第三章 恋の入り口 05話
「……なるほどね。それで俺が入ってきたときに鋭い視線が飛んできたわけか……」
蒼兄がこの部屋に来て早十分。
早速先ほどの出来事を話し、泣きついた。
「翠葉はなんでそんなところで寝ちゃったかねぇ……」
呆れられつつ叱られつつ。
どうやら蒼兄が図書室に入ったとき、藤宮先輩にすばらしく冷たい視線を向けられたのだとか。
つまり、さっき仕事部屋から出てきた先輩に睨まれたと思ったのは気のせいではなく、間違いなく睨まれていたのだろう。
「蒼兄、どうしよう……」
「どうするもこうするも、身から出た錆だし……」
「翠葉ちゃん、本当にごめんね……」
秋斗さんはさっきから謝ってばかりだ。
「翠葉はさ、いきさつまで話さなくちゃいけないと思うから話せないんじゃない?」
「うん……。バングルをつけていることを話すのは簡単なのだけど、話したら『なんでそんなものをつけているのか』って話になるでしょう? 藤宮先輩は間違いなく訊いてくるでしょう? そしたら、なんて答えたらいいのかな……。バングルをつけたことによる利点を話せばいいの? 本当に知られたくないことを隠すために、いい面ばかりを話すの? ……それ、嘘はついていないのかもしれないけれど、なんだかものすごく後ろめたい気持ちになりそう……。でも、本当のことを話すのは――怖い」
本来なら、「自分からSOSを出せるように善処しましょう」で済むはずのところ、私の性格や行動に問題があって、こういうことになっているわけで、そこを話さないのは、ひどくご都合主義に思えてしまう。
話さないことは嘘をつくこととイコールじゃない。でも、すべて話しているように見せかけて、根本的な部分を隠すのはどうなのかな……。
もしあとで本当のことを知られたら、そのとき人はどう思うのだろう。
「ひとつ、翠葉が知らないことがあるんだ」
「……何?」
最近こういう展開が多い気がして、先を聞くのが怖くなる。
でも、蒼兄の表情は険しいものではなく、穏やかそのものだった。
「秋斗先輩がそのバングルを作ったきっかけは、俺が心配症だからっていうのもあるけれど、それが先じゃないと思うんだよね」
そう言うと、蒼兄は秋斗さんに視線を移した。
「先輩がこの装置を作るきっかけになった話を、してもらってもいいですか?」
蒼兄が訊くと、秋斗さんが「あぁ、そっか……」と口にした。
「え……? 蒼兄の心配症がもとじゃないんですか?」
でなければ何……?
湊先生か紫先生に何かを言われたとか……?
「今の今まですっかり忘れてたんだけど、たぶん、司の言った言葉がきっかけかな。……けどとりあえず、翠葉ちゃんがあたたまるのが先決。ほら、立ちっぱなしは良くないでしょ?」
そう言って私をクッションに座らせると、秋斗さんはお茶を淹れてくれた。
「翠葉、体温がすごく下がってたけど寒気は?」
「ううん、少し手足が冷たくなってるくらいだと思う」
自分の手で身体のあちこちを触ってみたけれど、ぬくもりと言うぬくもりは感じない。
これは結構冷えたのかな……。でも、とくに痛みはないし……。
必死に感覚をたどろうとしていると、蒼兄の手が伸びてきた。
「……これはちょっと手足が冷えたっていうレベルじゃないだろ」
呆れた顔で後ろから抱きかかえられる。
「蒼兄、あったかいね」
背中からじわりじわりと伝わる体温がとても心地いい。
思ったことを口にしたら、顎で頭を小突かれた。
秋斗さんがあたたかいハーブティーを持ってきてくれソファに座ると、入学して間もないころの話をしてくれた。
「入学してすぐ、具合が悪くなって司に保健室へに運ばれたことがあるでしょう? あの日、病院から学校へ戻ってきたら、図書室に司が残ってたんだ。もう大丈夫って伝えたんだけど、あいつ、椅子に座ったまま固まっててさ。顔は蒼白だったよ」
そんなにも驚かせてしまったんだ、と秋斗さんの話を聞いて実感する。
そういえば、秋斗さんに病状を話して藤宮先輩には話さずにいようとしたとき、すごく不機嫌そうだったっけ……。
……あれ? もしかして状況は今と同じ……?
「で、俺に言うんだ。あんな状態なのにとても助けを求めてるようには見えなかったって。それどころか、気づかれないようにしていた節があるって。あれじゃいつか死ぬよ、ってね。たぶん、翠葉ちゃんの異常行動にいち早く気づいたのは、湊ちゃんでも紫さんでも蒼樹でもない。司なんだ。……僕が、この装置の開発を始めたのはその翌日からなんだよ」
知らなかった。そんなふうに思われていたなんて……。
私は湊先生から言われるまで気づかなかったのに、会って三日目の先輩の目には、そんなふうに映っていたのね……。
あの日以来、どこで会っても必ず体調のことをたずねられた。
それはただ気を遣って、というものではなかったのかもしれない。
「翠葉、だから……というわけじゃないけど、バングルをつけるいきさつを話しても、司は驚かないだろうし、さほど衝撃も受けないと思うよ。衝撃ならあの日のうちに受けたはずだから……」
すべて話し終わったあと、
「どっちにしても、僕はごめんなさいなんだけどね」
と、秋斗さんが肩を竦めて苦笑した。
つられて変な顔で自分も笑う。
困ったな……。
バングルのことを知られてそのままにしておくのも気まずかったけれど、根本を知られているのはなんだかもっと気まずいものがある。
「蒼兄……私、どこかに穴を掘って隠れてしまいたい心境なんだけど、どうしたらいいかな……」
「あ、それならちょうどいい場所があるよ?」
秋斗さんは仕事部屋にある、ふたつ目のドアを指差した。
「仮眠室なんだけど、使うならどうぞ?」
「……すみません。少しの間お借りします」
秋斗さんが電気の場所を教えてくれたけれど、電気を点ける気にはなれなかった。
室内には小窓があり、今は日が暮れる前のわずかな光が差し込むのみ。
仮眠室は、三階へ続く階段のほかにシングルベッドがひとつあるだけで、ほかには時計も椅子もない。
ベッドの上には寝具類を乗せる棚がついていて、そこに厚手の羽毛布団が載っていた。
私は吸い寄せられるように部屋の突き当りまで歩き、床にペタンと腰を下ろす。
どうしよう、どうしよう、どうしよう……。
たぶん、丸っと話してしまうのが一番いいのだろう。
でも、桃華さんにも話すと約束しているのだ。
「話すことが人によって違うのは、良くないよね……」
そうは思っても、何も知らない桃華さんに話すのは、先輩に話す以上に勇気がいる……。
「どうしよう……」
知っているのに、気づいてしまったのに、話してもらえないのはいやな感じだろうな……。
藤宮先輩は、私の行動をどう思っただろう……。
言いづらいと思う理由は、そこな気がする。
自分がどう思われているのかを知るのが、怖い……。
光陵高校を中退したときに感じた気持ちに、近いものがあるかもしれない。
人に自分がどう思われているのかが、怖い……。
それがどうでもいい人なら、もう少し開き直れた気がする。けど、藤宮先輩はどうでもいい人というわけではないから……。
どうでもいい人ではないし、いつも気にかけてくれている人だから、余計に怖いのだ。
「やっぱり私、意気地なしだ……」
少しは変われたつもりでいたのに、本当は全然変われていなかった――
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