第一章 友達 13話
部活見学のあとにホームルームなどはなく、そのまま各自部活動ということだった。
けれども、着物を着てお茶を点てて着物を片付ける……という一連の作業しかしない茶道部は、三時半には終わってしまう。
「お着物に慣れていらっしゃらない方は、着付けや着物の畳み方を教える工程があるから、もう少し時間がかかるものなのだけど……。御園生さんはそのあたりのことができてしまうから、早くに終わっちゃったわね」
加納先輩に言われ、そういうものなんだ、と納得した。
桃華さんは四時からクラス委員の集まりがあるようで、部活が終わるとそこで別れた。
このあと、私はどこにいるべきなのだろう。
蒼兄は、早くても五時にならないと大学が終わらない。教室は、授業がなくなると三十分以内にロックされてしまうので入れない。図書館は、虫がいると言うので近づきがたい。図書室は、生徒会役員でないと入れない。
うーん……。
頭の中に校内地図を広げる。
広大な敷地の中で、私が居られそうな場所は――
「テラスか桜香苑、かな?」
すぐにテラスへ向かったものの、人がたくさんいて、とてもじゃないけど落ち着けそうにはなかった。
「やっぱり桜香苑かな……」
テラスの階段を下りて桜香苑へ向かうと、芝生広場から桜香苑に入ってすぐのところにあるベンチで、問題集を解くことにした。
未履修分野の課題となっている問題集だ。
全十二教科で、十二冊の問題集をこなさなくてはいけない。
一冊六ミリくらいの厚さで三十ページ強。結構なボリュームである。
普通に考えたら、補講時間で終わる分量じゃない。
家でも学校でも、とにかく時間があればこれに取り組む。そうでもしないと、二ヶ月間以内に終わる気がしない。
「がんばらなくちゃ……」
最初に開いたのは数学。私の得意科目。
数学ならば、参考書があれば難なく解ける。法則さえわかってしまえば、あとは単純なパズルのようなもの。数学はゲーム感覚で解いていけるところが好きだった。
どのくらい時間が経ったころだろうか。
「翠葉、こんなところで何しているの? せっかくの白い肌が焼けちゃうわよ?」
声をかけられて顔を上げる。
「桃華さん、委員会は?」
「ついさっき終わったの」
時計を見ると、すでに五時前だった。
「ところで、翠葉はどうしてこんなところで問題集を解いているのかしら?」
心底不思議そうな顔をされる。
「蒼兄……あ、えっと、ここの大学に兄がいるのだけど、その兄が来るのを待っているの」
「あら、お兄さんがいるのね? 新しい翠葉情報だわ」
ふふ、と笑いつつも、
「……でも、どうしてここにいるの?」
どうやらここで待っていることが不思議なようだ。
「最初はテラスへ行ったのだけど、人がいっぱいだったから……」
「それでここ?」
「うん」
「その思考回路、ちょっと変よ? 普通、図書館って候補があって然るべきだと思うけど?」
言いながら首を捻られる。その仕草すら美しい。
見惚れそうになりつつ、
「図書館も考えたのだけど、私、虫だけはどうしてもだめで……」
苦笑して答えると、
「図書館に虫?」
「うん、悪い虫がたくさんいるのでしょう?」
悪い虫、つまりは毒虫と考えているわけだけど……。
「……翠葉、それは誰に言われたの?」
「……蒼兄だけど? あと、海斗くんのお兄さんも同意してたかな? だから、森林浴を兼ねて……と思ってここに来たの」
「……なるほど。それにしても、森林浴って発想が女子高生ぽくなくて好きだわ」
クスクスと笑い出す桃華さん。
「桃華さんはどこへ?」
「これから図書館に本を返しに行くところ」
「……虫がいっぱいのところに? 桃華さんは虫とか大丈夫な人?」
「そうねぇ……。正直、虫はあまり好きじゃないわ。けど、図書館にいるムシくらいなら大丈夫よ。私、叩き潰しちゃうから」
桃華さんはにこりと可憐に微笑んだ。
人は見かけに寄らないというのは本当らしい……。
そうこうしていると、小道の先から歩いてくる人が見えた。
「蒼兄っ!」
呼びかけると、蒼兄は不思議そうな顔をしてやってきた。
「翠葉、なんでこんなところにいるんだ? また光合成?」
「うん、テラスは人がいっぱいいたからこっちに来たの」
桃華さんに話したことと同様の説明をすると、
「その子は友達?」
蒼兄の視線が桃華さんに移る。
「うん、同じクラスの――」
紹介しようとした矢先、
「簾条桃華です」
一歩前に出て、桃華さんは自分から自己紹介をした。
「兄の蒼樹です。きっと翠葉がお世話になってるんだろうね」
「今はまだ……。でも、色々と世話し甲斐のありそうな子ですね」
「それはもう……。だからついつい甘やかしちゃうんだけど」
「わかる気がします。私もこの子を悪いムシの中には放り込みたくありませんもの」
ふふ、と笑う桃華さんに蒼兄は、
「あれ? もうそんな話したの? バレちゃったかなぁ……?」
「いいえ、今もムシが怖くてここで光合成していたくらいですから」
「それは良かった」
ふたりは私を交えず、私には通じない話をしていた。
なんだか少し疎外感……。
「じゃ、翠葉、私行くわね」
「うん、また明日」
「簾条さんも、悪いムシには気をつけて」
「大丈夫です。私、意外と強いので」
桃華さんは一礼して桜香苑の奥へと向かって歩き出した。
「またずいぶん格好いい女の子と友達になったな」
「格好いい? ……格好いいよりはきれいな人だと思うけど?」
「そうじゃなくてさ、性格っていうか内面っていうか。そういうのが格好いいと思わない?」
「あ、思う。学年の女帝って言われてるんだって」
「……そりゃまたすごい」
そんな話をしながら問題集を片付けていると、男子数人の声がした。
「あ、司発見」
蒼兄の言葉に反応して振り返る。と、そこには袴姿の弓道部ご一行様が、部室棟に引き上げるところだった。
「……やっぱり格好いいな」
誰に言うでもなく口をついた言葉。
「司のこと?」
「え? あ、うん。昨日、初めて見たときも格好いいなって思ったんだけど、袴姿は似合いすぎてもっと格好良く見える」
「惚れちゃった?」
蒼兄が、私をからかうとき特有の笑みを見せた。
「ちっ、違うっ。そういうわけじゃなくて……。ただ、格好いいなって思っただけだよ。だって藤宮先輩、基本的に意地悪だし」
「あはは。確かに少し捻くれてはいるかもな。でも、根はすごくいいやつだよ」
噴き出したくせに、最後は柔らかい表情で笑う。
藤宮先輩とそんなに仲がいいのかな……?
「司! 今日、このあとは生徒会?」
近くまで来た藤宮先輩に声をかけると、藤宮先輩は集団から抜けてこちらにやってくる。
「生徒会はありませんが、秋兄の手伝いがあるので……」
「それはご愁傷様」
「御園生さんこそ、帰るの早すぎませんか?」
え? そうなの……?
「……私のせい?」
振り返って蒼兄にたずねると、
「……昨日から、司は余計なことばかり言うな」
苦笑を見せたあと、蒼兄は私に向き直る。
「翠葉、安心していいよ。主要な講義やゼミ、実験にはちゃんと参加してるから。ただ、五月いっぱいは五時で帰れるように調整させてもらってるんだ。その分、押し付けられるレポートが半端ないんだけどね……。だから、翠葉はなるべく早くに課題を終わらせて生徒会に入ろうか? そしたら俺は、安心して秋斗先輩に翠葉を預けられるようになるから」
「……秋兄、いつから託児所なんて始めたんだか」
「蒼兄……課題の道のりはまだまだ長いよ。それに託児所って……藤宮先輩ひどい」
「あぁ、悪い。つい本音が……。それじゃ、お先に失礼します」
涼しい顔で去っていくのを見ながら、
「蒼兄……藤宮先輩は格好いいのにひどい人だね?」
同意を求めると、言葉遊びのような一言が返ってきた。
「ひどいけど格好いいよね」と。
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