光のもとでT

第一章 友達



第一章 友達 15話


 学校に着くと蒼兄は、昇降口までついてくると言って聞かなかった。
 その道すがら、ずっと同じことを言われている。
「翠葉、本当に無理はするなよ? 何かあったらメールなり電話をすること。あと、逃げ込み先は保健室。保健室の場所は――」
「一階の一番端。ちゃんと覚えているから大丈夫」
「……ならいい。じゃ、俺行くから」
 私は昇降口から蒼兄の背中を見送った。そこに、
「おっはよーっ! 翠葉、今の人誰っ!? インテリ風で超かっこいいっ」
 飛鳥ちゃんに声をかけられた。
 その先の会話を想像して、心に影が差す。
 私は簡単に説明をすることにした。
「私の、七つ上のお兄ちゃん。この大学の院生なの」
「毎日一緒に通学?」
「……うん」
「駐車場の脇道から出てきたってことは、車?」
「そう……」
「ずるいなぁー」
 その一言にきゅ、と胃が縮んだ。けれど、
「年がら年中、目の保養したい放題じゃないっ!」
 え……?
 今私、何を言われただろう。
 思わず飛鳥ちゃんを見上げてしまう。すると、
「え? 何? 私なんか変なこと言った?」
 くりっとした目に見下ろされる。
「えっと……今、なんて言われたかな?」
「だから、お兄さんかっこいいね、って。毎日見られるなんていいなー、みたいなこと」
「あ、そうだよね。あ……えと、褒めてくれてありがとう?」
 私は予想だにしない返答に、パニックを起こしていた。
 車通学を羨まれるのかと思ってかまえていたのに、飛鳥ちゃんからまったく違う言葉が飛び出した。
 少し――かなり肩透かしを食らった気分。
 飛鳥ちゃんって、イレギュラー?

 教室に入ると爆睡している人が約一名。
 クラス委員の片割れにして、もうひとりの外部生こと、佐野明くん。
 朝練でお疲れなのか、机に突っ伏して仮眠中。
 そろそろ起こしてあげたほうがいいのかな、と思っていると、
「佐ー野っ、そろそろ起きないとホームルーム始まっちゃうよー」
 躊躇なく飛鳥ちゃんが起こしにかかった。
 佐野くんの背中にずっしりと体重をかけて、起こし始める。
「あと三分くらいでホームルームだから、ほら、起きるー!」
 その、容赦の欠片もない起こし方に、少々佐野くんがかわいそうに思えてくる。
 けれどもそれをものともせず、
「立花、サンキュー……」
 佐野くんは身体を起こし、重い瞼をこすりながら大きな欠伸をひとつ。
 すぐにでも夢の世界へと旅立ってしまいそうな表情をしていた。
 そのすぐあと、川岸先生の元気な声でホームルームが始まり、さらには授業が始まった。

 今日から八時間の時間割。
 気力と時間があれば和筝部を見に行きたいけれど、病院に行く体力を残しておかなくてはいけない。それを考えると、少し厳しい気がした。
 何せ、八限が終わるのが夕方五時なのだ。
 通常、病院は午後三時までしか受付をしていない。けれど、主治医が社会性を重んじてくれているため、六時までに行けばいいことになっていた。

 授業では、教科書のほかに参考書が欠かせない。どうしてかと言うならば、未履修範囲に関係なく授業が進むからだ。
 数学に関しては、蒼兄が使っていた参考書が役に立っている。
 人が使ったあとで、何かしらの書き込みがしてあるノートや本が好き。
 使った人がどんなふうに式を解いたのか、その過程がわかってとても面白いと思う。
 現国の時間も問題なく過ぎたものの、古典はかなり怪しい綱渡り状態。
 授業を肌で感じ、危険だな、と思った。
 このあたりは蒼兄に教えてもらったほうが良さそう。
 そうこうしているうちにお弁当の時間となる。
 みんながお弁当を広げる中、私は悩んでいた。
 どうしよう……。固形物は食べられる気がしない。かといって、スープだけを飲んでいるのを見られることにも抵抗がある。
 きっと、「何それ」という話になる。そしたら、私はなんて答えたらいいのだろう……。
 困る事態は極力避けたくて、私はこっそり教室を抜け出て、桜香苑へ向かうことにした。

 テラスから一階に下り、昨日問題集を解いていた辺りに向かって歩きだす。
 目的地までの道のりが長い。
 途中挫けそうになったけれど、挫けられる場所がなかった。
 なんとかベンチまでたどり着いて、芝生の上に腰を下ろすとため息が出る。と同時に、私の両脇に影ができた。
 びっくりして顔を上げると、飛鳥ちゃんと桃華さんがにっこり笑って立っていた。
 私が絶句していると、
「声かけてくれればいいのに。ひとりでご飯なんておいしくないわよ?」
「もしかして私たち、うざったかったりする?」
 飛鳥ちゃんが不安げな表情で訊いてくる。
 私は慌てて否定した。
「じゃあ、なんなのよ」
 桃華さんに詰め寄られ、睨まれた。
 どうしようか少し悩み、間接的、かつ正直に話すことにした。
「食べているところを人に見られるのが恥ずかしかったから……」
「なんで? 昨日は一緒に食べたでしょう? 今日は日の丸弁当なの? だったら私のおかず分けてあげるよ?」
 屈託のない、飛鳥ちゃんの言葉に良心が痛む。
 そして、決してかわせないような視線が桃華さんから注がれていた。
 だめだ……隠せない。
 仕方なく、私はランチバッグに入っているものを取り出した。
「お弁当がふたつあるの。ひとつは普通のお弁当。もうひとつは野菜スープ」
「何よ、普通じゃない」
 桃華さんの鋭い突っ込みに苦笑を返す。
「でも、今の私は普通のお弁当が食べられなくて、スープだけになっちゃう」
「どういう意味?」
「食欲がないの」
 答えた直後、
「翠葉、そんなに細っこいのにダイエットするつもりっ!? 絶対身体に良くないよっ!?」
 飛鳥ちゃんが真面目に心配してくれているのがわかった。
 だから、仕方なく全部白状する。
「違うの。ダイエットとかそういうことじゃなくて……ただ、食べられないだけなの。固形物が少しきついから、少しでも食べられるようにって、野菜の割とドロドロとしたスープを持たせてもらったの。いわば流動食的な……」
 それで納得してくれたのは桃華さんだった。
「ゼリー飲料で済ませないだけいいわね」
 飛鳥ちゃんは少し戸惑いながらこう言った。
「……翠葉は拒食症なの?」
 今まで勘違いされたことは何度もある。そのたびに否定して、けれど信じてもらえることはなかった。
 また、同じことの繰り返しになるだろう。そうも思いながら、私は否定する。
「違うよ。ただ、今は食べられないだけ。時々食べられなくなるだけだから……。そういう病気ではないの」
 飛鳥ちゃんの表情は曇ったままだ。
 けれど、疑われているわけでも、拒食症と烙印を押されたわけでもなさそうだった。
「まあ、いいわ。なんだか翠葉はたくさん秘密を抱えてる気がするけれど」
 桃華さんはそれ以上訊かずにお弁当を広げ始めた。
 私は「秘密」という言葉に少し身を縮める。そして、それを見逃す桃華さんでもなかった。
「無理に訊き出すつもりはないけど、いつか話してくれたら嬉しいわ。さ、食べましょう。お昼休みは有限よ?」
 その言葉に、この話題は幕を下ろした。

 中学のときのように、興味本位で根掘り葉掘り訊かれないことに驚いた。
 それに、人に言いふらす、といったこともされない気がする。
 どうしてだろう……? このふたりだから、なのかな?
 それとも、私がいた中学がおかしかったのだろうか。
 とにかく、このふたりは私が初めて出逢ったイレギュラーな存在だった。
 信じてもいいだろうか。
 好きになってもいいだろうか。
 ……そういうの、どうやって見分けるのかな。
 人を信じるのって、難しい――



Update:2009/05/05  改稿:2019/12/31


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