前の席に座るハルに言われた。
ハルとは
半ば強引に入部させられ、以来なんとなくつるむようになった人間。二年次でクラスが同じになり、今は前後の席という位置関係。
「だから五月病だってば」
「……かまっちゃん、知ってる? 今月があと数日で終わるって。五月終わったら五月病って言葉も使えなくなるんだよ?」
「……それは困ったな」
「そうでしょうとも。そろそろ隼人先輩の言及もかわせなくなるよ?」
「それは非常に困ったな」
隼人先輩とは
「ハル、悪い。今日部活休むわ」
「ええええっ!? そんなわかりやすく回避しなくてもよくないっ!?」
「いや……ちょっと、本当に自分をどうにか立て直さないとだめな気がするからさ。息抜きしてから塾行くわ」
「なんか悩みごと?」
「そういうわけでもない。あえて言うなら回想」
「はっ?」
「そういうことで、よろしく」
俺はハルを置き去りにして教室を出た。
駅までの上り坂を歩きながら、
「悩みごと――じゃないよなぁ……」
ひとりぼやく。
ただ過去の出来事を思い出しているだけ。さして多くもない会話の内容をエンドレスリピートで。
俺はポケットから携帯を取り出し、受信したメールを表示させてはため息をつく。
本当はわかってるんだ。なんでこんなにも引き摺っているのか……。
先日、転送に転送を重ねたメールが届いた。内容は、彼女が超難関校と言われる私立藤宮学園に進学した、というもの。
最近の噂はメールで回ってくるため、伝言ゲームよろしく、内容が二転三転してるとは思いがたい。けれど、一年遅れということと彼女の学力を鑑みても、藤宮は難しいんじゃないか、と思えば半信半疑にならざるを得ないわけで……。
実際、自分の知り合いが見たというのなら信じられもした。けれど、しょせんは誰から回ってきたのかわからないようなメールだ。確かめようにも、本人に訊く手段は持たない。
俺が知っている彼女のパーソナルデータは中学のとき止まり。つまりは氏名のほか、家の住所と電話番号しか知らないのだ。メールアドレスのひとつでも聞けていたらよかったのに。
そんなことを五月中ずっと考えていた。
なんて進展性のない悩み……。
「もはや、これ悩みって言わないし……」
ひとり突っ込みして悲しくなる。
そうこうしている間に駅に着いていた。
電車に乗って塾のある藤倉駅まで移動する。
藤倉駅に降り立ち、またなんとも言えない気分になった。
駅構内に藤宮の制服を着た人がちらほらといたせいだ。
もし、彼女が藤宮に通っているとしたら、この駅を利用していることになる。時間も時間だし、もしかしたら会えるかもしれない、なんて思ったのは一瞬のこと。
「無理無理。だいたいにして、本当かもわからないのに……」
俺は軽く頭を振り、改札口を出た。
いつもなら部活を一時間やってから早退させてもらうため、軽食を摂ったらすぐに塾へ向かうが、今日は部活に出ていないこともあり時間的余裕があった。先に腹ごしらえを済ませ、俺は普段は行かないデパートへ足を向けた。
理由は、駅構内に貼られていたポスターが目を引いたから。
なんてことはない。夏を目前にデパート全体で「涼フェア」なるものを開催しているという。
ポスターには「涼」を感じられるようなアイテムがセンス良く
彼女の使う筆記用具についていたマークがポスターに刻印されていたのだ。
雑貨店の名前はウィステリアガーデン。
何か目的があって寄ったわけではないし、まさかそこで彼女と再会するとは思いもしなかった。
ショップに入り、片っ端から棚に並ぶものを眺めていった。そして、目についたものに手をのばしたとき、人の手とぶつかった。
「ごめんなさいっ」
発せられた声に耳を疑い、まさかと思いながら手の主を見る。と、藤宮学園の制服を着た彼女が立っていた。
中学のときと何も変わらない。髪が一段と長くなっていること以外は何も変化はなく、華奢で倒れてしまいそうな女の子――
一気に心拍数が上がる。
あの噂、本当だったんだ……。
「御園生?」
あまりにも信じられなくて、名前を口にしながら疑問符をつけてしまう。
御園生は、「え?」と不思議そうに俺を見上げ、視線が交わって数秒で「あ……」と口を動かした。
黒目がちな目が、さらに開かれた瞬間だった。
「それ、藤宮の制服……。噂では聞いてたんだ。留年して藤宮に通ってるって。……良かったね」
なんかもっと気の利いた言葉をとは思うのに、こんな言葉しか出てこなかった。
「うん、そうなの。鎌田くんは……その制服、海新高校?」
「うん」
「……学校、どう?」
御園生から疑問を投げかけられるとは思いもしなくて、俺は一気に舞い上がる。
「それなり、かな? 入りたくて入った高校だけど、勉強はやっぱりついていくのに四苦八苦」
平静を装い、苦笑しながら正直なところを答えると、御園生が笑った。とても自然に。中学のときにはめったに見られなかった笑顔で。
「そうなんだ? 私も変わらないよ」
色々と話したいことがあるのになかなか言葉にはならなくて、この機会を逃したらもうあとがない気がして、気づけば俺はこんなことを口走っていた。
「御園生っ、付き合ってほしい。一日でもいいからっ」
言うと同時に身体から汗が噴き出した。顔が赤いとかそういう次元じゃない。身体中が沸騰しそうだった。
彼女は困惑気味に口を開く。
「あの……一日って今日だよね?」
あれ? 俺、なんて言った? 一日が今日って何……?
クエスチョンマークが駆け巡る俺の頭の中など知らない彼女は、申し訳なさそうな顔をして言葉を続けた。
「あのね、今日は人と一緒に来ていて、その人を待っているところなの。だから……今日は無理で……。ごめんね?」
俺の言い方も悪かったんだと思う。でも、これはちょっと回答が斜め上に行きすぎ。
たぶん、間違いなく俺の気持ちは伝わっていない。それだけはよくわかる。
そういう意味じゃなくて、と説明をしようとしたとき、知らない声が割り込んだ。
「翠葉ちゃんごめんね? ……あれ? 友達?」
男――声も表情も穏やかだが、明らかに眼差しが険しい。
見るからに色男。同性の俺から見てもイケメンすぎる。そして、どう見ても学生ではないことがうかがえた。
「秋斗さんっ。あのっ……鎌田くんは大丈夫なの。普通の人。ほかの中学の同級生とは全然違う人だから」
彼女が慌てて俺の前に立ち擁護してくれた。――けど、なんだか複雑な気分。
「普通の人」「同級生」。何も間違ってない。それ以上でもそれ以下でもない。
きっと彼女の中では「友達」ですらないんだろうな、と察しがついてしまった。
イケメンヤローは彼女の言葉を鵜呑みにしたようで、「あ、そうなの?」と纏う雰囲気を改めた。
「今、一日付き合ってほしいって言われたんですけど……。さすがに静さんとの約束をずらすわけにはいかないから……」
彼女は口にしつつ、俺に「ごめんなさい」の視線を向けた。そして、彼女の言葉を継ぐように、
「鎌田くんだっけ? 悪いね。このあと、彼女はちょっと外せない用があるんだ」
イケメンヤローはにっこりと笑った。にっこり笑ってるんだけど、俺には牽制としか取れなくて……。
イケメンで大人で、俺がどうにも太刀打ちできないような相手。
彼女とこのイケメンがどんな関係かは知らないけれど、思い切り敗北感を味わった。もっと言うなら、人としてのレベルを思い知らされたというか……。
俺には全然なくてイケメンがたっぷり持っているもの。それは、「余裕」だと思う。
悟った瞬間、俺は情けなく逃げるようにその場を走り去った。
走ってショップを飛び出し、俺の心に残ったのは空虚感だった。塾に行っても虚無感半端なくて、それは翌日学校に行っても部活に出ても拭うことはできなかった。
それから一週間して、ハルに改めて突っ込まれた。
「で、何? いい加減白状しちゃいなよ。もう五月病じゃ通らないよ」
あの翌日もハルに突っ込まれたけど、俺は五月病という理由を駆使して免れていた。しかし、昨日で五月が終わってしまったため、これといった逃げ道がなくなった。
「俺、そんな塞いでるように見える?」
少しでもいいから話を逸らせないものかと試みる。と、
「だってさぁ……かまっちゃんわかりやすいんだもん。沈んでるでしょ?」
沈んでる……?
まぁ確かに……。あんなイケメンと御園生が一緒にいるところを見てしまったら、それはへこむというもの。だけど、指摘されるほどに沈んだ顔はしていないつもりだった。
頬をつねってみたり引張ってみたりする。と、
「ちょっと、何やってんの?」
言われて、「え?」と思う。
「沈んでるって、アレだってば、あーれっ」
ハルが指差したのは的だった。
「あ……」
「まったく……色々ダメダメじゃないですか。だいたいにしてね、視線が落ちてるから矢がうまく飛ばないの」
グサリ、と胸を刺された気分。
ハルの指摘はもっともだ。ここのところ全く矢が的中しないのはそんな理由だったのか、と思い知る。
「なんかあったんでしょ? そろそろ白状しちゃいなよ」
「何かあった……といえばあったけど、何がどうした、というわけではなくて――」
「それは何かあったわけですなぁ」
「っ……!?」
いつ現れたっ!? どこから湧いて出たっ!?
そんな視線を向ける俺の肩に、隼人先輩が腕を絡めた。
あまりにも驚きすぎて、もはや俺の口から日本語など出てはこない。
「さ、すべて語って楽になってしまえ」
まるで仙人のように笑みを浮かべた隼人先輩に便乗し、
「そうだよそうだよ、ヒミツは守るよ!」
ハルがにっこりと天使のよう笑みを浮かべ、悪魔のような囁きを口にする。
ここ一年で学んだ。こうなったらこのふたりからは逃れられない。
俺は致し方なく落ち込んでいる理由を話すことにした。
Update:2013/11/29(改稿:2017/05/07)
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