光のもとで

第14章 三叉路 47話

「リィはどこまで知りたい?」
 この質問は、先ほどお母さんに訊かれた内容を指すのだろう。
「……全部、全部知りたい……」
 覚悟を決めて口にすると、唯兄はにこりと笑ってひとつ頷いた。
「じゃ、俺が話せる全部を話すよ」
 少し気になる物言いだったけれど、唯兄は今日の背景にあるものをひとつひとつ丁寧に教えてくれた。
 事の発端は、秋斗さんに持ち込まれたひとつの見合い話にあるようだ。
「雅嬢と秋斗さんの見合い話はリィも知ってるみたいだけど、これを目論んだのは、当時藤宮警備の重役だった佐々木さんって人。雅嬢が一族の中――それ以前に両親ともうまくいってないのをいいことに、秋斗さんとの仲を取り持つことで後見人的なポジションにおさまるつもりだったみたい。ま、知ってのとおりうまくはいかなかったわけだけど……。うまくいかなかったどころか、秋斗さんの不興を買って、役付き取締役って管理職を剥奪され本社から支社へ出向。傍迷惑なことにさ、ここまでされても懲りない人間ってのがいるんだよ。どうやら、雅嬢には秋斗さんを。自分の姪には司っちをって考えてたらしい。まったくおめでたい頭してるよねー? たぶんさ、秋斗さんと雅嬢の線がだめになって、自分の姪に全力を注ぐことにしたんだろうね。その姪もかなり乗り気だったらしいし。でも、やっぱそんな目論見はうまくいかないんだよ。紅葉祭を境に、司っちの意中の人間が誰かって話は噂になったでしょ? それは姪の耳にも入ったし、何経由かは知らないけど佐々木さんの耳にも入った。相手は、秋斗さんの想い人でもあるリィ。それを知って姪の見合いを強行するほどバカではなかったらしい。急遽、姪には中小企業の跡取り息子を宛がった。ま、妥当だよね。ところが、その姪は司っちとお見合いができるものと思っていたわけだから面白いわけがない。財閥御曹司との見合いが中小企業の跡取り息子、しかも自分よりも十歳以上も年食った相手と、って条件にすげ変わっちゃったんだからさ」
 テンポよく話していた唯兄は、一度言葉を切った。
「さて、ここで問題です。佐々木さんの姪とは誰でしょう」
「……もしかして、さっき私が叩いてしまった人……?」
「ピンポーン!」
 人差し指を軽快に立てた唯兄は、さらなる「つながり」を教えてくれる。
 佐々木さんの妹さんが嫁いだ先は有名な老舗茶屋。そこは雅さんのおうちが贔屓にしているお店で、納品はいつも佐々木さんの妹さんと姪御さんが自宅へうかがっていたとのこと。
 軟禁されてからこちら、雅さんはこのふたりとしか会っていないという。
 そこまで聞いて、先ほどの女生徒の言葉が腑に落ちた。

 ――「私、面白くないことになっているの。それも全部、あなたが司様と秋斗様に好かれているからいけないのよ? あなた、どんな手を使ったの? 教えていただけない? なぜこんなにも藤宮の方々と親しくできるのか。……そう思っているのは私だけではないわ。あなたさえいなければ――あなたさえいなければっっっ」。

「面白くないことになっている」とは、ツカサとのお見合いが流れたことを指し、「そう思っているのは私だけではない」というのは、ツカサに想いを寄せている女生徒を指すのではなく、雅さんを指していたのね。
「若槻が話すと本当に軽いな?」
 静さんは感心したように言うけれど、唯兄はあえてこういう話し方をしているのだろう。
 話が重くならないように、私が息を吸えなくならないように。
「だーかーらぁっ! 前にも言ったじゃないですか。当事者が言うより第三者が話したほうがいいこともあるって」
「あぁ、そういえばそんなことを言っていたな。だが、そのときにも言ったはずだ。取らなくてはいけない責任を放棄するほど非道ではない、と」
「じゃぁっ、もっとうまくやってくださいよ」
「それは司の力量の問題だ」
 唯兄は肌で感じるほどにピリピリしていた。
 ツカサの力量とはなんの話か……。
 今まで聞いた話のどこに、ツカサの力量が問われる箇所があったというのか。
「私も会長も、翠葉ちゃんに話すなとは一言も言っていない。彼女に話さなかったのは司の意思だろう?」
「オーナーっっっ、それ以上話したら噛み付きますよっ!?」
 言いながら、唯兄が堪え切れないといった感じで立ち上がる。
 口調的にはすでに噛み付いていた。
 静さんは一言、「若槻」と名前を呼び制する。
 それでも唯兄は引かなかった。
「申し訳ないんですけど、これ以上の話はリィに聞かせないでほしい。それが司っちの意向だったんでしょっ!? ならどうしてそれを汲んであげないんですかっ!? 思惑があるなら最後まで司っちに任せたらどうなんですっ!? 高みの見物してた人間がこぞって出てきて話すんじゃ筋通らないでしょっ!? 意味ないでしょっ!? あんたたちわかってんのっ!?」
 ――びっくりした。唯兄がこんなに声を荒げているのが珍しくて。
 人を責め立てるところなんて見たことがなかったから。
 私の記憶にある限りだと、私が髪の毛を切ったときと、インフルエンザで退院してきた日に私がハサミを手に取ったときのみだ。
 それは私の自傷行為に対する怒りだったけど、これは違う。
 どう違う、とは言葉にできないけれど、ツカサを庇っているように見える。
 そこで、話し始める前に言われた前置きのような言葉を思い出した。
「俺が話せる全部」とは、暗に「自分には話せない部分」があることを指していたのかもしれない。
「ツカサの力量ってなんですか? 思惑って……? ツカサの選択って、何……?」
 この場にいる人は誰もが知っているのだろう。
 でも、誰に訊いたらいいのかわからなかったし、誰なら答えてくれるのかもわからなかった。
 ひとりひとりに視線をめぐらせていると、
「唯、少し黙っててくれないか。翠葉ちゃんにはゲストルームに戻ったら全部話すって約束したんだ」
 秋斗さんの言葉にも唯兄は頑として譲らなかった。
「聞けませんね。もし、リィがこの詳細を知るんだとしたら司っちの口からだ。それ以外は認められない」
「若槻にそんな権限はないだろう?」
 静さんの言葉に唯兄が目を剥く。
 そして、私の方を向いた。
「リィ、この権限俺にくんないかなっ?」
「っ……」
 私は知りたいと思った。
 思ったけど――目の前にいる唯兄の気迫に負けた。

 唯兄が放った言葉を反芻する。
 唯兄は話さないと言っているわけではない。誰が話すかが問題だと言っているだけで、この先を絶対に話さないと言っているわけではない。
 でも、それが勘違いだったら嫌だから、確認は怠れない。
「……あとで教えてもらえるの?」
「それは司っちしだい」
 ツカサ、しだい――
「唯兄、私、ツカサに合わせる顔がない」
 本当は秋斗さんにも湊先生にも静さんにも――みんなに合わせる顔がない。
 それくらいひどいことを口にした。
 唯兄は私と静さんの間に立っていたけれど、完全に私の方へと向き直る。
 いつになく真っ直ぐで真剣な目が私を見下ろしていた。
「それで? 合わす顔がないからそのまま? そのまま前には進まないの? 悪いことをしたら謝ればいいんじゃないの? 合わす顔がないからそのままさよならでいいわけ? まるで使い捨てみたいに? リィってそんな子?」
 ひとひとつの言葉が胸に突き刺さる。
 ――痛い。
「そうやって傷ついたって顔して、自分が悪いってわかっているのに自分から動かないで司っちが来てくれるのを待ってるわけ? それはずるいんじゃない? 都合が良すぎる。待っていたら誰かが助けに来てくれるとか、いっそのこと手放しちゃおうとか、すごくずるくて調子がいい。俺、そういうの嫌い」
「若槻っ、言いすぎよ」
 湊先生の声が割り込んだ。
 でも、唯兄は動じずに私を見ていた。
「唯はいいことを言うわね? 蒼樹も見習ったら?」
 しんとしていた部屋にお母さんのカラ、とした声が響く。
「そうだねぇ……これは見習わねば」
 蒼兄が苦笑している。それは顔を見なくても声でわかる。
「まぁ、そうね……ここは司くんが話すか話さないかを決めるのがベストかしら? 翠葉も翠葉で少し気持ちの整理をしたほうがいいだろうし……。あ、唯? 別に私は翠葉を甘やかしてるわけじゃないわよ? ただ、答えを出すのに時間が必要なこともあるでしょう?」
「そうですね……」
 唯兄の声がとても硬かった。
 冷たくはなくて、ただ硬質……。
「そういえば、夕飯を作るの途中だったんだけど……今日はコンシェルジュに頼んじゃおうかしら?」
 お母さんがメニューファイルを手に取りその場の人を見回すと、
「みんなで食べましょう。ギスギスしたままなのは良くないわ」
 お母さんは静さんを見るとメニューを手渡し、
「静、どうにかしてくれるのでしょう?」
 静さんはくつくつと笑いながら、
「碧は変わらないな。昔からそうだ。碧の丸投げでマイペースなところはこういうとき遺憾なく発揮される」
「あら、褒めてくれるの? どうもありがとう」
 にこりと笑うお母さんに静さんが苦笑を漏らし、テーブルの上にファイルを広げた。
「一分で決めろ」
 静さんの言葉が絶対なのか、秋斗さんと湊先生、蔵元さんはファイルは見ずにメニューを口にした。
「ほら、唯もよ」
「俺、あとで……自分でオーダーします」
「はい、却下。言ったでしょう? ギスギスしてるのはだめって。翠葉もよ?」
 急に飛んできた言葉に身体がビクリと反応する。
 でも、食べられる気がしない。
 さっき、ホットミルクを飲むのもやっとだった。
 ものを飲み込むのがひどく難しい。
 それは体調的なものではなく、気持ちからくるものだとわかっているけれど……。
 お母さんはため息をつき、
「……今無理に食べさせたところで戻すだけかもしれないわね。わかったわ、翠葉はあと。唯はちゃんと食べなさい。蒼樹、唯のこと見張っててよ?」
「頼まれた」
「翠葉、スープなら飲めそう?」
 訊かれて首を振る。
「仕方ないわねぇ……。じゃぁ、原液ポカリの刑ね? 三五〇ミリリットルは飲ませるわよ?」
 最後の疑問符に意味はない。
 強制とか決定事項の類で、返事は一切求められていない。
 私はキッチンからタンブラーを片手に戻ってきたお母さんに付き添われ、ダイニングをあとにした。 
 誰にも何も言わず、ただ頭だけを下げて。



Update:2012/06/06  改稿:2017/07/17



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