『あ――あの、……あの』
耳に響くのは大好きな女の子の声。
久しぶりだ……。
緩みきりそうになる自分を心から閉め出す。
「翠葉ちゃん?」
『はい……』
今にも消えてしまいそうな声が返ってきた。
『秋斗さんっ、あの……』
「うん」
緊張と不安、それらを教える彼女の息遣いまでもが携帯から聞こえてくる。
『あのっ、明日――少しでもいいのでお時間をいただけませんかっ?』
言えた、という彼女の気持ちもすべて筒抜け。
『ちゃんと……ちゃんと会って謝りたくて……』
目を瞑って両手で携帯を握りしめている彼女が容易く想像できた。
「そう、いいよ」
彼女の緊張は解けないまま――。
悪い、こんな方法しか思いつかなくて。
「謝りたいってことはさ、俺に悪いことをしたと思ってるんだよね?」
ゴクリ、と唾を飲む音まで聞こえた気がする。
『はい。とてもひどいことをしたと……傷つけてしまったと思っています』
……確かに俺は傷ついた。けど、君はそれ以上に傷ついただろう?
君のこと、少しだけならわかるんだ。ずっと見てきて、ずっと君のことだけを考えてきたのだから。
簡単に許したところで君は俺に対する遠慮が抜けなくなるよね。それなら、そんな棘――いや、毒、かな。そんなものは早くに出してしまったほうがいいんだ。だから――。
「許さない……」
俺の言葉に目の前の司が目を見開いた。
悪いな、司……。
彼女に言った言葉に対してじゃない。おまえには悪いと思っていないことに、悪い、と思う。
俺は司の目を見ながら言い放つ。
「俺を傷つけたと思うなら、その傷は翠葉ちゃんが癒して? ……今から、行くね」
通話を切ると、
「秋兄っ!?」
「そういうことで、俺今から病院へ行くから」
玄関から出ていくように視線を投げると、
「翠がどんな思いで電話してきたと思ってるっ!?」
そんなこと知ってる。嫌というほどに。
「だから? なら、その気持ちを利用してでも俺は彼女を手に入れたいかな」
「っ……」
「俺、急いでるんだけど」
そう言うと、司は飛び出すように玄関を出ていった。
玄関のドアが閉まり、「悪い」と漏らす。
ほかの方法が見つからなかったんだ。
簡単に身だしなみを整えると、車のキーを持って家を出た。
エレベーターを呼びながらじーさんに電話をする。
つながるかはわからなかった。しかし、三コールめでじーさんの声が聞こえてきた。
『秋斗から電話とは珍しいのぉ』
「じーさん、頼みがある」
『なんぞ? 秋斗からの頼みなぞ、気持ちが悪くて仕方がない』
「俺の好きな子、朗元のカップが好きな子が藤宮病院に入院している。十階の部屋を使わせてほしい」
『ほほぉ……そんなに彼女が大切かの?』
のんきな返事は俺のことを面白がっているような響きをしていた。
「許可、下りるの下りないの?」
『わしのファン一号さんじゃからの。良い良い、第二を使うと良いじゃろ』
「ありがとう」
『じゃが、静の関係で使う人間がいないかの確認はしておくべきじゃな』
「了解。すぐに確認取る」
通話を切り、静さんにかけ直す。
『秋斗から電話だなんて珍しいな』
じーさんも静さんも、第一声が同じなのってどうなの……。
「翠葉ちゃんを十階へ移動させたいんですけど、使う予定ありますか? じーさんの許可は得ています」
『いや、今のところはないが……。秋斗、どうかしたのか?』
「いえ、別に。翠葉ちゃんから連絡があって、ようやく会ってもらえるようなので、今からいってきます」
それだけ伝えて通話を切った。
車に乗り込み、今後の対応を考える。どう責めたらいいだろうか、と。
傷を癒せ、とは言った。けど、彼女ならそれをどう受け止めるか――。
「人身御供だな……」
しばらく彼女に恋人になってもらおう。
拘束して罪を償ってもらう。そんな時間は短期間でいい。罪を償ってもらったら開放する。
「……それで、俺は彼女ともとの関係に戻れるのか?」
それすら怪しい。けれど、今の状況で許したところで、彼女は俺に対する遠慮が抜けなくなる。
よそよそしい態度を延々と続けられるほうが地獄だ……。
好きになってほしい――でも、嫌われてもいいから自分を責め続けないでほしい。なら、あんなことで傷つく自分ではないと言い切ればよかっただろうか。しかし、現に俺はそうとは言えない顔を彼女に晒してしまった。
髪を切られたとき、咄嗟にここまで考えることはできなかった。
「くそ……」
どうしてこんなときにこんな方法しか思いつかないんだ。
車のエンジンを一度切り、静寂に身を委ねる。目を瞑り深呼吸をひとつ――。
「冷徹になれ……」
そう、自分に言い聞かせる。
彼女に甘い自分を追い出すんだ。今の彼女には冷たいくらいの自分でちょうどいい。
そこまで考えをまとめてから目を開ける。
今は確かに夜だが、目に入る何もかもがグレーがかって見えるのは、夜だから、というわけではないのだろう。何かフィルターがかかっているような気がする。
病院へ着き車を停めると警備室の人間には軽く会釈をされる。
九階まで上がり彼女のいる部屋へ向かおうと思ったが、何かが気になり病室がある方とは反対に目を向ける。と、廊下の突き当たりに彼女がいるのが確認できた。
ソファに座った彼女はピクリとも動かない。
「翠葉ちゃん」
俺の声に、彼女の身体が跳ね上がる。
恐る恐る――そんな感じでこちらを振り向いた。
「あき、と、さん……」
声が震えていた。
「ずっとここにいたの?」
「……はい」
夏とはいえ、こんなところにずっといたら冷えるじゃないか……。
冷徹になりきれていない自分に舌打ちをしたい気分だ。
彼女はというと、ソファの真横に立ち背もたれに掴まった状態で頭を下げる。
「ひどいことをして、ごめんなさい……」
――冷たくなれ。償いを求めろ、彼女を責めるんだ――。
「俺の傷はさ、そんなことじゃ癒えないんだよね」
彼女に近づき腰をかがめる。
ふいに顔を上げた彼女の唇を奪った。もう、どっちの自分なのかがわからない。
キスはしたかった。ずっとキスをしたいと、この手に抱きしめたいと思っていた。
驚いて口を押さえる彼女に俺が言い放った言葉は、
「また俺の彼女になって。で、俺の傷を癒して」
何も答えられない彼女に、
「今のキスは軽いほうでしょ? もっと濃厚なキスだってしたことあるでしょ」
そう淡々と口にして肩を抱く。
「院内は空調がきいているから、ずっとここにいるのは寒いよ」
ルームウェア越しでもわかる。彼女の身体は冷えている。
点滴スタンドを押しながらナースセンターに向かって歩くと、
「あら、珍しいお客様ね? 来るのは明日じゃなかったかしら?」
藤原清良――この人がここにいるのは想定外だった。
じーさんの専属医師がどうしてここに……?
「どうかした?」
藤原さんが彼女に声をかけると、彼女は一瞬顔を上げ、即座に首を横に振った。
「会長と静さんの許可を得たので、彼女の病室を十階に移します」
「あら、そうなの? どの部屋を使のか聞いているかしら?」
「第二病室です」
「じゃ、私は荷物を持っていくから御園生さんと先に行っていてもらえる?」
「はい。じゃ、行こうか」
俺は彼女の顔を覗き込む。彼女が苦手な笑顔を貼り付けて。
けれど、彼女と視線が交わることはなかった。俺の顔を見ているのに視線は合わない。
俺のこと、怖いと思っているんだろうな。でも、自分が悪いことをしたから耐えなくてはいけない、そう思っている。
……そうだよ。それが「償い」だ。
一定期間でいいから耐えてくれ。そしたら「償い」は終わる。
それまでは側にいさせてほしい――。
Update:2010/05/01 改稿:2015/07/20
ネット小説の人気投票です。投票していただけると励みになります。
↓コメント書けます*↓