光のもとで

第09章 化学反応 12〜17 Side Akito 02話

「はい」
『あ――あの、……あの』
 耳に響くのは大好きな女の子の声。
 久しぶりだ……。
 緩みきりそうになる自分を心から閉め出す。
「翠葉ちゃん?」
『はい……』
 今にも消えてしまいそうな声が返ってきた。
『秋斗さんっ、あの……』
「うん」
 緊張と不安、それらを教える彼女の息遣いまでもが携帯から聞こえてくる。
『あのっ、明日――少しでもいいのでお時間をいただけませんかっ?』
 言えた、という彼女の気持ちもすべて筒抜け。
『ちゃんと……ちゃんと会って謝りたくて……』
 目を瞑って両手で携帯を握りしめている彼女が容易く想像できた。
「そう、いいよ」
 彼女の緊張は解けないまま――。
 悪い、こんな方法しか思いつかなくて。
「謝りたいってことはさ、俺に悪いことをしたと思ってるんだよね?」
 ゴクリ、と唾を飲む音まで聞こえた気がする。
『はい。とてもひどいことをしたと……傷つけてしまったと思っています』
 ……確かに俺は傷ついた。けど、君はそれ以上に傷ついただろう?
 君のこと、少しだけならわかるんだ。ずっと見てきて、ずっと君のことだけを考えてきたのだから。
 簡単に許したところで君は俺に対する遠慮が抜けなくなるよね。それなら、そんな棘――いや、毒、かな。そんなものは早くに出してしまったほうがいいんだ。だから――。
「許さない……」
 俺の言葉に目の前の司が目を見開いた。
 悪いな、司……。
 彼女に言った言葉に対してじゃない。おまえには悪いと思っていないことに、悪い、と思う。
 俺は司の目を見ながら言い放つ。
「俺を傷つけたと思うなら、その傷は翠葉ちゃんが癒して? ……今から、行くね」
 通話を切ると、
「秋兄っ!?」
「そういうことで、俺今から病院へ行くから」
 玄関から出ていくように視線を投げると、
「翠がどんな思いで電話してきたと思ってるっ!?」
 そんなこと知ってる。嫌というほどに。
「だから? なら、その気持ちを利用してでも俺は彼女を手に入れたいかな」
「っ……」
「俺、急いでるんだけど」
 そう言うと、司は飛び出すように玄関を出ていった。
 玄関のドアが閉まり、「悪い」と漏らす。
 ほかの方法が見つからなかったんだ。

 簡単に身だしなみを整えると、車のキーを持って家を出た。
 エレベーターを呼びながらじーさんに電話をする。
 つながるかはわからなかった。しかし、三コールめでじーさんの声が聞こえてきた。
『秋斗から電話とは珍しいのぉ』
「じーさん、頼みがある」
『なんぞ? 秋斗からの頼みなぞ、気持ちが悪くて仕方がない』
「俺の好きな子、朗元のカップが好きな子が藤宮病院に入院している。十階の部屋を使わせてほしい」
『ほほぉ……そんなに彼女が大切かの?』
 のんきな返事は俺のことを面白がっているような響きをしていた。
「許可、下りるの下りないの?」
『わしのファン一号さんじゃからの。良い良い、第二を使うと良いじゃろ』
「ありがとう」
『じゃが、静の関係で使う人間がいないかの確認はしておくべきじゃな』
「了解。すぐに確認取る」
 通話を切り、静さんにかけ直す。
『秋斗から電話だなんて珍しいな』
 じーさんも静さんも、第一声が同じなのってどうなの……。
「翠葉ちゃんを十階へ移動させたいんですけど、使う予定ありますか? じーさんの許可は得ています」
『いや、今のところはないが……。秋斗、どうかしたのか?』
「いえ、別に。翠葉ちゃんから連絡があって、ようやく会ってもらえるようなので、今からいってきます」
 それだけ伝えて通話を切った。

 車に乗り込み、今後の対応を考える。どう責めたらいいだろうか、と。
 傷を癒せ、とは言った。けど、彼女ならそれをどう受け止めるか――。
「人身御供だな……」
 しばらく彼女に恋人になってもらおう。
 拘束して罪を償ってもらう。そんな時間は短期間でいい。罪を償ってもらったら開放する。
「……それで、俺は彼女ともとの関係に戻れるのか?」
 それすら怪しい。けれど、今の状況で許したところで、彼女は俺に対する遠慮が抜けなくなる。
 よそよそしい態度を延々と続けられるほうが地獄だ……。
 好きになってほしい――でも、嫌われてもいいから自分を責め続けないでほしい。なら、あんなことで傷つく自分ではないと言い切ればよかっただろうか。しかし、現に俺はそうとは言えない顔を彼女に晒してしまった。
 髪を切られたとき、咄嗟にここまで考えることはできなかった。
「くそ……」
 どうしてこんなときにこんな方法しか思いつかないんだ。
 車のエンジンを一度切り、静寂に身を委ねる。目を瞑り深呼吸をひとつ――。
「冷徹になれ……」
 そう、自分に言い聞かせる。
 彼女に甘い自分を追い出すんだ。今の彼女には冷たいくらいの自分でちょうどいい。
 そこまで考えをまとめてから目を開ける。
 今は確かに夜だが、目に入る何もかもがグレーがかって見えるのは、夜だから、というわけではないのだろう。何かフィルターがかかっているような気がする。

 病院へ着き車を停めると警備室の人間には軽く会釈をされる。
 九階まで上がり彼女のいる部屋へ向かおうと思ったが、何かが気になり病室がある方とは反対に目を向ける。と、廊下の突き当たりに彼女がいるのが確認できた。
 ソファに座った彼女はピクリとも動かない。
「翠葉ちゃん」
 俺の声に、彼女の身体が跳ね上がる。
 恐る恐る――そんな感じでこちらを振り向いた。
「あき、と、さん……」
 声が震えていた。
「ずっとここにいたの?」
「……はい」
 夏とはいえ、こんなところにずっといたら冷えるじゃないか……。
 冷徹になりきれていない自分に舌打ちをしたい気分だ。
 彼女はというと、ソファの真横に立ち背もたれに掴まった状態で頭を下げる。
「ひどいことをして、ごめんなさい……」
 ――冷たくなれ。償いを求めろ、彼女を責めるんだ――。
「俺の傷はさ、そんなことじゃ癒えないんだよね」
 彼女に近づき腰をかがめる。
 ふいに顔を上げた彼女の唇を奪った。もう、どっちの自分なのかがわからない。
 キスはしたかった。ずっとキスをしたいと、この手に抱きしめたいと思っていた。
 驚いて口を押さえる彼女に俺が言い放った言葉は、
「また俺の彼女になって。で、俺の傷を癒して」
 何も答えられない彼女に、
「今のキスは軽いほうでしょ? もっと濃厚なキスだってしたことあるでしょ」
 そう淡々と口にして肩を抱く。
「院内は空調がきいているから、ずっとここにいるのは寒いよ」
 ルームウェア越しでもわかる。彼女の身体は冷えている。
 点滴スタンドを押しながらナースセンターに向かって歩くと、
「あら、珍しいお客様ね? 来るのは明日じゃなかったかしら?」
 藤原清良――この人がここにいるのは想定外だった。
 じーさんの専属医師がどうしてここに……?
「どうかした?」
 藤原さんが彼女に声をかけると、彼女は一瞬顔を上げ、即座に首を横に振った。
「会長と静さんの許可を得たので、彼女の病室を十階に移します」
「あら、そうなの? どの部屋を使のか聞いているかしら?」
「第二病室です」
「じゃ、私は荷物を持っていくから御園生さんと先に行っていてもらえる?」
「はい。じゃ、行こうか」
 俺は彼女の顔を覗き込む。彼女が苦手な笑顔を貼り付けて。
 けれど、彼女と視線が交わることはなかった。俺の顔を見ているのに視線は合わない。
 俺のこと、怖いと思っているんだろうな。でも、自分が悪いことをしたから耐えなくてはいけない、そう思っている。
 ……そうだよ。それが「償い」だ。
 一定期間でいいから耐えてくれ。そしたら「償い」は終わる。
 それまでは側にいさせてほしい――。



Update:2010/05/01  改稿:2015/07/20



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