10th Anniversary 夏の思い出 / 「光のもとで」シリーズ

Side 御園生翠葉 20話


 ハープを部屋の片隅に戻すと、窓が開き蒼兄に声をかけられた。
「翠葉、ホットタオル持ってきてくれる?」
「はいっ」
 急いで洗面所でホットタオルを作ると、出てもいいものかと少し躊躇しながらウッドデッキに出る。
 ふたりが居るであろうガーデンテーブルの方を見ると、椅子に掛けた桃華さんが泣いていた。
「蒼兄っ!?」
「大丈夫。ちゃんと話し合ったから。でも、この顔を司に見られるのだけは絶対いやなんだって。ものすごく桃華らしいだろ?」
 蒼兄はクスクスと笑う。
「桃華さん……?」
 タオルを差し出し声をかけると、桃華さんは俯いたままタオルを受け取りわしわしと顔を拭き始めた。
「大丈夫?」
「大丈夫……。でも、この顔で戻るのだけは不本意なの。蒼樹さん、ちゃんと責任取ってくれるんでしょうねっ!?」
「とるとる……。ひとまず、顔が落ち着くまではここに居ればいいよ。桃華も翠葉も寒くない?」
「私は大丈夫だけど、翠葉は――」
 確かに、さっき着ていたパーカはハープを弾くときに脱いでしまったので、正直に言うならとっても寒い。
 それを悟った蒼兄は、
「じゃ、俺は中に入るけど、雅さんにお願いして上着を持ってきてもらおう。それから、温かいカモミールティーを差し入れるよ」
 そう言うと、蒼兄は部屋へと入っていった。
 すぐに雅さんが出てきて、心配そうに桃華さんの顔を覗き込む。
「大丈夫?」
「はい、大丈夫です……ただ、この顔にこの声ですからね。ちょっと体勢立て直すのに時間が必要で……」
「本当、声が鼻声ね」
 雅さんの軽やかな笑い声で雰囲気が幾分か明るいものへと転じる。
 けれど、桃華さんと蒼兄がどんな話をしたのかは訊くに訊けなくて、じっと桃華さんの言葉を待っていた。
「さっきの曲、なんていう曲?」
 え、そっちっ!?
 びっくりしたのは私だけではない。雅さんも目を丸くしていた。けれども、私より早くに反応を示す。
「リュミエール。司さんが曲名をつけたそうよ」
「え? っていうことは、翠葉のオリジナルっ!?」
「そうなの」
「で、また藤宮司なのね……。今度は私に一番に聴かせて、私に名前を付けさせなさいっ!」
 桃華さんはブツブツと文句を言いながら、
「すっごくすてきな曲だった。リュミエール……光、ね。なんだかとっても翠葉らしい曲。未来が明るくなるような、そんな曲に思えたわ」
 そう願って作った曲だったから、そのまま伝わったことが嬉しくて、うっかり涙が零れる。
「ちょっとっ! なんで翠葉が泣くのよっ」
「えぇと……そういうことを考えて作った曲だったから、何も説明していないのにそれが伝わって嬉しかったというか、なんというか……」
「そう……あれは司さんとの未来を想っての曲だったのね?」
 私はコクリと頷いた。
 秘密にしていたのに結局ばれてしまった。でもこのふたりになら、秘密がばれてもいやじゃない。共有してもらえることを嬉しく思える。
「願わくば、桃華さんと蒼兄の未来も光で満ち溢れていますように」
 そんなふうに付け加えると、
「さっきね、プロポーズをされたというかなんというか……」
 ポツリポツリと話す声は、夜という時間には十分聞き取れる声量で、突如飛び込んできた「プロポーズ」という言葉に驚きを隠せないでいた。すると、
「翠葉がそんな顔をする資格はないと思うの……。初詣でプロポーズされて、春休み中に婚約まで済ませた人間に、そんな顔をされる覚えはないわ」
「それは一理あるわね」
 雅さんにも同意を示され少し困る。
 でも身内が――兄がプロポーズしたなどと聞いたら誰でも驚くと思うの。
「本人たちの気持ちが一番大切なのは言うまでもなくて、でも、のちにどこにも禍根を残すことなく、きちんと私を迎えたいから、って。結局蒼樹さんに押し切られちゃったわ」
 それはつまり――
「今は何がどうあっても桃華さんと関係を持つつもりはない、ということ?」
 私が訊きたいことを雅さんが訊いてくれる。すると、
「はい……。私に魅力がないとか、私とそういう関係になりたくないとかそういうことではなくて、背徳感があるとかそういうことでもなくて……。一般的な避妊って、妊娠する可能性がゼロではないでしょう? だから、もし子どもができたとして、私の人生を狂わせるようなことは避けたいし、すべての人に祝福してもらえる状態でありたいから、って。もちろん結婚するまで関係を持たないとは言わないし、そこまで我慢できる自信もない。でもせめて、私が高校を卒業するまでは、って言われました。その代わり、高校を卒業したら大学へ上がる前に婚約しよう、って。そういう方向で私の親とも話しをする、って」
 雅さんと私は両手で口を覆い、顔を見合わせ目をパチクリとさせた。
「プロポーズはもっとちゃんとしたかったんだけど、って言われちゃったわ。なんか、結果的に私が急かしてプロポーズさせた感じ?」
 桃華さんはどこか納得がいかない表情だ。
 ようやく口元から手を離した雅さんは、
「蒼樹さんって本当にできた殿方ね? 彼女に泣きつかれたうえでここまで筋を通せる方、そうそういないと思うわ」
「蒼樹さんができた人なのはわかっていたんですけど、こうも妹と思想が似ているとは思いもしませんでしたっ」
 そう言われていたたまれなくなる。
 私も同じようなことを理由にツカサを拒んでいた時期があるからだ。
 それでもツカサは待ってくれた。とても長い時間、待ってくれた。
 たぶんいつそういう関係になっても後悔はしなかったと思う。でもツカサは、不安を取り除く努力をしてくれたし、心の準備が整うまで待ってくれた。
 私とは立場も状況も違うけど、蒼兄にも色んな意味でまだ時間が必要なのかもしれない。
 桃華さんの彼氏としての自分のほかに、社会人としての自分がいて、高校生である桃華さんと真剣に交際を続けるにあたり、超えるべきハードルがまだいくつか残っていて、今はそれらを越えるために必要な準備段階なのかも……。
 何よりも嬉しいのは、そんな蒼兄の考えを桃華さんが受け止めてくれたこと。
 今すぐにでもそういう関係になりたいと望んでいる桃華さんからしてみたら、我慢を強いられることなのだろうし、納得のいかない部分もあると思う。それでも、蒼兄の考えに理解を示してくれることに感謝しか覚えない。
「桃華さん、ありがとう。蒼兄の考えを尊重してくれて、本当にありがとう」
「もう、この兄妹は……」
 桃華さんはぐちぐちと文句を零し始めた。
「第一、私の高校卒業を待たなくても、うちの親は間違いなく蒼樹さんとの婚約を認めるわっ。それをどうして高校卒業までだなんて――蒼樹さんの考えはわかるのだけど、わかるのだけどもっっっ」
「……も、桃華さん、ひとつ質問してもいい?」
「何、翠葉」
 イラついた様子で訊かれる。
「どうして蒼兄との婚約が認められるってわかるの? 確か桃華さんのご両親は、蒼兄との交際を良くは思っていなかったでしょう?」
「……これを言うのも非常に不本意なのだけど――うちの親、家柄や格にこだわるじゃない? そこで、お付き合いをするなら簾条家に見合う家柄の人間でないと、って蒼樹さんに言ったの」
 家柄――
 確かに、桃華さんのご両親はそういう傾向にあって、ツカサや海斗くんと仲良くすることを強制してくると聞いたことがある。
「でも、自分で言うのもなんだけど、御園生の家は桃華さんのおうちとはどうやっても釣り合わないでしょう……? 親の職業が建築関係とはいえ自営業の域を出ないし……」
 桃華さんは私から視線を雅さんへ移すと、
「雅さん、わかります? 翠葉、コレが素なんですよ……」
 雅さんは同意を示すように、または呆れ果てたかのようにため息をひとつつく。
「翠葉さん、ひとつ失念していてよ?」
「え……?」
「『御園生』にネームバリューがなくても、『城井』なら? 『城井アンティーク』といえば、国内屈指のアンティーク家具屋じゃない。ウィステリアホテルの家具を大々的に担っている会社よ? そこの孫息子となれば御曹司と言っても過言じゃないわ」
 そんなふうに言われたことはないし、思ったこともないだけに、私は呆気に取られていた。
「翠葉は自覚なさすぎ。蒼樹さんはもう少し自分のこと、よくわかっていたわよ? 両親にその話を持ち出されたとき、とっても不本意そうではあったけれど、『城井』の名前を出しましたからね」
「そうだったのっ!?」
「そうよ。それと、高校大学での成績、在学中にとった資格の数々、それらを並べて家柄だけじゃないことをうちの親に提示したうえで、もうひとつ強力な手札を見せたわ」
「強力な手札……?」
「翠葉さんったら、本当に世間知らずねぇ……。桃華さんのご両親みたいな方たちにとって有効な手札なんて、考えるまでもないじゃない」
「え?」
 いくら考えても私にはわからなくて、頭を抱えそうになったとき、桃華さんが口を開いた。
「藤宮とのつながりよ。自分が秋斗先生と親しいことと、碧さんと零樹さんが次期会長である静様と旧知の仲ということ。親は嘘がないか興信所を使って調べたわ。そして裏が取れたら交際を認めてくれた。そこへきて翠葉と藤宮司の婚約。私が蒼樹さんと結婚すれば藤宮との縁ができる。それがどんな末席であろうとあの人たちにとっては問題ないの。我ながら呆れる両親よ」
 今まで聞いたこともなかったような話が一気に流れ込み、頭がぐわんぐわんする。
「桃華さん、今までそんなこと一言も言わなかったから、全然わからなかった……」
「こんな親の醜態を誰が晒したいとっ?」
 それはそうなのだけど……。
「だから、私たちが婚約するまで――もしくは私と蒼樹さんが結婚するまでは、絶対に藤宮司と破談にならないでねっ!?」
 それもどうなのかと……。
 最後はちょっと苦し紛れに笑いが零れた。
「こんな子だから私はいじめちゃったのよねぇ……」
 思い出したかのように、突然雅さんがぼやく。
「城井アンティークの孫娘っていったら、それなりのお家柄をお持ちなのに、本人はまったく無意識無自覚。だから、秋斗さんと釣り合わないって断言口調で威嚇して、暗示にかけたかったのよ。それだけじゃ弱いと思ったから、体調のコンプレックス持ち出して追い詰めたのだけど……」
「ちょっと雅さん……。それ、なんの話です?」
 そこで過去のあれこれを話すこととなり、
「もうっ! 翠葉はどうしてそういうこと話してくれないのっ!? 私って何っ!?」
 今度はどうして自分が問い詰められる羽目になっているのか……。
 でも、ここまで表情をコロコロと変え、感情的に話す桃華さんを見るのはひどく珍しくて、私はうろたえながらもそんな桃華さんを興味深く観察していた。



Update:2019/05/16



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