光のもとでU+

司・十九歳の誕生日 Side 藤宮司 05話

 藤山の自宅へ帰宅すると、母さんが昼食とケーキを用意して待っていてくれた。
 そんなことは安易に想像できたけど、その場に父さんがいることに若干面食らう。
「なんで父さんまでいるの?」
「今日は半休を取ったから、午後の診察に間に合えば問題はない」
「あぁ、そいうこと……」
 ふたりに大学入学と十九歳の誕生日を祝われ、自分の中のちょっとした変化に気づく。
 このふたりが出逢わなければ――結婚したとしても、三人目を望まなければ俺は生まれず翠に出逢うこともなかったわけで……。
 そう考えると、自然と感謝の気持ちが芽生える。
 ケーキを食べ終えフォークをプレートに置いた俺は、
「……俺を生んでくれて、ありがとう」
 初めて覚えた感謝の気持ちをふたりに伝えた。
 母さんは涙ぐみながら、
「こちらこそ、生まれてきてくれてありがとう。十九歳まで健康に育ってくれてありがとう」
 一方、父さんはくつくつと笑っていて、
「司がそんなことを言うようになるとはな……。まあ、御園生さんの影響なんだろうが」
「……そんなところ」
「お義父さんが御園生さんをやけに気に入っている理由がわからなくもない」
 そう言って朗らかに笑うと、
「自分を変えてくれる人になどそうそう出逢えるものではない。くれぐれも、御園生さんのことを大切にするように」
「言われなくてもわかってる」
「だといいが……」
「じゃ、そろそろマンションに戻る」
「えぇ、気をつけて。翠葉ちゃんにもよろしくね?」
「伝えておく」
 俺はふたりに見送られ、藤山の自宅をあとにした。

 途中弓道場へ寄り弓と矢を持ち帰ると、着替えを済ませた俺は翠が来るまでの時間を道具のメンテナンスに当てた。
 まずはゆがけ。
 ぎり粉を歯ブラシで払い落とし、こびりついた汚れは目の細かい紙やすりで注意深く削り落とす。あとは下ゆがけとゆがけの緒を外して洗剤で手洗い。それらとゆがけを陰干しにすると、矢筒に手を伸ばした。
 中に入っているのは六本の竹矢。
 矢は基本、自分の弓に合ったものを自分で用意する。
 たいていの高校生はグラスファイバーやカーボン弓を使っている人間が多いため、アルミ製のジュラルミン矢かカーボン矢。
 俺は昇段審査で四段に昇格したときに秋兄から竹弓と竹矢をプレゼントされ、以来竹弓に竹矢を使っている。
 矢筒に入った竹矢を見ると、筈が傷んできているものが何本かあった。それの交換を済ませると、使い込んで柔らかくなった布で一本一本丁寧に拭き、それ以上は何もせずに矢筒へと戻す。
「そうだ、道着の注文しないと……」
 テーブルに置いてあったスマホに手を伸ばし、いつも世話になっている弓具店に道着一式の依頼をすると、意外な返答があった。
『今朝、秋斗様から司様の道着一式を承りましたが……? 本日がお誕生日でプレゼントになさるとかなんとか……』
 聞いてないし……。
『身長がずいぶんとお伸びになられたようですね』
「はい……」
『冬用、夏用とすでに設え始めておりますので――』
「え? 出来上がりのものでは……?」
『何を仰ってらっしゃるんですか! 秋斗様と司様の道着は、いつも一から設えさせていただいていますでしょう?」
 でもその場合、事前に採寸が必要になるわけで――
「あの、採寸は……?」
『秋斗様から事細かにおうかがいしましたが……? 秋斗様に測っていただいたのではなかったのですか?』
 あんの変態……。
 翠の指を見ただけでサイズがわかるだけのことはあり、俺の身体も見ただけで採寸できるとか、本当に無駄な能力ばかり身につけて――
「えぇ、そうでした。すみません」
『近日中には発送できると思います。ご連絡はどちらにいたしましょう?』
「……それ、発送先はどこになっていますか? 末尾の部屋番号のみで結構です」
『えぇと……一一〇二号室、ですね』
「それでしたら自分に連絡をいただけると助かります」
『かしこまりました。弓と矢にトラブルはございませんか?』
「今のところとくに問題はないので、何かあった際にはお世話になります」
『かしこまりました。それでは後日ご連絡いたします』
 通話を切られそうになって、慌てて店主の名前を口にした。
『なんでございましょう』
「支倉近辺でいい弓道場をご存知ありませんか?」
『支倉……それでしたら、ひとつ古くからある道場がありますね』
「どのあたりですか?」
星谷寺しょうこくじをご存知ですか?』
「はい、知っています」
『星谷寺の裏手に滝口弓道場がございます。少し前まではかなり古い道場だったのですが、昨年建て替えられて、今はとてもきれいな道場になりました。先日道場へ道具をお届けにあがったのですが、まだ木のいい匂いがしてました。あのあたりで十人立ちができる道場はあそこくらいでしょうね。滝口隼十郎たきぐちしゅんじゅうろう範士がご指導なさっていますが、とてもご立派な方ですよ。……ですが、秋斗様は琴平弓道場へ通われていますよね? 秋斗様とご一緒の道場へは通われないんですか?』
「自分は今日、藤宮大学へ進学したのですが、来年度からは支倉キャンパスへ移るので、近くにいい道場はないかと探していたところなんです」
『さようでございましたか。それでしたらぜひ一度、滝口弓道場をご見学されるとよろしいかと思います。それと、琴平範士にお話を通されたほうがよろしいかと存じます』
「えぇ、そうします。ありがとうございます」
『では、また改めてご連絡いたします』
「よろしくお願いいたします」
 通話を切って「滝口弓道場」を検索してみるも、全国弓道場マップに載っているのみ。道場のサイトはないようだった。
「これは一度行ってみるしかないかな」
 スマホを置いてため息ひとつ。
 秋兄の用意周到さにはまるで敵う気がしない。
 たぶん、今朝の会話から思い立ったんだろうけれど、それで早々に連絡入れるとか、どっちが甘やかされてるんだって話だし。
 視界に入った弓を手に取り、手の内へと握る動作を繰り返す。
 今となってはこの弓以外あり得ない、と思えるほどに手に馴染んでいる。ただ、矢摺籐がささくれ立ってきたのと、握り革の乾燥が目立ってきたからそれらの替えだけは事前に準備していた。
 ゆがけのメンテナンスをする前に籐はお湯に浸けておいたし、問題なく巻きかえることができるだろう。
 俺はできるだけ丁寧に籐と握り皮を剥がしていき、矢摺籐から巻き始めた。そうして、握り皮を巻き終えたころにインターホンが鳴った。
 時刻は二時前。訪問者は間違いなく翠だろう。
 インターホンに応じることなく玄関へ向かうと、いつもと違う出で立ちの翠が立っていた。
 肩が見えそうなデザインのトップスに、丈の短いフレアスカート。それに合わせているのは膝上丈のソックス。
 目のやり場に困るんだけど……。
「あの……唯兄からのプレゼントって……」
 は? 唯さんがなんだって……?
「おうちに帰ったらこの洋服と一緒に唯兄からのお手紙が置いてあって、『この服を着たリィを司っちにプレゼント』って……。意味わからないよね? 私もわからないのだけど……。第一、洋服をもらったのは私で、ツカサはなんの得もしないし……」
 あんの男〜〜〜……。
 こんなの「ひんむいてください」って言ってるようなものだろっ?
 こっちの気持ちも知らないで――否、知ってるからこの仕打ちなのか……?
 抱けるなら抱きたいけど、発熱している翠に無理させるのは得策じゃない。
 俺は我慢できずに頭を抱えてその場にしゃがみこんだ。
「つ、ツカサっ!? どうしたの? 頭痛っ?」
「……違うし」
 唯さんの言ったことを真に受けて着てくる翠も翠だ……。
 しかも、全然意味わかってないし……。
「そんな格好してたら襲いたくなるこっちの身にもなれ……」
 下から見上げて文句を言うと、
「え……? ……あっ、そういう意味だったのっ!? やっ、そんなつもりはなくて――」
 などと慌てだす。
 俺はすばやく立ち上がると噛み付くようなキスをした。
 若干の抵抗を見せた翠を放すと、
「今回のこれは私が悪いんじゃないものっ!」
 むぅ、と頬を膨らませるが、いやいや翠も十分悪い。むしろ共犯だし。
 いつまでも玄関で話してるのもあれだから、翠をリビングへ通した。

「散らかってて悪い。今片付けるから」
 そう言って弓を手に取ると、
「少しだけっ、少しだけ見せてもらってもいいっ?」
 思わぬところに翠が食いついた。
 俺が置いた弓に翠は恐る恐る手を伸ばし、人差し指でそっと弓をなぞる。
「わぁ……本物の弓だぁ……」
 何を言ってるんだか……。
「弓の材質は何? 木だと思うのだけど……竹、かな?」
 俺はひとつ頷き、
「四段に昇格したとき、秋兄に竹弓をプレゼントされて、それからはずっとこの弓を使ってる」
「弦の素材は?」
「ゲンじゃなくてツル。弓道ではツルという」
「つる……」
「弦の素材には麻と合成繊維があるけど、俺のは麻」
「ふーん……」
「翠のハープの弦は?」
「低音弦は金属だけど、ほとんどの弦はナイロン。羊腸でできたガット弦も使ってみたいのだけど、値段が高いのと、キラキラした音色のほうが好きだから、今はまだナイロン弦でいいかな。矢は?」
 好奇心の塊のような翠は矢継ぎ早に矢を求めてくる。
 矢筒から矢を出してやると、目をキラキラと輝かせた。
「これも竹?」
「そう。羽は黒鷲風切羽」
「ね、ツカサ。弓道とハープってものすごく密接な関わりがあるのよ?」
 それは初耳……。
「ハープの形、弓の形に似てると思わない?」
「似てると言われれば似てる気がしなくもないけど……」
「ハープの起源は意外と古いの。古代メソポタミアでは紀元前三〇〇〇年にその原形が記録されているのよ!」
 そんな昔からあるものとは思いもせず、俺は少し驚いていた。
「もとはね、狩猟の弓が起源なの。狩猟時代に誰かが、弓の弦をはじくと音が出ることに気づいて、さらには弦が短かったり張りが強いと音が高いことに気がついたんだろうって。そこで弓に複数の弦を張ってみて、洞窟の中で人に聞かせたことが楽器としての始まりだと言われているの」
「へぇ……」
「ほかにはこんな話もあるのよ。ギリシア神話の太陽神アポロンが、狩りの女神ディアナのピンと張られた弓から出る音色に魅せられて、それに数本の弦を加えてハープを作ったんだって」
 にこにこと笑いながら話す翠のエピソードに、「あ……」と思う。
「もしかして、そこからギリシア神話に興味を持った?」
「……それも蒼兄情報?」
 翠は少し恥ずかしそうに上目遣いで訊いてくる。
「ほかに情報の出所なんてないだろ?」
「それもそうね。でも、うん……当たり。ハープを習い始めたときに図書館でハープの起源を調べたの。そのときにこの一説を知って、ついでにギリシア神話の本まで借りて帰ってきました……」
 好きなものをとことん調べる性質なのは、なんだか自分とよく似ている気がした。
「弓道にも興味ある?」
「あるっ!」
「本、読んでみる?」
「あるのっ!?」
「教本みたいな本と弓道の雑学っぽい本がある」
「読んでみたいっ!」
 俺は弓を片付けながら、寝室に翠を招き入れた。
 壁際の本棚から二冊の本を取って手渡すと、
「読むのに少し時間かかっちゃうかもしれないけど、いい?」
「かまわない」
 そんな話のもと、俺たちはリビングへ戻った。
「そういえば、この手提げ袋何?」
 それは翠が持ってきたもの。
「あっ、ケーキとオードブル! こんな時間だから、ツカサはもうお昼済んでるよね?」
「昼なら実家で食べてきたけど……」
「実は私、ご飯まだで、それを察した七倉さんが軽く摘めるものを用意してくれたの。一緒に食べない?」
「食べる……」
「じゃ、ケーキだけ冷蔵庫に入れさせてね」
 翠がケーキボックスを持ってキッチンへ行くと、そのまま飲み物の準備を始めたから、俺は茶葉を下ろしたあと、オードブルの準備にリビングへ戻った。



Update:2018/12/28



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