第一章 友達 01話
どこが悪いとかじゃない。ただ病弱なだけ。生まれつき虚弱体質なだけ。
それだけで留年してしまう人が世の中にはいる。
「まさか」と思われるかもしれないけれど、事実いるのだ。
そのまさかの私、
高校と大学は通信制を利用したらどうか、と勧めてくれたのは両親。でもね、学校に通いたいと思ったの。
両親は友達が欲しいのだと解釈したようで、意外とあっさり認めてくれた。
七つ年上の優しい兄は、何を言うでもなく話の成り行きを見守っていた。
何か具体的なことが目的にあるわけじゃない。ただ漠然と、学校に通いたいと思ったの。
一度は自分のネガティブさに負けて放棄してしまったけど、本当なら当たり前に存在する世界を、私にとっては当たり前とは言えないその世界を、きちんと肌で感じたいと思ったのかな。
それは今も、まだよくわからない。
問題となったのは、どの高校に通うかということ。
家から徒歩十五分のところに公立高校があるけれど、そこは最初から考えていなかった。逆に両親は、そこしか考えていなかった。
本来なら、去年の四月に入学するはずだった高校。正確には、去年七月半ばまで在籍していた高校。
去年の二月末、体調を崩した私は検査入院をすることになり、中学の卒業式に出席することはなかった。
それでも順調に回復し、三月半ばには退院することができた。けれど――何かの拍子に狂った歯車は、そう簡単には元に戻ってくれなかった。
少しの油断と不注意で、高校の入学式を目前に、長期入院をせざるを得なくなった。
緑生い茂る七月半ば、高校の先生が病院にいらした。
出席日数不足で、来年の進級は望めないことを伝えに――
私は一度も登校することなく、その高校を自主退学した。
名簿に名前はあるのに、一度も登校してこないクラスメイト。
……どう思われているのかが怖かった。
同じ中学から進学した人が多かったこともあり、先生が言うまでもなく、私が入院していることはクラス中が知っていたという。
登校拒否と思われているわけではない、と担任の先生に引き止められはしたけれど、もし学校に通えるようになったとして、すでにまとまりつつあるクラスに馴染めるかが不安だった。
中学の同級生に会うのはなんとなく怖い。
もともと学校を休みがちだったこともあり、友達と呼べるような人はいないし、お見舞いに来てくれる人もいなかった。
中途半端に知り合いなのも、中途半端に私のことを知られているのも――どちらも怖い。
噂には尾ひれがつく。それは中学で経験済み。
だからもし、また高校へ通うことができるなら、私を知っている人がいない高校へ行きたかった。
その条件を満たす学校は、必然的に家から遠い学校になるわけで、心配性の親が許してくれるはずもなく、また、私の体力がもつわけもなかった。
両親との話し合いに行き詰まり、両親が用意した通信制の学校のパンフレットに目を通し始めたころ、それまで話し合いには口を挟まなかった兄の
兄が卒業した高校は、中高一貫校で「超」がつくほどの進学校として知られている。
外部受験生の受け入れ枠が少人数であるため、自分を知っている人がいる可能性はかなり低いとのこと。そして、自分が同じ敷地内にある大学に通っていることを理由に、両親を説得してくれた。
「藤宮なら俺も同じ敷地内にいるし、来年度からの車通学の申請も通ったから」
兄は今まで一切口を出さずにいたけれど、着々と外堀を埋めてくれていたのだ。
家から駅まで徒歩十分、電車に揺られて三十分、さらに駅からバスで二十分。決して近くはないその高校。兄の協力なしに了承を得ることはできなかったと思う。
県境にあるその学校は、車ならば国道の一本道で、三十分とかからない。
行きも帰りも基本は
何よりも、私がお世話になっている病院が、学校からバスで八分という場所にあったことが功を奏した。
両親の説得が終わると蒼兄のスパルタ教育が始まり、私はその年の十月に退院し、翌年二月に一般入試を受けた。
時は四月、一年ぶりに学校へ通う。
体調は安定しているとは言い難いけれど、制約さえ守れば日常生活は問題なく過ごせる範囲。
多くは望まない。
ただ普通に学校へ通いたいだけ。ただ、普通に、日々を送りたいだけ――
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