10th Anniversary 夏の思い出 / 「光のもとで」シリーズ
Side 御園生翠葉 07話
陽だまり荘を出ると、別荘前にある広場に警護班の方が三人待機していた。
山の入り口すべてに警備員を配置し、山の周囲と別荘地を警邏している人がいても、それとは別の人たちが待機していてくれるだなんて、なんてVIP待遇なのだろう……。
そんなことを考えつつツカサにエスコートされながら階段を下りると、高遠さんが近くまでやってきた。
「星見荘までお車でお送りいたしましょうか?」
「歩いて戻るので不要です」
「かしこまりました」
ツカサと警護班との会話はいつもこんな感じだ。でも、警護してもらっている身としては、簡素すぎる会話に申し訳なさを覚えてしまう。
「高遠さんっ」
「はい、翠葉お嬢様いかがなさいましたか?」
「あの、いつもありがとうございます。今、お夕飯を食べたばかりで、少し歩きたくて、だから――」
言葉に詰まると、高遠さんはにこりと笑みを浮かべ、とても優しい表情になった。
「お嬢様、大丈夫ですよ。私どもも司様とは長いお付き合いですから、これしきのことで堪えたりはいたしません。お気遣いいただきありがとうございます」
そう言うと、無線を使ってほかの人と連絡を取り始めた。
高遠さん、大人だなぁ……。
でも、高遠さんのような人でなければツカサの警護は務まらないのかもしれない。
「どっちから行く?」
不意にツカサにたずねられ、なんの話かと思う。すると、さっき納涼床へ向かって歩いた山道とは別の道ふたつを提示されていた。
ひとつはなだらかな坂道で、車が交互通行できる程度の広さのある山道。もうひとつは、大人が三人くらい並んで歩ける広さの木道。
山道が坂道なのに対し、木道はほとんどが階段に見える。
「山道だと片道一時間弱。木道――もとい階段だと三十分くらい。でも、翠の足だともう少しかかるかも」
なるほど……。
ツカサの説明からすると、木道はかなりのショートカットをするために階段というつくりなのだろう。
さて、食後の運動にはどちらが相応しいのか……。
山道を見てから木道に視線を移すと、傾斜の険しさに拍車がかかって見えた。
「……行きは山道で、明日下りてくるのに木道を使わない?」
「了解。じゃ、こっちから」
歩き出した坂道は、マンション前の坂道と比べると若干傾斜が緩やかで、食後の運動にはちょうどいい感じだった。
なんとなしに空を見上げても、道の両脇に自生する木々の枝葉が広がって、星を見ることは叶わない。でも、夜空と枝葉が織り成す陰影の世界はとても美しく、見ているだけで嬉しくなってしまう。
「あれ、スマホのカメラじゃ撮れないかなぁ……」
「何が? 星はほとんど見えないけど……」
「あれっ! 夜空と広葉樹の陰影コラボレーション!」
「あぁ……。撮ってみれば? 無理ならあとでもう一度来てもいいし、似たような風景なら星見荘の近くでも撮れると思うけど」
「じゃ、ひとまずチャレンジ……」
スマホのカメラ機能を立ち上げると、腕を伸ばしてスマホを掲げる。
ホワイトバランスや露出をいじってシャッターボタンを押すと、カシャという音と共に眩い光が発せられた。
「わ、フラッシュっ!?」
これが一眼レフカメラのフラッシュだったらもう少しまともな写真が撮れたかもしれない。けれど、スマホのかわいらしいフラッシュが発動したところでホラーっぽい写真が撮れるのみ。
おまけに、スマホを使い始めて初めてのフラッシュの発動に驚いたこともあり、見事な手ブレ写真となっている。
「これ、見て?」
クスクスと笑いながらツカサにスマホ向ける。と、
「これはないな」
笑いの混じる、当然すぎる言葉が返ってきた。
でも、こんな写真でも削除するのはやめておこう。きっと、あとで見返したときに「そういえばこのとき
――」と思い出してはツカサと笑い合える気がするから。
時刻は七時半を回ったところ。
夏とはいえあたりは暗く、日中に太陽光をたくさん蓄えたソーラーライトが灯るのみ。
山中とはいえ日中はそれなりの暑さを感じたけれど、陽が落ちた今はパーカを羽織っていても少し肌寒く感じるくらい。
「夕飯を一緒に食べたり勉強見てもらうことがあっても、こんな時間に外を出歩くのは初詣以来よね?」
「そうだな」
だからだろうか。
ただ手をつないでぶらぶらと歩く。それだけでも楽しくて嬉しくて、足を一歩踏み出すことすら惜しくなる。
「歩くペース落ちたけど?」
的確な指摘に思わず苦笑い。
「なんかもったいなくて……」
「何が?」
「……歩いても歩かなくても時間は過ぎていくのだけど、淡々と歩いちゃったら、幸せだなぁ、って思う時間がもっと早く過ぎ去っちゃう気がして、足を前に踏み出すのがもったいなくなっちゃった」
笑われるだろうか。
少し不安に思いながら隣のツカサを見上げると、ツカサは目を見開いて私を見下ろしていた。
そして目が合った次の瞬間、ぎゅっと手を握られ引っ張られる。
「つ、ツカサっ!?」
ツカサはちらと私を見て、
「こんなところで立ち止まっているより、上の別荘でゆっくり過ごす方が絶対的に時間を有効活用できる」
その考え方や言葉の選びようがとてもツカサらしくて、思わず笑みが零れる。
「いっそのこと、高遠さんに連絡して車で上まで送ってもらおうか」
なんて真面目に打診してくるから私は慌てて引き止めた。
「もう少しふたりでゆっくりお散歩したい」
ツカサは何か言いたそうな顔で口を閉ざし、改めて私の手を引いて歩き出した。
坂を上りきるころには全身がポカポカと温かくなっていて、ツカサとつないでいる手の指の先までジンジンとして、血がめぐっていることを体感していた。
「あれ」
「え?」
ツカサが指すその先に、一戸建てのような建物が見えてきた。
外観が白く、暗い山中にふわりと浮かぶように存在するその建物は、思っていた建物とは少し違っていた。
二階建てにしては高さが低く、一階建てにしては少し高めに見受けられる。
でも、これは間違いなく――
「平屋……?」
「正解。陽だまり荘は二階建てにロフトもあるけど、ここは平屋。母さんがワンフロアにこだわったらしい」
「どうして……?」
「さあ、そこまでは聞いてない」
玄関のセキュリティーをパスして玄関ドアを開くと、パッと玄関と廊下の照明が点く。たぶん、このあたりの照明はセンサーライトなのだろう。
玄関は一般的な戸建ての家と変わらない広さがあるものの、二階がなく、高さを十分にとってあるため、どことなく開放感を覚える。
あるものといえば、木目が美しいスクエア型の傘立てに、腰の高さのシューズクローゼットと、壁に貼り付けられた姿見くらい。
ツカサはシューズクローゼットを開くと収納されていたスリッパを取り出し、私の前に差し出してくれた。しかし、今の自分は裸足である。
夏という季節柄、履いているのはサンダルで、踏み固められた山道を歩いてきたとはいえ、多少なりとも砂埃を被っているであろう足で、よそ様のスリッパを履くのには抵抗がある。
陽だまり荘に上がるときは表の水場で足を洗うことができたけれど、この建物の前にはそういったものはなかった。
履く時点になってツカサもそれに気づいたのか、ふたり顔を見合わせ声を揃える。
「「バスルームで足を――」」
そこまで言葉がかぶれば何を言おうとしているのかは歴然としている。
「ウェットティッシュ、こっちのバッグに入れておけばよかったね」
「ま、今回は俺たちしか使わないからそこまで気にする必要はないけど――ひとまず、バスルームまでは裸足で行こう」
「うん」
しかしバスルームはどこにあるのか……。
よくあるおうちのつくりだと、玄関から伸びる廊下の中ほどにトイレや洗面所へ通じる扉があるわけだけど、この家はそういった一般的な家のつくりとは異なるようだ。
二メートルほどある廊下に扉はひとつもなかった。その代わりに、壁には小さな額がバランスよく飾られていて、かわいらしい絵が見受けられた。
「これ……ツカサの絵?」
ツカサは壁面に視線をめぐらせてから、
「俺の絵もあるけど、姉さんの絵や兄さんの絵、秋兄や海斗の絵もある」
私はどれが誰の絵かを聞きながら、二メートルほどの廊下を進んだ。
おそらくはリビングに続いているであろうドアを前に、
「バスルーム、どこにあるんだろう?」
「さあ……何せ俺もここに入るのは初めてだから」
そんな会話をしながらドアを開けると、左側にキッチンがあり、廊下の延長線に廊下と同じ幅のキッチンカウンターがある。その近くにはスツールが三つ。
ほかにダイニングテーブルっぽいものがないところを見ると、これはカウンターというよりはキッチンテーブルという概念なのかもしれない。
右手には開放感溢れるリビングがあり、突き当たりには曇りガラスでできた引き戸があった。
この家が平屋でワンフロアにすべてがあるのだとしたら、引き戸の向こうは寝室になっているのかもしれない。
どことなく幸倉の家を彷彿とさせるのは、南側の壁がほとんどガラス窓だからかな。
そんなことを考えていると、
「翠、こっち」
ツカサに声をかけられ振り返る。と、ツカサはリビングに面する壁の引き戸を開けていた。
「あ……水周りはここにまとめられていたのね」
つまり、玄関からダイニングへ抜ける廊下側になかった扉が、リビング側の壁面に存在しており、配置的には玄関を入って右側に水周りが集中していたのだ。
引き戸を開けたところが洗面所になっていて、その広さといったら大人四人が入っても余裕なくらい広いつくりになっている。洗面台においてはふたつ並んでいる贅沢なつくりだ。
その突き当たりにトイレがあり、洗面所の左側がバスルームというつくりだった。
これなら引き戸を閉めてしまえば、トイレの音がリビングにいる人に漏れ聞こえることもなくプライバシーが守られる。
そんなことに感心しながらそれぞれの内装を観察する。
いずれも白と青という爽やかな色味のタイルで統一されており、清潔感を覚える空間だ。
私たちはバスルームで足を洗い終えると、洗面所にあったクイックルワイパーで、玄関から洗面所までの道のりを拭いて回った。
スリッパを履いてリビングへ戻ってくると、ツカサがリビングの窓を開け放つ。
手入れされているだけのことはあり、埃っぽさなど微塵も感じない室内だったけれど、夜風が入るとまた違った印象を受ける。
窓際のレースカーテンがふわっと舞い、ちらりと見えた光景に息を呑んだ。
ゆっくりと窓辺へ近づくと、リビングと間続きになったウッドデッキのその向こうには木々が乱立しているのではなく、夜空を映し出す泉が広がっていた。
溜め池とかそういうレベルではない。
ウッドデッキにボートが横付けされているくらい――つまり、ボートに乗って景色を楽しめるほどの広さがある泉なのだ。
その広い泉の水面に満天の星空が映りこむと、どちらが空でどちらが湖面なのかがわからなくなるほど。
わずかに風が吹いて水面が揺れることで判断がつく。そんな状態。
ふたり揃ってウッドデッキに出ると、
「ここが星見荘と言われるゆえんは、この星鏡の泉にある」
「お月様も映ってる……きれい……」
そっと水面を覗き込むと、ツカサに腕を掴まれた。
「え……?」
「なんかそのまま見入って泉に落ちるって未来が予想できて……」
「ひどいっ! さすがにそれはないよっ! でも……本当にきれい」
「ボート、出す?」
「カメラ持ってきてもいいっ!?」
「それは明日にしたら?」
明日……?
「明日も天気は崩れない。だから、今は写真を撮るよりも、景色を楽しんだら?」
「……そうする」
先にツカサがボートへ乗り、私は腕を支えてもらいながらボートに乗り込んだ。
泉の中央まで来ると、水面も空も満天の星でなんだか不思議な気分だ。
ボートが揺れることで、空中にいるような感覚に陥る。
「すごい……すごいねっ? まるで宇宙にいるみたいっ!」
「本当に……。泉自体には来たことあるけど、建物が建ってからは来たことなかったから、これは俺も初体験」
ツカサがポカンと口を開けているところは珍しく、まじまじと見ているところにくしゃみをしてしまった。
ものすごくいい雰囲気だったのに、なぜ今くしゃみ……。
恥ずかしさと自己嫌悪に苛まれていると、
「風邪をひく前に部屋へ戻ろう」
ツカサは少しおかしそうに笑っていた。
「ごめん……」
「謝る必要はないけど……そうだな、キスひとつで帳消しっていうのはどう?」
どこか挑発的な目で見てくるツカサはいじめっ子確定で。でも、いつまでも恥ずかしがって赤面してばかりなのも悔しいから、ボートの縁に掴まってゆっくりと腰を上げると、、四つん這いになってボート内を移動した。
ツカサのもとまでくると四つん這いでは高さが足りないことに気づく。
私は背中をしならせるようにぐっと上体を上げ、そっと唇を重ねた。
今なら赤面していても気づかれない――そんな思いもあったのに、キスをしている相手が震えている気がしてなんとなしに目を開ける。と、ツカサが笑いを堪えていた。
「なっ……なんで笑ってるのっ!?」
「悪い――」
言いながらも肩を震わせているのだからひどい。
いったい何がそんなにおかしかったのか。
「キス……おかしかった?」
不安になってたずねると、
「違う、そういうことじゃなくて――」
ならなんだというのか。
ツカサの長い脚の間で正座をして答えを待っていると、なんとなしに首を傾げたツカサに「ちゅ」と触れるだけのキスをされた。
「それ、答えになってないっ」
文句を言うと、
「ただ、四つん這いで迫ってきた翠が猫に見えて、猫にキスされた気分だったから」
言いながら、ツカサはまだ笑いがおさまらないようだった。
むぅ、と頬を膨らませむくれていると、ツカサがオールを手に取った。
「あまり長居して翠が風邪でもひいたら下の人間にどんな責めを食らうかわかったものじゃない。もう戻ろう」
「でも……」
もうちょっとここにいたい気がする。
すると、
「まだ時間はあるし明日もある。次にボートを出すときはもう少し着こんでチャレンジするっていうのはどう?」
それならいい……かな?
私の表情に了承を汲み取ったツカサは、何度か大きくオールを動かし、岸辺へと向かってボートを漕ぎ出した。
Update:2019/05/01
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