その言葉に心臓がドクリ、と音を立てる。
自覚はしていたが、第三者に言われると一味違う。
「秋斗さんのことも避けてるし、司っちのことも避けてる。下手したら家族すら遠ざけようとしてた」
最後の一言に目を瞠る。
「なん、で……」
なぜ家族まで避ける必要がある……?
「そんなのこっちが訊きたいよ。司っち何やってんのさ。寡黙が美徳だとでも思ってるわけ? 君の気持ちってさ、今言わないでいつ言うんだよ」
寡黙が美徳だとは思っていない。
俺の言葉数が少ないのは、言葉を交わすに値しない人間と付き合うのが面倒だからだ。
ただし、翠はその中に含まれない。
「報告する義理はない」
が、この人に言われっぱなしなのは癪に障る。
「……二週間近く前、伝えはしました」
「は?」
訊き返してくれるな……。
こういう話を人とすることが柄じゃないことを改めて実感する。
俺は居心地の悪さに顔を逸らした。
「紅葉祭二日目に俺の気持ちは伝え済み。勘違いもされていないはずです」
これ以上質問されずに済む返答を与えたはずだった。が、次は単なる質問ではなく、「確認」を含む厄介な質問を返された。
「それはつまり……リィに好きって言ったってことだよね?」
「それ以外に何が?」
これ以上何を言うつもりもない。
「それでなんでこんなことになってるのさ」
「そんなの俺が知りたいです」
さっき言われたばかりの言葉に笑みをつけて突っ返す。
「じゃぁさ、リィが誰を好きなのかは聞いたの?」
唯さんに質問をやめる気配はなく、即リターンがくる。
その行動の一端に、秋兄の部下たる所以を垣間見た気がした。
さすがとしか言いようがない。
ここまで神経図太くないと秋兄の直下は務まらないのだろう。
半ば諦めの境地で、俺はこの人の話に付き合うことにした。
「聞きました」
「つまりは両思い?」
「夢じゃなければ?」
「何、その司っちぽくない非現実的な発言」
あんたとその妹が言わせてるんだろ……。
なんて、ストレートには言わない。
できるだけ遠まわしに、嫌みたらしく言ってやる。
「最近自信喪失気味なんです。情けないことに、ものの見事に避けられまくっているもので」
今、俺の表情は「絶対零度の笑顔」と言われるそれなのだろう。
そんなことを考えつつ、目の前の薄っぺらい壁を越えるために言葉を続ける。
「だから、翠本人に確認しに来たんですが……?」
「なるほど。状況は理解した。でも、ごめん。やっぱ帰って?」
「今の話の流れでどうしたらそういう返答になるのかご説明いただけますか?」
「説明するの面倒」
「理解に苦しむ」
「別に理解してくれなくていいよ?」
「薄っぺらい」と思っていた壁は存外薄くはなかった。
睨み付けた相手は口角をしっかりと上げ笑っているように見えるものの、目は寸分とも笑ってはいない。
「まず、物理的な壁をひとつ提示。リィはさっきお風呂に入ったばかりです。それの示すところは? ……長風呂につき、二時間近くは出てきません」
そんなの出直してくればいいだけのこと。
「第二に、リィが会いたくない人間にわざわざ会わせようとは思わない。リィが会うって言うならともかく、今は間違いなく答えは『否』だ」
断定口調に腹が立つ。
けれど、それが疑いようのない事実なだけに、何を言い返すこともできない。
「だいたいさー、こんな夜半に大事な妹に会わせられますかっつーんだ。まずは俺に門前払いされないところでリィに近づくことだね」
にこりと笑う男を投げ飛ばしたい衝動に駆られつつ、ひとつの約束を思い出す。
「あぁ、それでしたらすぐに会えそうだ」
「ん?」
「日曜日、翠と会う約束をしているので、そのときに訊くことにします」
「マジでっ!?」
「えぇ」
俺は少し勝ち誇った気になっていたが、次の一言に水を差される。
「それ、反故にされないといいね?」
現状、いつ反故にされてもおかしくないだけに笑えもしなければ、冗談になどなりようがない。
「今日のところは帰りますが、明日の小テスト、翠が満点クリアできなかったら唯さんの教え方が悪かったと認識せざるを得ませんね。……失礼します」
十階へ戻ると姉さんが帰宅していた。
「翠葉が気になってこっちに帰ってきたの?」
「さぁね」
自室に直行しようとしたら、意味深な言葉を投げられた。
「ふ〜ん……あまり嬉しくないであろう耳より情報を教えてあげようと思ったのに」
……嬉しくない耳より情報?
そんなものは聞きたくないと思いつつ、気になる自分がいるのも事実だった。
「翠、胃の調子が悪いみたいだけど、何か聞いてる?」
「あぁ、今日の五限に胃痛で海斗が連れてきたわ。薬飲ませて少し休ませたら多少は良くなったみたいだけど」
あのあとか……。
そうは思うものの、スラスラと話すあたり姉さんが持っている情報はこれではない。
「……何」
訊くと、意外すぎる情報がもたらされた。
それは、翠がひとりで母さんに会いに行ったというもの。
「お母様に連絡したとき、日曜日に司と来る予定だったって言ってたけど?」
「どうなってるのよ」と言わんばかりの視線を向けられる。
「そんなの知るか……」
知りたいのは俺のほうだ。
あれこれ訊きたがる姉さんをあしらい、俺は部屋に篭った。
翠が俺と秋兄、それから家族を遠ざける理由――
俺と秋兄だけならまだしも、家族が絡むとなると話は別だ。
俺と秋兄、それと御園生家の共通点はそんなに多くはない。
むしろ、理由となりそうなものはひとつしか思い浮かばなかった。
翌日の土曜は移動教室が多く、翠のクラスを尋ねる時間がなかった。
ホームルームが終わってから二階へ下りても、翠はすでに下校したあと。
今日は午後から仕事だと言っていたか……。
翠の予定を思い出しつつ部室棟へと向かった。
午後の部活を三時半で切り上げ、俺は一度自宅へ戻る。
帰り道、ハナの散歩をしている母さんと会った。
「いつもよりも早いのね?」
「あぁ、着替えたら庵へ行く」
「あら、珍しい……。司が行くということは、今日はお父様が庵にいらっしゃるのね? そうだわ! お父様にお夕飯をご一緒しましょう、と伝えてもらえるかしら? 今日はお鍋にしようと思っているの」
「わかった、伝えておく」
母さんは俺の返事に満足そうな笑顔になり、思い出したように口にした。
「そういえば、明日はキャンセルになったのよね?」
「……昨日、翠がひとりで来たって?」
「そうなの。そのとき、自分の都合ですみません、って謝っていたから、日曜日に予定がはいったのかしら、と思ったのだけど……違うの?」
「俺は何も聞いてない」
「あら……」
明日のことに関して説明できるほどの情報を持っていないだけに、何やらばつが悪い。
その沈黙を破ったのはハナだった。
華奢な前足を俺の足へかけ、後ろ足二本で立っている。
姿は愛らしいくせに、目は高慢そのもの。
これは、「かまえ」と言っているに違いない。
「あとでじーさん連れて帰るから。そしたらじーさんにでも向かって目一杯吼えるんだな」
「あら、最近はだいぶ慣れたのよ?」
俺が抱き上げないことを理解すると、ハナは母さんのもとへと戻り抱っこをおねだりする。
「だーめっ! ハナはもう少し歩かなくちゃ。涼さんに運動不足って言われちゃうわよ?」
母さんはハナに言い聞かせるように話し、
「私たちはもう少しお散歩してくるわ」
と、藤山の小道へ入っていった。
Update:2012/02/08 改稿:2017/07/18
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