光のもとで

第14章 三叉路 49〜53 Side Tsukasa 02話

 翠を腕の中に閉じ込めた。 
 どこにも行けないよう、文字どおり、閉じ込めた。
 こんなふうに接するのは、移動目的を除けば過去に四回だと思う。
 四月、仮眠室に篭った翠が今にも泣きそうで思わず抱きしめた。
 それから、十月の中間考査前。
 ゲストルームで泣き崩れていた翠に縋られたときと紅葉祭二日目、後夜祭のときと打ち上げの帰り道。
 あぁ、五回か……。
 記憶をなくす直前も、翠は俺の腕の中にいた。
 今はそのどれとも違う気持ちで抱きしめている。
 縋られているわけでも支えるためでもなく、不安定な自分が形ある確かなものを感じていたいがためだけに。
 翠は抱き寄せた際にバランスを崩したまま俺に体重を預けていた。
 声をあげたり身体を離そうとする一切の動きが見られない。
 これだけ密着していれば俺の鼓動の速さはばれているも同然。
 ……まさか、反応がないんじゃなくて、心音に絶句されてたりするのだろうか。
 顔が一気に熱を帯びる。
「翠」
 咄嗟に名前を呼んだけど、あとに続く言葉はない。
「ツ、カサ……?」
 翠はぎこちなく声を発し、首を動かそうとしているのが感じられた。
 さっきから何度となく顔を見たいといわれているし、今も実行に移そうとしているのだろう。
 俺は腕に力をこめることで却下する。
 格好悪い自分を見せることと引き換えに翠を得られるのなら――と思った割に、存外往生際が悪い。
 しかし、何も説明をしないというのは気が引けて、端的な補足をした。
「悪いけど、今顔は見られたくない」
「……どうして?」
「……目が充血してる」
「……暗いところじゃ充血までは見えないと思う」
「それでも気分的に許容できない」
 目の充血だけならいくらでも言い訳のしようがある。
 けど、赤面に関しては言い訳がすぐに思いつかなかった。
「顔を見なければいいの?」
 見られなければいい、というのならそのとおりだが……。
 腕の中にいる翠を、このぬくもりを手放したくないという気持ちが強い。
 どう答えるべきか悩んでいると、奇妙な提案をされた。
「ツカサ、背中合わせじゃだめ……?」
「背中合わせ……?」
「うん……この体勢で話すのはちょっとつらい」
「……別に話さなくていいけど」
「……話をするためにここに来たんだもの」
 一瞬の沈黙が流れ、
「俺の話、聞いててくれるだけでいいんだけど」
「……話してくれるの?」
 尋ねられて疑問が浮上する。
 一見して会話が成り立っているように見えるが、実際に内容は合致しているのだろうか……。
「ツカサ、許してくれるの?」
 不安そうな声で訊かれた。
 俺は小さく息を吐き出す。
「謝らなくちゃいけないのは俺で、翠が謝る必要はない」
 翠が謝ることなどひとつもない。
 俺がうまく動けていたら翠を傷つけることも、翠に腹を立てることもなかった。
「ちょっと待ってっ!?」
 翠が身体を捻ろうとしているのがわかった。
 腕に力をこめ、そんな動作は即刻拒否。
「却下、こっち見るな」
「ツカサ……本当にごめん。身体、体重のかかっている場所が痛いの」
「っ、悪い」
 そこまでは頭が回っていなくて、瞬時に腕の力を緩める。
 それでも、腕の中から出すわけにはいかない。
 結果、翠は俺の膝の内で廊下の方を見て座る姿勢に落ち着いた。
「痛みは……?」
 目の前にある翠の後頭部に問いかけると、
「これなら大丈夫……」
 前方に放たれた言葉は、翠の身体を通して俺の腕に響いた。
 俺は腹を括り、今回じーさんに課されたものを翠に話した。

「最初から翠に話していれば良かったんだ。そしたら、携帯が池に落ちても翠が傷つくことはなかった」
 俺が選択を誤らなければもっと違う展開になっていただろう。
「もしも」という言葉は事象前と事象後では大きく異なる。
 事象前は「仮定」。事象後は「後悔」。
 シミュレーションゲームなら、仮定しきれなかった自分のミス、と潔く認めることができる。
 が、今回のこれは――
「あのね、私、さっきお母さんに言われたの」
 翠がポツリポツリと話し始めた。
「何も間違わずに、一度も誤解することなく人生を歩める人なんているのか……。きっとそんな人はいないって……。いたとしても、そんな人生は小さくて狭くてつまらないものだって……」
「小さくて狭い」という言葉が痛かった。 
 俺は、「藤宮」という世界でしか生きておらず、その中にしか存在していないのだろう。
 箱庭にいるのは俺だ――
「間違いを犯すから人間で、間違いを認められるから、改められるから人間なんだって」
 一般論としては認めることができる。けど、自分に適用できるか、というなら否。
 学校のテストも何もかも、「正解」以外を求められることはなかったし、「正解」以外を求めようとも思わなかった。
 そんな俺が急に「不正解」を受け入れられるわけがない。
「今回のこれは……もっとよく考えれば避けられたはずだ」
 この言葉に尽きる。
「私も……もっと考えて、もっと周りをよく見て、人と話したことも全部覚えていたら、瞬時に思い出せていたら、あんな言葉をツカサに言わなかった。……でも、言っちゃった。絶対に言っちゃいけない言葉だったのに、言っちゃった。言ったあとで気づいた。私のそれとツカサのこれは何が違うの?」
 何が違う……?
 訊かれてもすぐに答えられる言葉は持ち合わせていない。
「ツカサが自分を許さないのなら、ツカサが私を許してくれても私は自分を許せない。ツカサは許されたいと思ってる? 私は許してほしくてここに来たんだよ?」
 どうして――どうして翠はいつも真ん中に飛び込んでくるのだろう。
 重心のバランスがひどく悪いと思っていても、弓を持たせると真っ直ぐ矢を放つ。
 そんな感じ。
 翠の言葉を受け止めるたびに、自分を覆っている皮膜が剥がされる気がした。
「俺が怒っていたのは――翠が自分の身体よりも携帯を優先したからだ」
 でも、のちにそれがものすごく嬉しかったとは言えない。
「……だって、大切なものなんだもの。ダミーにすり替えられていたのなんて知らなかったし、何よりも――データは単なるデータじゃないんだよ? 友達や家族、ツカサとのやり取りも全部残ってる。録音された声は、あの日あのときのツカサのもので、それに代わるものなんてないんだよ?」
 わかっていても、実際に口にされるといらっとする。
 そんなのは記録にすぎない。
 記録じゃなくて、生身の俺を見ろよっ。
 そうは思っても口にすることはできなくて、苛立ったまま言葉を返した。
「だからっ――俺が最初から話していればよかったって話だろっ!? 俺が事情を説明してさえいればあんなことにはならなかったし、俺が翠に腹を立てることもなかったわけでっ」
「そんなの、もう起こっちゃったんだから仕方ないじゃないっ」
 翠は身も蓋もないことを言い、俺の拘束を解き振り返った。
「見るなっ」
 顔を背けたが、それは無駄に終わる。
 痛い、と思うくらいに両頬を摘まれ引っ張られた。
「わからずやっ」
 言われるが先か、翠の手を払ったのが先か、俺は即座に反応する。
「誰がっ」
「ツカサしかいないでしょっ!?」
「俺より翠だろっ!?」
「どっちもどっちじゃないっ。だから、わからずやって言ってるのにっ」
 俺を真っ直ぐに見る目からポロリと涙が零れた。
 なんで泣くんだよっ。泣きたいのはこっちだ――
「私はっ――許してほしくてここに来たのっ。なのに、どうしてあんなこと言うのっ!?」
 あんなこと……?
 自分が何を喋り、そのどれを指されているのかなど、察することはもうできない。
「簡単に答え出していいのか、って訊いたじゃないっ。私、もう一度選択する機会なんていらないっ。そんな機会、何度あっても答えは変わらないっ。ツカサのおじいさんにもそう伝えてっ」
 またしても急所をつかれた気分だった。
 今、俺が一番恐れているもの――それは「選択」の答え。
「静さんに選択を迫られたとき、すごく動揺した。でも、ちゃんと考えて出した答えなんだからっ。そっちこそ、そんなこと簡単に言わないでっ。二度と変な選択突きつけないでっ」
 顔を付き合わせた状態で怒鳴られた。
 強い光を湛えた目はしだいに揺らぎ始める。
「誤解したら解けばいいって教えてくれたのツカサなんだからね? ちゃんとお手本見せてよ……」
 自信のない声に、やっぱり俺は翠と変わらないのだと改めて思う。
 翠と俺は変わらない。対人スキルが幼児並み――
「何か言ってよ……」
 言えることなど数個しか思いつかない。
 謝るときの定番といえば、「ごめんなさい」「すみません」「申し訳ございません」。
 俺はそのどれでもない言葉を口にした。
「悪い……」
「謝られたいわけじゃないんだけど……」
 不服そうな目で見られても、
「じゃぁ、どうすればいい?」
 悪いけど、俺、この先どうしたらいいのか全然わかってないから。
 話の舵は取れそうにない。
「ねぇ、仲直りってどうやってするの?」
 見上げる瞳に訊かれた。
 俺は、「知らない」とは答えたくなくて無言を通す。
「ツカサも知らない?」
「……知ってたら困ってない」
「蒼兄が唯兄に訊いてもいい?」
「却下」
 いい加減、困ったときに兄ふたりを持ち出すのはやめてくれないか。
「じゃ、久先輩」
「…………」
「無言は肯定なのでしょう?」
 答えを知りたいという気持ちは俺にもあって、翠の提案すべてを却下することはできなかった。



Update:2012/06/18  改稿:2017/07/19



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