第三章 恋の入り口 03話
午後も午前と変わらず、数学の課題に取り組む。
秋斗さんは通話が終わったかと思えばまた通話で、なんだかとても忙しそう。
忙しいというよりは、さっきから通話に応じるたびに同じようなことを繰り返し話していて、相当機嫌がよろしくない。
でも、あれだけ何度も同じ話をさせられたら、不機嫌にもなるだろう。
そのくらい、似たようなやり取りを繰り返していた。
「いい加減にしてください。私がその会議に出る必要性をまったく感じないのですが。むしろ、時間の無駄かと……。――それは会社都合ではなくあなたの都合でしょう。一度切らせてください」
そう言うと秋斗さんは通話を切り、間を置くことなくどこかへ電話をかけ始めた。
「蔵元、佐々木専務どうにかして。今日一日スマホが鳴りっぱなしで仕事にならない。これが続くならこの番号、解約するけど? ――困るなら、蔵元がどうにかしろ。そもそも必要のない会議なんてさせるな。時間と経費の無駄だ。今回は会議がおまけで目的は見合いだろ? ――あぁ、そのデータなら九割方終わってる。夕方にはデータを転送できるから、安心していい。――だから俺に仕事してほしかったら電話を鳴らすな、OK?」
相当イライラしているのか、口調も荒い。普段、私と話す秋斗さんとは別人みたいだ。
何せ、自分のことを「俺」と言うところを初めて見た。
それに、会議がおまけでお見合いが目的って……?
私の視線に気づいた秋斗さんが、「ごめんね」と苦笑する。
私は会話を聞いていたことがばれてしまって恥ずかしくなる。
「こういうことは珍しくないんだけど、仕事に乗じて見合い話がついてきたりするんだ」
声の調子がいつもの秋斗さんに戻っていて、なんとなくほっとしてしまう。
そういえば、栞さんが言っていたっけ……。
十八歳を過ぎると見合い話が来るようになる、って。
「……大変なんですね」
それ以外の言葉が思い浮かばなかった。
「そうなんだ。だから翠葉ちゃん、僕のお嫁さんにならない?」
こういうふうに話を振るのは、秋斗さんの癖なのだろう。
それに対し、少しだけ慣れてきた自分がいる。
「お嫁さん選びはちゃんとしたほうがいいと思いますよ?」
にこりと笑顔を向けると、
「うまくかわすようになったね」
「どうでしょう?」
そのあとは電話が鳴ることもなく、とても静かな時間が過ぎた。
びっくりしたのは、電話が鳴らなくなってから。秋斗さんのタイピング速度がさらに上がったのだ。そこからすると、通話に応じていたときは、マックスの速度ではなかったのかもしれない。
人が仕事をしているところをじっくりと見るのは初めてのことだった。
うちは自営業だけど、仕事場が三階にあるため、お父さんとお母さんが仕事をしているところはあまり見る機会がないのだ。
だから余計に、新鮮に思えた。
普段はとても気さくに話してくれるけど、ちゃんと大人で、ちゃんと社会人なんだな……。
私の課題も粗方終わりに近づいていた。
これなら明日は一日未履修分野の課題に充てられる。
七限終了のチャイムが鳴り、思い切り伸びをする。
終わった! 数学のテキスト完全制覇っ!
ピアノやハープの曲を弾けるようになったときにも感じるけれど、こういう達成感が意外と好き。
「疲れたな」というよりは、達成感でいっそ清々しいくらい。
「もしかして、それ一冊終わっちゃったの?」
秋斗さんに訊かれ、
「合っているかはわかりませんけど、とりあえず全部終わりました」
「本当に計算速いんだね」
「どうでしょう?」
秋斗さんは感心したようにテキストの後ろからパラパラとめくり、思い出したように「お茶にしよう」と言い出した。
どうやら、いただきもののケーキがあるらしい。
お茶の準備を始めたとき、インターホンの音が鳴り響いた。
秋斗さんはパソコンのモニターを見る。
きっと、カメラ内臓のインターホンはあのパソコンに映し出されるようになっているのだろう。
ロックが解除され、入ってきた人は藤宮先輩だった。
「翠はキャンプ不参加か……」
「はい。先輩は……? 今日は部活じゃないんですか?」
「しばらくは生徒会が忙しいからこっち優先」
先輩は部屋を横切りカップボードの前でコーヒーを淹れ始める。
生徒会の仕事ということは、里見先輩たちも来るのかな?
「秋兄、そこのパソコン二台向こうに持っていくけどいい?」
「あぁ、いいよ。そっか、もうそんな時期か。あとで俺にも見せてね」
「どうぞご自由に」
なんの話かと思っていると、「気になる?」と藤宮先輩に訊かれた。
「はい、少し……」
「先日の球技大会のときの写真。あれが一斉に生徒会のメアドに送られてくる。それを一〇〇〇枚まで絞るのが今回の仕事。しばらくはひたすらプリントアウト。選りすぐったものを広報委員と一緒に食堂に展示」
あ、桃華さんが話していた校内展示――
先輩はコーヒーを半分ほど飲むと、カップはそのままにパソコンを持って隣の部屋へ移動した。
「さて、翠葉ちゃんはこのあとどうするの? 蒼樹はまだ大学でしょ? ここにいても全然問題ないけど?」
「今日は写真部の活動日なので、外へ写真を撮りに行ってきます」
「了解。今日は少し暑くなるみたいだから、気をつけるんだよ」
「はい」
ティータイムを過ごしてから仕事部屋を出ると、図書室にはすでに生徒会メンバーが集まっていた。
「あれー? 翠葉ちゃん、どうして? 一年って今日からキャンプでしょう?」
加納先輩に訊かれて、なんて答えようか考える。
嘘はつきたくないけれど、持病のことを話すのは抵抗がある。
なかなか答えられずにいると、窓際から視線を感じた。
この刺さるような視線は、きっと藤宮先輩。
「翠葉ちゃん?」
「あっ……体調があまり良くないので不参加なんです」
当たり障りのない返答したあと、気になって藤宮先輩を盗み見た。すると、こちらを見ていた視線は窓の外へと向けられる。
これはどう取るべきだろう……。
先輩、模範解答はなんだったでしょう……?
「大丈夫なの?」
荒川先輩に訊かれ、
「はい。普通に過ごしている分には問題ないので……」
嘘をついているわけじゃない。でも、嘘すれすれのラインを歩いている気がして心苦しい。
「……翠葉ちゃん、言いたくないときは言いたくないでいいと思うよ?」
里見先輩の言葉にびっくりした。
もしかしたら、表情に出ていたのかもしれない。
嘘はつけなくてもいいから、せめて隠しごとはできるようになりたいかも……。
「翠葉ちゃんってさ、体育がいつもレポートでしょう? 球技大会にも出てなかったし」
言いながら、春日先輩が手に持っていた写真を見せられる。
四枚の写真はいずれも観覧席に座っている写真で、それを見てはっとする。
私、もしかしたらすでにごまかしようがないほど墓穴を掘っているのかも……。
「……あの、私、運動ができないんです。だから、不参加で……」
目を瞑って言うと、「そうなんだ」「なるほど」「それは大変ね」なんて言葉が聞こえてきた。
「はい、そこまで!」
軽快な声に目を開けると、里見先輩が髪の毛をふわふわと揺らしながらやってくる。
「翠葉ちゃん、言いたくないことは言わなくてもいいの。ね?」
「……はい」
「うん。ところで、これ見る?」
里見先輩はプリントアウトされた写真を何枚も手に持っていた。
「翠葉ちゃんの写真、たくさん届いてるよ」
え……?
里見先輩が持っている写真のどれにも自分が写っている。
ただし、カメラ目線のものはひとつもなく、ほとんどが観覧席で応援しているものばかり。
その中の一枚は、私がテラスで風に当たっていたときのもので、ほぼ寝顔同然。
こんなの、いつ撮られたのっ!?
「あはは、固まってる固まってる! 因みにその寝顔、俺が撮ったんだ」
加納先輩が自慢げに話す。
「それ、かわいく撮れてますよねー? さすが写真部部長!」
言いながら、荒川先輩がその写真を里見先輩の手から奪っていく。
「まだまだたくさんプリントされてるよ」
春日先輩が指差したのは、テーブルの上で絶賛フル稼働中のプリンター。
プリンターは次々と写真を吐き出す。
それらに忙殺されると言った藤宮先輩の言葉は、嘘ではなさそうだ。
辺りに散らばる写真に視線をめぐらせ、どうしてこんなにも自分が写っているのかと誰かに訊きたい。
あまりにもびっくりして腰が抜けた。そんな私の隣に里見先輩が座り込み、
「翠葉ちゃん、大丈夫よ。翠葉ちゃんの写真を撮った生徒からは念書をもらっているから。絶対に悪用されることはないわ」
「そうそう、今回は茜先輩と翠葉ちゃんの念書を委任されてるからね」
荒川先輩の言葉に、聞きなれない言葉を反復する。
「ねん、しょ……?」
あ、桃華さんと佐野くんが言っていたもの……?
「毎回あり得ない枚数が上がってくるんだけど、あまりにも特定の人間の枚数が多いときは、念書書かせて悪用できないようにしてるんだ。対象は女の子に限り、だけどね。で、それが今回は茜と翠葉ちゃん。ま、茜は一年のときから毎回なんだけどさ」
と、加納先輩が辟易とした様子で話す。
「ほら、私もいっぱい写ってるでしょう?」
里見先輩は自分が写っている写真を数枚手に取り見せてくれた。
あ、本当だ……。カメラ目線のものもあるけれど、そうでないものも多数ある。
「そこ、ダンボールの中見てみたら?」
藤宮先輩に言われてカウンター内に置かれたふたつのダンボールを見ると、紙が無造作に入れられていた。
その内の一枚を手に取ると――
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念書
御園生翠葉様
私、○年○組○○○○は、このデータを二次配布、ネットへの流出等悪用いたしません。
問題を起こした際には停学処分を謹んでお受けることをここに約束いたします。
○年○月○日 ○年○組 ○○○○○
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ちゃんとした念書だった。
隣の箱には「里見茜様」という名前で同様の念書が入っている。
「これ、ちゃんと履行されるから大丈夫よ」
すごい……。
私は開いた口が塞がらなかった。
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