第三章 恋の入り口 04話
床にしゃがみこんでいるとピッ、と音がして自動ドアが開く。
入ってきた人は見たことのない人だった。
「朝陽、遅い」
藤宮先輩から容赦ない一言が飛ぶと、柔和な表情がくしゃりと崩れ、
「悪い、最後の回収に手間取ってた」
その人が手に持っているのは念書と同じ大きさの紙の束。
「これで最後?」
「そう」
藤宮先輩は紙の束を受け取ると、枚数確認を済ませて私に差し出した。
あ、私宛の念書……。
「これで全部だから安心していい」
「ありがとう、ございます……」
呆然としていると春日先輩が、
「翠葉ちゃんの念書を集めるのに暗躍したのは簾条さんと佐野くんと司なんだよ」
「因みに、茜先輩のは私と会長と優太が動いてたの」
「生徒の自主性や自由は縛らない。でも、節度を持たせたりこういう部分でしっかりけじめをつけさせるのがうちの方針」
加納先輩が自慢げに話す。
私はひとり呆気にとられていた。
「その子なの?」
と、念書を持ってきた人がこちらに寄ってくる。
「二年B組、
にこりと笑って手を差し出された。
……ここにも王子様がいた。
加納先輩みたいなキラキラした感じじゃなくて、実在しそうな王子様。
気品ある顔立ちで、髪の毛は少し茶色く、襟足だけが長い。
身長は一八〇センチないくらい。藤宮先輩と同じくらいだ。
細身だけど、何かスポーツをやっている気がする。そんな体型。
「翠葉ちゃん、大丈夫大丈夫。それも人畜無害だから」
笑いながら教えてくれたのは春日先輩。
「一年B組御園生翠葉です。お手数をおかけしてすみません……」
「そんなお礼を言われるようなことでもないよ。これも生徒会の仕事だしね」
人好きのする笑顔を向けられて思う。秋斗さんに少し似ている、と。
人当たりがソフトで、笑顔が甘いところが似ているのだ。
「噂には聞いていたけど、本当に人のことをじっくり観察する子だね」
言われてはっとする。
「すみませんっ」
「気にしないで? 見られるのは慣れてるから」
慣れ、てる……?
「俺、格好いいからね。女の子によく見つめられるんだ」
屈託なく笑って答える先輩をしげしげと見つめる。
藤宮先輩とは全然違う人だ……。かといって、秋斗さんや海斗くんともちょっと違う。
すばらしく、軟派っぽい人。
それが美都先輩の第二印象になってしまった。
春日先輩、本当にこの人は人畜無害でしょうか……。
「翠は外に行くんじゃなかった?」
「あ、そうでした……。加納先輩も今日は部活お休みです?」
「うん。こっちやらなかったら後ろのおっかないのに怒られる」
加納先輩は藤宮先輩を指差しながらおどけて口にした。
加納先輩からしてみたら、藤宮先輩は後輩のはずなんだけど……。やっぱり影の会長なのかな?
「翠、何を考えているのか当てようか?」
久しぶりに、肝まで冷えそうな笑みを向けられ、
「いえ、結構です。私、写真撮りに行ってきます」
私は逃げるように図書室をあとにした。
外は思っていたよりも暑かった。
「五月半ばで二十八度って普通だったかな?」
例年よりは少し気温が高めではないだろうか。
頭の片隅で地球温暖化を考えながら、桜香苑へ向かう。
桜香苑の中には、小川が流れ込む広い池があるのだ。
池には木組みで作られた芸術的な橋が架かっており、橋を渡ったところには弓道場がある。そこだけを切り取ってみると、高校の敷地内とは思えない。
対岸から道場の様子を見て、風流だなと思う。
先日、秋斗さんが教えてくれた射法八節を思い出しながら、弓道部の部員を見ていた。
みんな同じ動作をしているけれど、何かが違う。
藤宮先輩の印象が強烈すぎて、どうもしっくりとこない。
先輩が矢を放ったあのとき、「無」を感じた。
「また先輩が弓道してるところ、見たいな……」
ここへ通ってきていたら、いつかは見ることができるかもしれない。
そんなことを考えながら、周りに撮りたいものがないか探し始める。と、池の中に小さな白い花を見つけた。
どうやら、水草の花らしい。
ふわっとした白い小さなお花の真ん中が、黄色くてかわいい。
接写ができるほどには近づけないので、ズームをきかせてチャレンジ。
対象物と距離があると、アングルも限られてくるのでなかなかうまくは撮れない。
三十分ほど粘っても思うようには撮れず、最後には諦めた。
少し休憩をしようと思い、桜の木の根元に腰掛ける。
空を見上げると、桜の若葉が陽の光を受けてキラキラと輝いていた。
「きれい……」
最近の森林浴といえばもっぱら桜香苑で、少々物足りなさを感じていた。
だから、日曜日の森林浴はとても楽しみ。
片道二時間の遠出と言っていたけれど、二時間あったらどこまで行けるだろう。
ぎりぎり隣の隣の県くらいまで行けそうな所用時間。
頭の中に地図を思い浮かべてみたけれど、やっぱり地理は苦手で、早々に考えるのをやめてしまった。
芝生に手を付くと、瑞々しい葉っぱがひんやりと冷たくて気持ちがよかった。
ためしに、先日の飛鳥ちゃんのようにゴロンと横になってみる。
あぁ、これは気持ちがいいかもしれない。
飛鳥ちゃんが気持ち良さそうに寝ていたのも頷けるというものだ。
カメラを身体の脇に置き、軽く目を閉じた。
鳥のさえずりや、風が吹いたときに聞こえる葉と葉の擦れる音が、耳に優しく届く。
気持ちがいいな――
「――ちゃん、翠葉ちゃんっ!?」
ん……――ん?
「……あ、れ? 秋斗さん……どうしたんですか?」
気づくと、秋斗さんが私の横に膝を着いて肩を揺すっていた。
「……具合が悪いわけじゃない?」
「……は、い」
秋斗さんは大きなため息をついてカックリと項垂れる。
「もしかして私……寝てました?」
秋斗さんは私の頬を摘み、
「えぇ、それはもう死んだようにぐっすりと……」
顔には恐ろしいまでの笑顔を貼り付けていた。
「ごめんなさいっ」
謝ると、次の瞬間にはぎゅっと抱きしめられる。
「わっ、秋斗さんっ!?」
「……ちょっとした報復です。こういうの、苦手でしょ?」
抑揚のある話し声に、叱られているのだと思った。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい……だから、あの、放してくださいっ」
「だーめ、もうちょっと」
そうは言うけれど、腕の中からは解放され、手だけを掴まれた状態になる。
「びっくりしたよ……。体温が急に下がるから。こんなに手も冷たくなってるし」
そこまで言われて気づく。
バイタルを見ていて、心配してここまで来てくれたことに。
「こんなところで寝たら身体冷えるし風邪ひくよ?」
「すみません……。寝るつもりはなかったんですけど、気がついたら秋斗さんに起こされていて……」
「今日一日であの問題集を終わらせたんだ。そりゃ、脳が疲れていれば眠くもなるよ」
頭を軽く小突かれ、
「僕の仕事部屋、奥に仮眠室あるから寝るんだったらそこで寝てください」
私は頭を下げてお願いされた。
図書室に戻ると、生徒会メンバーがまだ残っていた。
そして、さっきに増して写真の枚数が増えている。
図書室は意外と広い。けれど、その床がほとんど写真で埋まるほどの分量なのだ。
ものの見事に、足の踏み場だけが小道のように空けられている。
これでもパソコンでチェックして、ピンボケしているものは最初からプリントアウトしていないというのだから、どれほどの枚数が送られてきているのかは考えたくもない……。
「あ、秋斗先生帰ってきたよ」
こちらに気づいた美都先輩が口にする。
「血相変えて出て行ったから何事かと思いましたよー」
荒川先輩がペシペシと秋斗さんの腕を叩き、里見先輩が、
「翠葉ちゃんのお迎えだったんですね」
傍目に見てそんなに慌てていたのか、と思えばさらに申し訳なさが募る。
みんながこちらを見る中、加納先輩だけは写真の選定に夢中で話には混ざらない。
あれ……? そういえば、藤宮先輩がいない。
図書室内を見渡すと、次の瞬間には秋斗さんの仕事部屋から藤宮先輩が出てきた。
その表情を見て身が竦む。
どうしてあんなに怖い顔をしているのだろう……。
無表情がデフォルトの人だけど、ここまで不機嫌を露にしているのも珍しい。
私と秋斗さんを睨んだように見えたのは気のせいだろうか。
秋斗さんを振り仰ぐと、「しまった」という顔をしていた。
藤宮先輩はというと、何も言わずに生徒会の作業に戻る。
「とりあえず、翠葉ちゃんはお茶を飲んであたたまろうか」
促され、仕事部屋へと通された。
ドアを閉めた秋斗さんは顔の前で両手を合わせ、
「ごめんっ」
「え……? 謝らなくちゃいけないというか、反省しなくちゃいけないのは私のほうだと思うんですけど……」
「……違うんだ」
秋斗さんはドアに背を預け、天井を振り仰ぐ。
「パソコンにバイタルのウィンドウ開いたまま出ちゃったんだ。で、今この部屋から司が出てきただろ? それであの顔だ。見られた可能性が高い」
……なるほど。
睨まれた理由が少しわかったかもしれない。
「たぶんあいつは、翠葉ちゃんが自分で言うまでは訊いてこないと思うけど……」
「でもそれ、お互いに結構いやな感じですよね?」
苦笑を向けると、
「だよねぇ……。本当に申し訳ない」
秋斗さんは頭を下げて謝る。
「いや、もうなんていうか……一種不可抗力ですし……。でも、どうしましょう?」
思わず訊いてしまう。
「あああ……本当に申し訳ない」
とはいえ、あんなところで寝てしまった自分が悪いわけで……。
「秋斗さん、気にしないでください。悪気があったわけじゃないですし、私があんなところで寝ていたのがいけないので……」
そうこうしている間に蒼兄が迎えにきた。
ネット小説の人気投票です。投票していただけると励みになります。
↓コメント書けます↓