第一章 友達 12話
茶道部の部室は、私たちの教室がある棟から桜林館へ向かって、左の建物三階にある。この校舎は三年生と文化部の部室があることから、「
三文棟は、一階が三年生の先生専用の教科室になっていて、会議室が二部屋あるという。二階が三年生の教室、三階と四階が文化部の部室となっているらしい。
一方、私たちが使っている校舎は「
因みに、茶道部は桜香苑の中にある茶室、
部室は着物に着替えるのに使ったり、着物や茶器の管理に使われているだけなのだとか。
華道部は部員数が多いことから、着物を着るのは一日十人までと決まっているらしく、順番に着物を着ているという。
そうこう説明を受けているうちに、部室に着いた。
「玲子先輩っ! 仮、新入部員連れてきました!」
桃華さんが声をかけたのは、部長さんらしき人だった。
その人は、たとう紙から今日着るであろう着物を出している。
「あら、稀に見る美少女さんね。……こちらにいらしていただけるかしら?」
そう言われ、桃華さんに促されるままに畳に上がる。
「一年B組、御園生翠葉です。今日はよろしくお願いいたします」
正座をして挨拶をすると、玲子先輩と呼ばれていた人は上品に微笑んだ。
「三年A組、
「はい」
「御園生さんは何色が好きかしら? 個人的には赤を着せたいわねぇ」
先輩は桐箪笥に視線を移し、口元に人差し指をあてながら呟く。
口元にほくろがあって、何やら艶っぽい印象を受ける人だった。
「先輩、せっかくですから楽しみませんか?」
桃華さんは悪いことを考えていそうな笑顔を見せる。
先輩はそれに応えるようににこりと笑んで、
「そうね。普段、あまり出さないお着物にする?」
桃華さんは嬉しそうに頷いて、先輩のもとに駆け寄った。
「桃華さん、朱色のお着物出してちょうだい。帯は金の袋帯で華やかに。帯揚げは……黄緑の絞り、帯締めには桃色のものを使いましょう」
加納先輩が次から次へと話し、桃華さんはそれを零すことなく聞き取り箪笥から取り出す。ふたりはなんだかとても楽しそうだった。
実際に畳に並べられていく小物を見ていると、自分の心も躍りだす。
「じゃ、制服を脱いでいただけるかしら? 今日は私が着付けします」
満面の笑みで言われたけれど、
「あの……袋帯は締められませんが、基本的な着付けは自分でできます」
「あら、それなら一通り終わったら声をかけてください」
そう言うと、加納先輩は自分の着付けに戻った。
私は用意していただいた肌襦袢から順序良く並べ、そのとおりに着付けていく。
おはしょりを整えるのが少し苦手だけど、形にならないことはない。
「終わりました」
「あら早い」
振り返った加納先輩は、仕上げの帯締めを締め終えたところだった。
先輩は袋帯を手に取り、
「茶室は狭いからふくろ雀にしましょうね」
そう言うと、器用にどんどん形作っていってくれた。
「はい、出来上がり。……うん、いいわね。着付けもきれいだし、立ち姿がとてもしっくりくるわ」
そこに着付けが終わった桃華さんが振り返る。
「すっごくかわいいわっ! 翠葉、着物似合うわね」
褒められすぎている気がして、少し恥ずかしい。
「これから茶室に移動するのだけど、その前に髪の毛だけはまとめましょう」
加納先輩が手際よく、髪の毛をまとめポニーテールにしてくれた。
部室を出て桜香庵に向かう途中、弓道場が見えた。
「弓道場……藤宮先輩もいるのかな?」
ぼそりと零した言葉を桃華さんに拾われる。
「ほら、あそこにいるわよ、氷の女王様」
険を含む声音が、弓道場ではなく私たちが歩いてきた道の後方を指し示す。
そこには、部室棟から出てきた藤宮先輩がいた。
同じ道を歩いているのだから、このままここにいたら間違いなく鉢合わせる。
桃華さんは射抜くような目で藤宮先輩を見ていた。そして私たちとすれ違うとき、
「氷の女王みたいな藤宮先輩ごきげんよう」
棘がいっぱいの言葉をかける。
「それは新手の嫌がらせか?」
「いえ、一女子生徒の印象より一部抜粋って感じかしら」
「ふーん……それって御園生さん?」
急に自分へと話を振られ、私はなんとも言えない顔になる。
「あ……えと……その……はい……」
否定しきれないどころか、認めてしまった自分が恨めしい。
「ふーん、氷の女王ね。お褒めに与りまして……ってことにしておく。全然嬉しくないけど」
そう言ってきれいに笑むと、袴を捌いて歩き出す。
その後ろ姿にどうしてか焦りを覚えた。
「あのっ……」
思わず声をかけてしまったけど、
「何?」
振り返った藤宮先輩の顔には笑みの欠片もない。
微笑まれても底冷えするだけだけど、無表情なのはもっと怖い気がする。
「袴姿がすごく格好いいですっ。和装、似合いますね」
引き止めた理由もよくわからなければ、どうしてこんなことを口走ったのかもわからない。
ただ、このまま去られるのはいやで、何か言わなくちゃと思ったら、心の中で思ってればいいようなことを口にしていた。
藤宮先輩は数拍置いてから、
「袴姿が、ね。どうも……。御園生さんも着物似合ってる。七五三みたいで」
そこまで言うと、「練習があるから」と弓道場へ向かうルートへ足を進めた。
「七五三……」
この言葉はどう解釈したらいいのだろう。
馬子にも衣装? それとも幼く見えるということ? それとも単なる皮肉……?
改めて桃華さんと加納先輩を見てみると、ふたりとも大人びた印象を受ける。それに対し私は、どこからどう見ても幼く見えるような気がした。
「……翠葉、すごいわね?」
「え……?」
桃華さんがびっくりしたような顔で私を見ていた。
「あの冷血漢相手に声をかけられる女子なんてそうそういないわよ?」
加納先輩の言葉に首を傾げる。
「……そうなんですか?」
確かに「意地悪な人だな」という印象は受けたけれども、「冷血漢」とまでは思わなかった。そう言われてしまう藤宮先輩は、いったいどんな人なのだろう……。
「あの男が普通に会話しているところ、初めて見たかもしれないわ」
桃華さんの言葉に驚きを隠せない。
「でもっ、生徒会で一緒だったのだから、普通にお話しくらいは……」
「ないわね」
「でも、そしたらどうやって意志の疎通というか、お仕事をするの?」
「容赦なくこれやっておけ、あれやっておけ、と言われるくらいよ?」
「……それでわかるの?」
「一応わかるようにはしてあるというか、わからなかったら『使えない』って烙印押されるのみかしら」
ますますもって生徒会には入りたくなくなってきた……。
茶室で一通り作法を学び、お茶を点て、和菓子をいただくとそれで部活は終わったも同然。これだけのために外部講師を呼ぶ必要があるのだろうか、と思わなくもない。けれども、先生の指導はとても丁寧でわかりやすいものだった。
そして、このくらいならできるかも、続けられるかも、と思えた。
一連の作業が終わると部室棟に戻って着替えを済ませ、着物を片付ける。どうやらそういう部のようだ。
明日は時間があったら和筝部を見に行きたい。
小学校五年生になったとき、「ピアノのほかに何を習いたい?」と両親に訊かれて選んだのはアイリッシュハープだった。
当時ギリシア神話にはまっていて、ほかの楽器など目にも入らなかった。
フルートも考えたのだけど、形の美しさに目を奪われて、ハープに決めたのを覚えている。
そのあと、ほかの楽器に興味を持たなかった私だけど、入院している間に何度か筝の演奏を聴く機会があった。病院で月に一度ある音楽コンサートで見かけたのだ。
独特な音階を持つ筝の音色はなんとも神秘的で、日本人の心に響く音だと思った。実はそれから少し気になっている。
実際に入部するかは別として、やっぱり楽器自体に興味がある。触れる機会があるのなら、無駄にはしたくない。
――とりあえずなんでもやってみる。
蒼兄に言われたから、できることからやってみよう。せめて前向きに取り組む姿勢を――
ネット小説の人気投票です。投票していただけると励みになります。
↓コメント書けます↓