側に行くことが憚られ、キッチンでお茶を淹れることにした。
それに気づいた唯兄が、
「リィ、少しだけ仕事の打ち合わせさせて。あと五分もしたら終わるから」
迫り来る時間にドキリとした。
「はい」と普通に答えたつもりだけれど、もしかしたら声が上ずっていたかもしれない。
直後、蒼兄の視線を感じそちらを見ると、「大丈夫だ」とそんなメッセージを読み取ることができた。
深呼吸をしよう、深呼吸……。
お茶の用意をしながら極力深い呼吸を心がける。
お茶は、最近栞さんがよく淹れてくれるローズヒップ&ハイビスカスティー。
そのまま飲むと酸っぱすぎるお茶も、ハチミツを垂らせばほんのりと甘く、ほっとする味になる。
耐熱ガラスのカップに注いでふたりのもとへ持っていくと、私はひとりカップを持って自室へ戻った。
部屋に入るとサイドテーブルにカップを置き、デスクの上に置かれた手提げ袋を枕元へ移す。
枕元は私の大切なものを置く定位置。
ここ最近だと、携帯電話が置いてあることが多い。
決して携帯に依存しているわけではないと思う。
どちらかというならば、使う頻度は低い。けれど、携帯というアイテムは、いくつか操作をするだけで人とつながることができるアイテムなのだ。
人とつながることのできるアイテム――それが私にとっていかに大きな心の支えとなっていることか……。
時に、具合が悪いときは「SOS」を出すアイテムにも変わる。
……本当は携帯だけでいいんだろうな。
こんなバングルをつけなくても、自分で「SOS」を発することができればバイタルチェックの必要性はなくなる。
今なら、私は自分から人に助けを求められるだろうか――
残念ながら、答えはすぐに出なかった。
そうこうしているとドアがノックされ唯兄がカップを持って入ってくる。
「「緊張してるよね?」」
顔を合わせたと同時、ふたりが発した言葉だった。
だって、唯兄の顔がすごく固かったから。
きっと、私も負けずじとそんな顔をしていたのだろう。
唯兄はデスクにカップを置くと、私と同じようにベッドへ座った。
向き合うような形で座っているけれど、どうしても唯兄の顔を見ることができなくて、視線をお布団に落としてしまう。
「聞きたくない?」
「違う……聞きたいの。でも、怖いから……」
「怪談ぽい話をするつもりはないんだけどなぁ……」
「……もう、こんなときに冗談言わないでっ」
「あ、一応冗談ってわかるんだ?」
「……そのくらいはわかるもの」
唯兄はクスクスと笑った。
「唯兄、提案……。背中合わせでお話ししよう?」
「背中合わせ?」
「うん……。向き合ってお話しすると、自分の顔がぐにゃってしちゃいそうだから……。だから背中合わせ希望」
「いいよ、そうしよう」
その言葉を合図に、ふたりとも後ろを向いて背中をくっつけ体育座りをした。
「じゃ、昔話の始まり始まり」
どこか茶化した感じでお話が始まる。
「俺には三つ年下の妹、
唯兄は淡々と話すけれど、聞いている私は淡々と聞ける内容ではなくて。しまう引き出しが見つからない言葉たちは無秩序に溢れていく。
「まだ俺が中学のころ、音楽や花が好きだったセリにオルゴールをプレゼントしたんだ。そのオルゴールにはちょっとした仕掛けがしてあって、鍵がふたつないと曲が聞けない仕組みになってた。これ、俺が初めて作った機械仕掛け。アナログだけどね……。でも、中学生だった俺にしては上出来だったと思う。セリもすごく喜んでくれて、毎日ふたりでオルゴールを聞いたよ。セリにはトルコ石がはめこまれた鍵を渡して、自分にはガーネットの石がはめこまれた鍵。今朝、リィが拾ってくれたアレ、ひとりひとつずつ持つことにしたんだ」
ここまでは湊先生に聞いていた内容とほぼ同じ。
ドキドキしだす心臓に、お願いだからもう少しゆっくり動いて、とお願いする。
「俺はちょっとした理由からセリのお見舞いには行けなくなった。そうこうしている間に両親と心中されてしまった。……けど、遺留品の中にも遺品の中にもオルゴールと鍵はなかった。セリはオルゴールを大切にしていたから、まさかそれが壊れてしまうような場所へ持っていくことはないと思った。でも、どこを探しもオルゴールは見つからなかった。その見つからないオルゴールを探し続けてもう三年。たぶん、もう見つからないってわかってるけど、諦められないんだよね」
聞いていて違和感を覚えた。
「……唯兄、どうしてセリカさんは壊れてしまうような場所へ持っていくことはないと思ったの? ……心中はご両親が計画したものだったのでしょう?」
それではまるで――
「セリは気づいていたと思う。両親が心中を考えていることなんて」
どうして……。
「わかってて車に同乗したんだと思う。……俺の想像だけどね」
自嘲気味に笑う声が痛々しかった。
「セリは人の気持ちにすごく敏感な子だった。いつも人の先回りをして物事を考えるような、そんな子だった。だから、セリが気づかないわけがないんだ」
私の中にあるお姉さんのイメージは、儚い人だった。
笑っているのにどこか寂しげで、悲しそうな……そんなイメージしか残っていなかった。
「唯兄はどうしておね――セリカさんに会いに行ってあげなかったの?」
それが知りたかった。
お姉さんはあんなにも会いたがっていたのに……。
「それはまだ言えない」
それを聞いてからオルゴールを返したかった。
「どうしても、だめ?」
「……珍しく食い下がるね? ――でもだめ。まだ言えない」
一番聞きたいことだったけど、言えないというのなら仕方ない……。
私はこのオルゴールを返さなくてはいけない。
でも、怖い――
「唯兄――もし、もしオルゴールが見つかったらどうする?」
「それこそあり得ない。あれだけ探してなかったんだ……。俺、事故現場を何度も探したくらいのマニアだよ? 一度、秋斗さんが手を回してくれて、警備員十人使って根こそぎ調べたこともある。それでも見つからなかったんだ。今さら見つかるわけがない」
でも、そのオルゴールは今この部屋にあるの……。
「だから、もし……だよ。もし唯兄の手に戻ってきたらどうする?」
訊いた途端、くっつけていた背中が離れた。
ふいに部屋の空気が変わる。
「リィ、限度がある。見つかりもしないものを見つかったら、なんて言葉で話せないだろ」
低い声が背中に響いた。司先輩の声とは違う。とてもドスの利いた声だった。
恐る恐る振り返ると、ものすごく怖い顔をした唯兄がいた。
一瞬目をぎゅっと瞑って息を吸い込む。
目を開け、枕元に置いた手提げ袋に手を伸ばした。
それを一度胸元に抱えてから、
「唯兄……それでも、『もしも』は存在するかもしれないでしょう?」
「……リィ、いい加減にしろ」
本気で怒っている声だった。
覚悟を決めるときだった。
体育座りを解き、唯兄に向き直って正座する。
唯兄は鬼のような形相をしていた。
「これ……何とも知らずに私が三年間持っていました」
そう言って手提げ袋を差し出す。
「まさか――」
それは声にはならず、唇だけがその形を模る。
震えた手が手提げ袋に伸びてきて、しっかりとそれを掴んだときに自分の手を離した。
オルゴールの重みはなくなったはずなのに、私の手はまだ自由にならない。
封も何もされていない手提げ袋は少しだけ開いていて、中に何が入っているのかは容易に見ることができる。
それを目にして驚愕した唯兄は、手提げ袋の口をぐしゃりと掴んだ。
どうしたらいいのかわからない、そんな表情で顔を背け壁を見る。
切れるんじゃないか、と思うほどの強さで唇を噛みしめていた。
「唯兄、血が……」
唯兄に手を伸ばしたそのとき、思い切り手を振り払われた。
「痛っ……」
加減をされていない力――男の人の力だった。
途端に身体が震え出す。
だめ――翠葉、しっかりして。
今、わけがわからなくて混乱しているのは唯兄だ。私がしっかりしなくちゃ……。
「どうしてこれをあんたが持ってるんだよっ」
怒声。そう言ってもおかしくない声だった。
「あの……お姉さんが――看護師さんから……」
言いたいことをまとめることができなかった。
「あぁ……別にいい。理由なんて聞いたところで何が変わるでもないし。俺、帰るわ」
唯兄はそう言ってに立ち上がった。
だめっ――
つ、と背筋に汗が伝った。
これだ、湊先生が恐れていたのは――
「唯兄だめっ、帰っちゃだめっっっ」
帰らないで、ひとりにならないで。
必死に唯兄に手を伸ばし腕を掴む。と、さっきと同じように力いっぱい振り払われた。
ガツッ――突如頭に衝撃が走り、私は気を失った。
Update:2009/07/28 改稿:2017/06/19


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