「私、二年生になれたんだ……」
鏡の前に立ち、鏡に映る制服姿の自分に向かって手を伸ばす。
まだ現実味がなくて、ちょっとふわふわとした気分。それは去年の入学式の日を思い出させた。
「今日から、二年生……」
その響きすらこそばゆい。
「クラス分けの掲示板を見たら少しは実感わくかな……」
「リィー? 支度まだー? お雑炊できてるよー」
リビングから唯兄に呼ばれて我に返る。
「ごめんなさいっ。今行きますっ」
自室を出てリビングへ行くと、蒼兄とお母さん、唯兄が揃っていた。
「何やってたの?」
唯兄に訊かれ、
「今日から二年生なんだけど、いまいち実感がわかなくて」
苦笑を浮かべると、三人にクスクスと笑われた。
蒼兄に、
「学校に行けば嫌でも実感するよ」
「そうかな……」
蒼兄はスーツを着ていて、唯兄はまだスウェット姿のまま。お母さんはジーパンにニットを着ている。
この春、蒼兄は社会人になった。就職先はお父さんのところ。つまりは幸倉の家が勤務先。そのほか、秋斗さんの会社のヘルプにも入るとのこと。忙しそうだなと思ったけれど、
「まだ始まったばかりだけど楽しいよ」
蒼兄は笑って言っていた。
秋斗さんの立ち上げた会社はウィステリアヴィレッジの中にある。静さんにお願いしてマンションの一室を会社名義で借りたらしい。
唯兄と秋斗さんは藤宮警備を辞めるつもりでいたけれど、現在は二足のわらじ状態とのこと。どうやら、秋斗さんと唯兄が抜けてしまうとシステム開発に支障が出てしまうのだとか。そんな中、蔵元さんだけが退社という形を取ったという。
こんな具合に家族の生活も一新され、まだ慣れない日々が続く。
「体調はどう?」
お母さんに顔を覗き込まれ、
「大丈夫。今、痛みはほとんど感じていないの」
「新しい薬を飲み始めたときはどうなっちゃうのかと思ったけど、良かったわね」
「うん」
三月の第三週から新しい薬を飲み始めた。それは一週間毎に二錠ずつ増えていき、今は一日の上限とされる八錠を飲んでいる。
最初の週は夕食後の薬に追加され、次は就寝前の薬に追加され、三週目はお昼の薬に追加された。
正直、この三週間は副作用の眠気と闘う日々だった。
主作用の痛みを抑える力が強ければ、副作用の症状も顕著。副作用は眠気とふらつき、口の渇き、便秘、吐き気。しかし、久住先生が便秘と吐き気に関しては症状が出る前からほかの薬で対処してくれていたため、それらを感じることはなかった。
困ったのは主に眠気。朝は起きられないし、学校へ行っても眠いしふらつくしで本当につらかった。あまりにもふらつきがひどいため、四日間は休んでしまったほど。
音を上げそうになったとき、
「最初はつらいかもしれません。でも、痛みが引いているのであれば少しがんばってもらいたい。二週間から三週間もすれば眠気は感じなくなるでしょう」
久住先生にそう言われてひたすら耐えていた。すると、三週間が経つころには眠気やふらつきといった症状はかなり軽くなったのだ。
相変わらず口の渇きはひどいものの、痛みの恐怖に比べたらできない我慢ではない。
今では痛みという痛みをほとんど感じないまでになっている。
この薬があったら今年の梅雨は憂鬱にならないで済むかも……。
そう思えるくらいには痛みが軽減していた。
「ただ、春だからな……。翠葉、具合が悪くなったらすぐ保健室に行けよ?」
蒼兄の言葉に頷き、私はひとりマンションを出た。
春の少し冷たい風を感じながら学校までの道のりを歩く。ゆっくりと、一歩一歩を踏みしめながら。
ガードレールのポール脇に黄色いタンポポが二本仲良く咲いていた。
高校門から校舎まで続く桜並木は満開の桜が咲き誇っている。時折突風が吹くと、桜はバサバサと音を立てて花びらを散らした。
その並木道は、先を急ぐように歩く人の姿が多い。
いつも八時過ぎといえば、ちらほらと人影がある程度。けれども、新学期初日はクラス分けがあるからか、いつもよりも五割り増しくらいの人通りがあった。
昇降口前に着くと、桃華さんと飛鳥ちゃんが駆け寄ってきた。
「桃華さん、飛鳥ちゃん、おはよう」
ふたりは朝の挨拶もそこそこにクラス分けの話を口にする。
「私、ひとりだけC組ぃぃぃ……」
涙目なのは飛鳥ちゃん。
「私は翠葉と一緒。A組よ」
桃華さんはほかに誰が一緒なのかを教えてくれた。
「B組から一緒なのは
香月さん……。
紅葉祭の一件以来顔を合わせることはなかった。でも、同じクラスになれば毎日のように顔を合わせるだろう。
「……仲良くなれるかな」
「こっちに仲良くしようっていう気持ちがあっても、相手になかったら無理よ。こればかりはなるようにしかならないわ」
桃華さんの言葉に、「そうだね」と相槌を打った。
「ねぇ……お弁当の時間お邪魔してもいい?」
飛鳥ちゃんに涙目で訊かれる。
「え? 全然お邪魔じゃないよ?」
「翠葉好きぃぃぃ」
飛鳥ちゃんにいつもより数割増しの力で抱きつかれた。
一年B組の人たちと別々になってしまうのはすごく寂しい。でも、どうしてかな? それで何かが変わってしまう気はしなかった。
廊下ですれ違えば普通に挨拶をするんだろうな、とかそういうことを容易に想像することができる。
こんなふうに思えたのは初めてで、早くも新学期の「初めて」に触れてドキドキした。
クラスへ行くと出席番号順に座るように黒板に書かれており、私と桃華さんは窓際の一列へ向かう。
私の出席番号は二十七番。桃華さんは二十九番。一年のときは前後の席だったけれど、このクラスでは間にひとり挟む。しかし、前の席は変わらず海斗くんだった。
新しいものの中にひとつでも変わらないものを見つけるとほっとする。
新しい環境は良くも悪くもドキドキするものらしい。
席に着くと、後ろの席の人に声をかけられた。
「俺、
差し出された手は日焼けした大きな手だった。見ただけで男子の手だと判別できるような……。
私はその手を見たまま、
「御園生翠葉です、よろしくお願いします」
「握手はなし?」
挨拶に握手は普通……。
そうは思っても、その手を取ることはできなかった。
「真咲、あんま無理強いすんなよ」
後ろから現れたのは海斗くん。
「いや、まだ無理強いってレベルじゃないっしょ」
「翠葉が固まってる時点でアウト!」
海斗くんの大きな手が頭に置かれ、髪の毛をくしゃくしゃとされる。
「翠葉、慣れだよ慣れ。一年のときだって最後にはみんなと握手できただろ?」
コクリと頷くと、
「少しずつ慣れていけばいい」
海斗くんにそう言われて少し安心した。
「くっそ〜、俺も髪の毛くしゃってやりてぇ……」
「おうおう。司に睨まれてもいいんだったらがんばれよっ!」
「それは多大な勇気が必要……」
そんな会話を頭の上でされていると、
「真咲、邪魔」
後ろから桃華さんの声が割り込んだ。
「なんで真咲が同じクラスなのよ……」
「姐さん、ひでぇ……」
「真咲さえいなければ私が翠葉の後ろの席だったのに」
桃華さんは山下くんを立たせその席に収まると、我関せず、私の髪の毛を指に巻きつけて遊び始めた。
「何、簾条、姐さんって呼ばれてんの?」
「はよっす」と新たに加わったのは佐野くん。
「別に呼ばせてるわけじゃないわよ? 勝手にそう呼ぶ人間がいるだけ」
桃華さんはつまらなそうに言う。でも、佐野くんは「似合いすぎて腹痛ぇ」とお腹を抱えて笑いだした。
そんなことをしていれば担任の先生が入ってくる。
「まずは始業式だ。みんな桜林館へ移動!」
そう言ったのは一年のときと同じ担任、川岸先生だった。
Update:2013/11/15(改稿:2017/07/27)
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