてしないよ」
「…………」
「でもね、この階は少し違うんだ」
 エレベーターを降りるように促し、目の前にあるガラス戸に歩みを進める。
 ここは院内一のセキュリティが敷かれている。数々のセキュリティ認証を解除しないと先へは進めないつくり。ガラス戸ひとつとっても防弾ガラス仕様だ。
 セキュリティを解除していくごとに、彼女の身体はどんどん強張っていく。それは身体だけではなく表情も何もかも。

 ここは人を守ることに的しているが、それはつまり、軟禁にも適した場所ということ。
「そこが警備員が詰める部屋。そしてここがナースセンターの代わりになる場所。翠葉ちゃんの使う部屋は現会長が奥さんのために改装した部屋だ」
 そんなふうに、ところどころにある部屋を説明しながら歩き、とあるドアの前で足を止める。
 ドアを開き中へ入れると、彼女はいつものように部屋の観察を始めた。
 きっと彼女にはわかるだろう。ここにある家具がどれもオーダーメイドであることは。
 そしてここは、LDR(Labor Delivery Recovery)――出産の際には分娩室に早変わりするシステムを備えた部屋でもある。
 通常のクローゼットもあるが、ほかにも家具の様相をしているものの中には医療器具が内臓されている。
「あのっ……」
「何?」
 突如彼女が慌てだす。今度はきちんと目が合った。
「私、九階の病室がいいですっ……」
「九階で受けられる治療ならここでも受けられるよ。この階には手術室だってあるんだ」
「そうじゃなくてっ……」
 差額ベッド代や特別室使用料のことかな。
「あぁ、個室の金額とか気にしなくていいよ」
 そんな話は取り付けていないが、彼女はじーさんのお気に入りのようだし、問題はないだろう。
 どうやっても覆ることはないと諦めたのか、俺を見ていた顔が下を向く。
「この部屋ならネットも使えるし携帯の電波も入る。見てごらん?」
 彼女が手に持ったままの携帯を取り上げ、「ほらね」と電波マークを見せてあげる。
「そういうのが許可されている部屋なんだ。悪くはないでしょ?」
 彼女は悲痛そうな顔をした。
「そんなに困ることじゃないと思うけど?」
 そんな彼女を見ていられず、
「さ、ベッドに横になって」
 彼女がベッドに腰掛けたそのとき、俺の心に冷徹という仮面の装着が終わった。
「俺の母親も司たちの母親も、この部屋で出産したんだよ。帝王切開にならない限り、この部屋で産むことができる。そういう設備が整えられている。……いつか、翠葉ちゃんがこの部屋を使うことになると嬉しいね。もちろん、俺の子どもを産むために」
 自然と身体が動き、彼女の、血色の悪い唇に自分のそれを重ねる。
「まだ足りない……」
 それは本音――でも、こんなキスがしたいわけじゃなかった。
 まだどこかで葛藤している自分を見つけたとき、こちらに向かってくる足音が聞こえてきた。
 あぁ、あの人だ。
「御園生さん、あの荷物を全部運ぶのにはちょっと時間がかかるから明日にするわ。とりあえず、これだけあれば大丈夫かと思って」
 藤原さんは彼女の小さなバッグを手にしていた。
「それから」と、俺と彼女の間に割り入り彼女の隣に腰掛ける。
「私が使っている部屋、この隣なの」
 悠然と微笑む。その様は、俺を挑発しているようにも見えた。
「だから、何があっても大丈夫よ。秋斗くんも安心でしょう?」
 これは間違いなく俺に向けられた牽制――。
「……そうでしたか」
「えぇ。さ、御園生さんは寝る前の薬を飲みましょう」
 ポケットからピルケースを取り出すと、
「あら、お水を持ってくるの忘れちゃったわ。秋斗くん、持ってきてくれるかしら?」
 計算づく、か――。
「えぇ、喜んで」
 俺は笑顔で引き受け病室を出た。
 じーさんの専属がここに配属されていることは知らなかった。――いや、知らされていなかった、の間違いか? けど、あの人がついているなら安心だ。それはどんな意味でも……。
 俺の理性が抑えられなくなっても、あの人なら難なく邪魔をしてくれるだろう。そういう意味では計算外でも良かったと思える。

「翠葉ちゃん、お水持ってきたよ」
 彼女は藤原さんに抱きかかえられるようにして座っていた。
「ありがとう」
 藤原さんにグラスをテーブルに置くように指示される。
「彼女、どうかしました……?」
「入院してからずっとなのよ。夜の病院ってあまり気味のいいものじゃないでしょ? それでこの時間には情緒不安定になるの。大丈夫よ、いつものことだから」
「……翠葉ちゃん?」
 彼女の身体がビクリ、と反応する。
 ……あぁ、そうか。これもカモフラージュだ。
 彼女が怖がっているのは夜の病院ではなく、俺、だ――。
「ごめ、なさい……」
 切れ切れに聞こえる彼女の声。泣くことを必死で我慢していることがわかる。
「……俺が聞きたいのはそんな言葉じゃないけどね」
 本当はこんな言葉を言いたいわけでもないけど、今の俺はこうあるべきだろう。
「私の患者をいじめないでくれるかしら?」
「いいでしょう。今日のところはあなたに任せます。……また、明日来るからね」
 そう言って部屋を出た。

 脱力したい自分を奮い立たせ、車まで戻る。
 熟睡して夕飯を食べてから来たはずなのに、身体はヘトヘトだ。
 身体がというよりは、気力が、かな――。でも、こんな日はまだ少し続く。
「翠葉ちゃん……悪いけど、少しだけ耐えてくれ――」
 それで「償い」は終わるから。
 エンジンをかけ車を発進させる。
 免停になってもいいから、出せる限りのスピードを出したい気分だった。



Update:2010/05/01  改稿:2015/07/20



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