チケットを買ったあとに思い出す。今日見る映画は洋画だ。ということは――。
「レイさん、言うの忘れてたんだけど……」
「何?」
「日本の映画って、日本語吹き替え版か日本語字幕しか放映されないんだよね……」
「……なんですって?」
「だからどうがんばっても字幕版になっちゃうんだけど、観る映画変える?」
「映画変えるとしてもどうせアニメとかでしょ?」
「アニメじゃないけど邦画オンリー」
「まぁ、そういうことになるわよね」
「どうする?」
とはいえ、邦画もほかの二作品はこの春休み中に観てしまったため、残っているものはあまり観たいと思う映画ではない。なんて究極の選択……。
レイさんの判断を待っていると、
「まぁ、今回見る映画はハリウッド製作だから字幕でいいわよ。聖のヒアリングにも向いてるんじゃない?」
「そうだね、アクションものだしね」
「そうねー、じゃぁ聖はできるだけ字幕を見ないようにしてみたらどうかしら?」
「えぇっ!? それはさすがに無理……」
「そ? 私の早口英語も最近聞き取れるようになってきてない?」
「レイさんのは発音に癖がないからだよ」
「なら大丈夫よ。約一名だけ癖のある喋り方する俳優がいるけど、さほど問題ではないわ」
「そういう問題?」
「そういう問題」
確かに、立川とレイさんの会話を聞くのはだいぶ慣れてきた。家でDVDを見ていても補助的に字幕を見る程度にはなったというか……。ただ、アクション映画のスピードに乗られてしまうといかがなものかな……。
発券が済むと、開場時間までショッピングモールをぶらつく。
何度か一緒に来たショッピングモールなだけに、互いがどのショップを気にしているのかは多少なりともわかる感じ。
「聖っていつも洋服どうやって買うの?」
「んー、大抵は柊と一緒に買い物行くかなぁ?」
「コーディネイトとかは?」
「好きなものとか着たいものを買う感じ?」
「あぁ、だからか」
「色が暗いって?」
「あら、わかった?」
「家族みんなに言われてるから、さすがにね」
「まぁ、見事にモノトーンだもんねぇ?」
彼女は俺の服装を上から下まで観察するようにじっと見る。
今日はチャコールグレーのチノパンにお気に入りの皮靴。白のボタンダウンシャツに薄いグレーのニットを着て、その上に黒いジャケットを着ていた。
「何かひとつでも色物を足せばいいのに」というのは柊の口癖。
柊と一緒に出かけるときは何かしら色物を足される。もしくは、出かけた先で買われて足される。
つまり、人の介入なくして俺に色ものなし……といった感じだ。
彼女は未だ俺の服装を見て唸っているが、そんな唸るほどの格好はしていないわけで……。
いや、可もなく不可もなく、と思っているのは俺だけなんだろうか……。
若干不安を感じ始めた頃、レイさんがポツリと何かを呟いた。
聞き取れなかった俺はすぐに訊き返したものの、「なんでもない」と一蹴されてしまった。
そこで今度は俺が彼女に話を振る。
「そういうレイさんは? 今日もすごくかわいい格好だし」
「あら、ありがとう。私は私に似合うものを選んで買うわね。長袖に関しては日本のだと短いから探すの大変だけど」
「あー、なるほど。規格が違うんだよね。そこは俺も同じかなぁ」
「まぁ確かに規格外の身長だものね」
「柊の栄養分もらっちゃったらしいからね」
「ふふふ、それ柊が言ってるものね」
「そう。そんなこと言われても困るんだけどね」
「柊らしくてかわいいじゃない」
「俺もそう思う」
こんなふうに彼女と雑談をしながら話す時間は和やかで心地のいいものだった。
時折見せる表情は芸術家そのもの。パッと目を引くショウウィンドウを見ては、少し離れたところからじっと見る。時間はさほどかからない。数秒で歩きだすこともあれば数十秒かかることもある。その程度。
何をしているのか訊くと、配色バランスを見ていると言っていた。そんなことを繰り返していると、
「ねぇ聖、ちょっと化粧室行ってくるわ」
「あぁ、うん。トイレどこにあったっけ?」
「すぐそこだから、そこらへんで時間潰してて」
「行かなくて大丈夫?」
「子供じゃないんだからひとりで大丈夫よ」
いや、そういう意味じゃなくて……。また声をかけられてケンカを買わないか……って意味だったんだけど。
まぁ、いっか。ケンカを買っていたらまた救出するまでです。
「じゃぁ、このショップ見てる」
「わかったわ」
しばらくひとりでショップの店頭にあるものを見ていた。すると、
「今の彼女さんですか? 超きれーっすね」
店員さんらしき人に話しかけられる。
「でしょー? 本当、かわいすぎて困るんですよね……」
言いながら、俺は隣のショップへと移動した。
自分が社交的な人間か、と問われればきっと社交的な人間の部類に属するだろう。しかし、洋服屋さんにおいては内向的精神が全面に押し出される。
柊と一緒にあーだこーだ言いながら買うのは好きだ。でも、そこにショップの人が入るとどうにもこうにもわたわたしてしまうのだ。
次に入ったショップは見るからに女の子向けのショップだった。そういうところに抵抗なく入れるのは柊の買い物に付き合ってるからかもしれない。
店頭のポールにかけてあった帽子が気になり手を伸ばす。
クラシカルな形の中折れ帽。とくに珍しいわけでもないけれど、パープルの色味がきれいで目を引いた。レイさんの髪と相性が良さそうな品の良さ。
「うーん……かぶせてみたい」
そう思っているところに彼女が戻ってきた。
「聖、おまたせ」
「おかえり」
「何見てたの?」
「これ、レイさんに似合いそうだなって」
彼女はすぐにキャスケットを外し、俺の手にある帽子をかぶってくれる。
「どう?」
「うん、想像した以上に似合ってる」
「そう?」
「プレゼントしたら使ってくれる?」
「あら、嬉しい。いいの?」
「もちろん」
レイさんに食べ物以外のものをプレゼントするのは初めてだった。
こんなふうに身につけるものを人に贈るということが柊以外では初めてのこと。
レジに向かう足取りは軽く、けれども少し緊張していた。
そんな中、店内のディスプレイで目を引く棚があった。
ところ狭しとアクセサリーが並んでいるものの、どれも小ぶりなものでシンプルだ。こてこてした感じがしないところが俺好み……。
……プレゼントしたらつけてもらえるだろうか。
考えたのは二、三秒。すぐにたくさんのピアスの中からひとつのものを選び取る。
小さなスクエア型ピアスはシンプルすぎるかもしれない。でも、これが俺の好み。
色はシルバーとシャンパンゴールドがあったけど、迷わずにシャンパンゴールドを手に取った。
映画を見終わり、ふたりはどちらともなくカフェに入る。
「レイさん、席よろしく」
声をかけると彼女は窓際のソファ席に向かった。俺はいつものメニューをオーダーすると、ソファにかけ脚を組み、映画のパンフレットを見るレイさんを観察していた。
窓際に座っていることもあり、カフェの前を通る人通る人、無意識に振り返っていく。窓越しなのをいいことにガン見していく人もいるくらいだ。
ひとり、ふたり、三人、四人……数えていたらきりがない。
「お待たせいたしましたー」
店員さんにトレイを差し出され、「ありがとうございます」とそれを受け取る。
店内を歩きつつ、改めて屋外に目をやるとずいぶんと暗くなっていることに気づく。それを理由に、デート帰りは毎回家まで送り届けていたわけだけど、これから日が長くなれば「暗くなったから」という理由は使えなくなる。そしたらそしたで、「もう習慣づいた」とでも言えばいいか。
「はい、カフェモカとチーズケーキ」
「ありがと。あ、ソイにしてくれた?」
「もちろん。ソイのカフェモカでクリーム抜き」
にこりと笑ってそれらを彼女に差し出すと、改めて「ありがとう」と言われる。
彼女が見ていたものに視線を移し、
「さっきの映画の?」
「そう。聖はちゃんと字幕見ずに聞き取れた?」
「途中まではね。途中からは字幕追ってた」
「あら」
「なんかさ、耳で聞いてるほうの表現と字幕の訳が微妙に違うと気になっちゃってダメっぽい」
「そうね、それを乗り越えたら早いと思うわよ」
「そう?」
『そう、これくらいの早口ならもう既に聞き取れてるでしょ?』
『うん、まぁ』
急に英語に切り替えられるのだからたまらない。とはいえ、その唐突さにはずいぶんと慣れた。
慣れることができないのはこのテーブルの周りに座った人たちだろう。
日常的に使われている言語とは別の言語が突如聞こえてくるのだから二度見する人は少なくない。
その視線を感じて彼女は言う。
『そんなに驚かなくてもいいと思わない?』
『周りの人?』
『そう。でもルイだけじゃなくて聖とこうやって話せると嬉しいわ』
『色々と我慢しなくて済むもんね』
『そのとおり!』
彼女は日本語で言うのが憚られる内容は英語で口にすることが多い。そもそも、始めの頃は何を言っているのかサッパリわからなかったわけだが、その憚られる内容を立川がその場で直訳してくれたことがあり、肝を冷やした俺はペロッと悪口雑言のそれらをマスターした。
まぁ、それ以外にも英語で話す理由はあるんだけど……。
俺とレイさんは高身長カップルということもあり電車に乗ってもバスに乗っても視線を集めることが多い。そのうえ、レイさんのこの容姿なのだから仕方がないというもの。
その視線の中で共通語を喋ることの恥かしさったらないわけだ……。
視線を集めているということは聴覚だってこちらに集中しているわけで、そんな場所であれこれ話したいわけもなく……。
ある日彼女が言い出した。
『視線がうるさいところでは英語で話しましょう。そのほうが聖のヒアリング向上になるわ』
以来、ふたりで会うときは英会話が増えたわけだ。
ま、実際に英会話はできたほうがいいと思ってたから、そんな苦痛でもなかった。わからないところはその場で訊いてすぐに解決できるし。
前は立川とレイさんが英語で話しているとふたりの会話が終わるまで待ったものだけど、今ではその会話に混じれるくらい。
これが今後のテストに生かされたら嬉しい限り。
『この映画は思ってた以上に面白かったわ』
『そうだね、まさかの犯人だったし』
『動機もやり方も勉強になったわ』
『え?』
『ふふふ、なんでもないわよ』
『レイさん、怖いです……』
一通り喋りつくしてカップに口をつける。と、
『はい』
『ん?』
レイさんはいつから持っていたのかわからない袋を差し出した。
『チケットと帽子、ありがとうってことよ』
まさかのサプライズにびっくりする。
『開けていい?』
『もちろん!』
手提げ袋の中には細長い箱と柔らかな布が入っていた。
まずは布のほうを手に取る。触感はリネン素材のようだ。青い薄手の布を広げてみると結構な大きさだった。これはきっと首元に巻くアイテム。
『レイさん、これ……』
『聖だったら絶対選ばないでしょ?』
『そうだなぁ……マフラーも基本はモノトーン選んじゃうんだ。で、見るに見かねた柊が去年ボルドーのストールプレゼントしてくれた感じ。でもあれは秋冬限定だし、これなら今のシーズンにちょうどいいよね。何より手触りがいい』
『そうなの、私も手に持ってすぐ決めたわ。それにそれくらい薄手のものなら初夏くらいまで使えるわよ』
『夏なのに巻物するの?』
夏の暑いさなかに巻物をするのは想像の域を超えている。でも、この素材なら蒸れることはないかも。
『聖ってシンプルなものが多そうだと思ったの。夏のTシャツとかもどうせ一色でシンプルすぎる感じでしょ?』
『まぁ……そうかな』
『挿し色って感じかしらね。私の聖のイメージって青なのよね』
『青?』
『そう、青。んー、言葉にするのは難しいんだけど、海みたいなイメージ。水とかそれこそあの湖畔の絵のイメージかもしれないわ』
『あ、あのとき描いてたやつ?』
『ええ、びっくりしたのよ。あの状態で何を描くか当てられたの、聖が初めてだったのよ』
『そうなの?』
『だからかもね、イメージが青なのは』
『なるほど。で、これは……?』
『開けてみて?』
長方形の箱を開けると、
『ネクタイ……?』
『正確にはニットタイね。今日の格好見てて、色味を足すとしたらって考えたの。そしたらそれが目に入ったのよ』
『手持ちのものに合わせられるのは嬉しいな』
何より、今日彼女が着ているタートルネックも青だ。無意識かもしれないけれど、そんなところも嬉しく思う。
『ありがとう』
『本当はもうひとつのと悩んだんだけどねー。たぶん嫌がるだろうなって思ってやめた』
『そうなの? どんなだろう?』
『ふふふ、内緒』
彼女が選ぶものなら俺に似合わないものではないのだろう。そう思いながらも、高すぎるハードルは勘弁してください、と思うのも事実。
タロちゃんや柊によく言われるけれど、俺のファッションは保守的なんだそう。
確かに冒険をしてる感はまったくないし、するつもりも一切ない。きれい系にまとめるのが好きだし、あえてその域から出ようと思ったことも皆無。
自分がモノトーンに飽きるまではいいかな、と思っているあたり、やっぱり面倒臭がりで無精者なのかもしれない。
そんな俺には少しスパイスになる彼女くらいがちょうどいいだろう。
『そのタイなら、少し大きめに結び目を結んであげて、今日みたいな丸首のセーターとあわせてもかわいいし、ニットを着ないでも似合うと思うわ』
『キレイな色だよね』
それはスカーフも同様で、先日レイさんが完成させた絵の青に似たものがある。
彼女は"色"ならなんでも好きだろう。でも、その中で"青"が特別な位置にあるように思えた。
そう考えると、青いスカーフやネクタイをプレゼントしてもらえたことはとても嬉しいし、それ以上に、自分をのイメージが"青"と言ってもらえたことが嬉しく思える。
彼女にとって"特別"の位置にいられる"青"であることが――。
自分にとっても特別な色になりそうな青いふたつを丁寧に元の形へと戻し手提げ袋に入れると、どうしてか幸せそうな顔をしたレイさんと目があった。
君はこれから贈るプレゼントをどんな顔で開けてくれるだろう――。
Update:2014/04/10
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