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光のもとでU+

迷路の出口

Side 藤宮雅 07話

 蔵元さんの背中を見ながら歩いていると、とあることに気づく。
 そういえば、蔵元さんの私服姿は初めて見るかも……?
 日本で会うときも、ニューヨークで会うときも、基本はスーツ姿だった。
 去年忘年会に参加したときは、仕事用のスーツではなく、カジュアルジャケットを着ているように見えた。
 今日はネイビーとボルドー、ホワイトの三色のストライプシャツにブラックデニムを合わせ、靴は有名なスポーツメーカーのスニーカー。
 上半身にはナイロンの茶色いベルトが斜めにかけられていて、胸元にはシャツの差し色にもなっているボルドーのボディバッグがあった。
 普段のスーツ姿からは想像できないほどにアクティブな格好で、新鮮だ。
 当たり前かもしれないけれど、私服姿のほうが少し若く見える。
 あれ? 蔵元さんっておいくつだったかしら……。確か、秋斗さんの五歳年上だから、三十二歳……?
 そんなことを考えているうちに車に着いた。
「今日は助手席に座られてくださいね」
 蔵元さんに声をかけられてはっとする。
 私は後部座席のドアの前に立っていたのだ。
 恥ずかしく思いながら数歩移動し、助手席のドアに手をかける。
 緊張しながら座り慣れない助手席に収まると、
「いつもは後部座席だからでしょう? そこまで赤面しなくても」
 蔵元さんはクスクスと笑う。
「ニューヨークでも後部座席ですか?」
「……商談へ向かうときは」
「会社の行き帰りは? 運転手はいるでしょう?」
「えぇ……運転手はいるのですが、通勤に車は使っていないんです。幸い、家からオフィスまでは徒歩十分圏内ですし……」
「あぁ、そういえば、自宅とオフィスはそんなに離れていないんでしたね。秋斗様がそういう物件を探したんでした」
 そうなのだ。あかり先生が住んでいる地域はそんなに治安の悪い場所ではないけれど、様々なことを考慮して、秋斗さんがあかり先生の家に近い物件を押さえてくれたのだ。
「自宅とオフィスが近いとはいえ、あまり夜遅くなるようなことは避けてくださいね? さほど治安が悪い場所ではありませんが、日本ほど治安がいいわけではないんですから。どうしても仕事が終わらないなら、職場に残らず持ち帰ってください。もしくは、ペース配分の見直しを」
「はい……」
「あ――仕事の話はNGでしたね」
 言いながら、蔵元さんは頭を掻いた。
 そう、今回の旅行では、仕事の話は一切NGなのだ。
 でも仕事の話ができないとなると、私と蔵元さんの間に会話が成り立つのだろうか……。
 蔵元さんと話せそうな話題って、何があるかしら……?
 思い当たるものをひとつ残らずピックアップしようと思っていたら、
「フライト中、いったいどんな夢をご覧になられたんですか?」
 蔵元さんは空港の駐車場を出たタイミングでそう切り出した。
 私は、実際に見た夢の話をするわけではないことに罪悪感を覚えつつ、
「幼少のころの夢です。蔵元さんもご存知のとおり、私は正妻の子ではありません。四歳までは実の母と暮らしていたのですが、藤宮に引き取られる前はあまりいい環境になくて――」
 掻い摘んでそのころの話をすると、蔵元さんは黙り込んでしまった。
 私は空気が重くなることに耐えられず、少し茶化すように、
「四歳になってしばらくしてから藤宮に引き取られたのですが、衣食住における環境が格段に良くなったくらいで、両親との関係は露ほども築けませんでした」
「話すのもつらいですよね……」
「……そうですね。楽しくはないです」
「だからやめにしましょう」――そう続けようとすると、
「ならば、もうやめましょう。今回は楽しい旅行になる予定なのですから」
 先に蔵元さんに言われてしまった。
「夢の話を聞いてくださるとおっしゃったのは、蔵元さんですよ?」
「……そうでしたね。ですが――」
 私はクスクスと笑い、
「責めているわけではありません。それに――昔を思い出すことはさほど悪いことではないのです。ニューヨークに移住してからずっと、カウンセリングを受けています。その治療の内容は『退行催眠』。つまり、過去のことを思いだすことなんです」
「つらい治療では……?」
「えぇ……。最初のころはフラッシュバックして混乱することが多かったです。でも最近は、そこまでじゃなくなりました。少しずつ耐性ができたり、良くなってきているのだと思います。ただ……カウンセリングを受けたあとは夢に見やすくて――」
「……帰国前にカウンセリングを?」
「はい。旅行のあとにすればよかったな、と少し後悔しています」
「そうですか……」
 蔵元さんは気まずそうに黙ってしまう。
 こんな話は限られた人としかしないし、蔵元さんとは普段から世間話をするような仲ではないだけに、どんな言葉をかけたらいいのか悩んでしまう。
 そもそも、こんな内容で普通に会話が成り立つ人などそういないだろう。
 自分から話題を変えなくては――
 でも、どんな話題なら無理なく話が続くの……?
 現在の政権? それとも経済情勢っ!? でも、それだと仕事の話に舞い戻ってしまいそうだし――
 脳内フル回転で悩んでいると、
「今は――私たちは、頼れる人間として見てもらえているのでしょうか」
 走行音に紛れて聞こえなくなってしまいそうな声量で、ポツリと訊ねられた。
 聞こえづらくはあったけれど、蔵元さんの言葉は、きちんと耳に届いた。
 ストレートすぎる問いに一瞬息を止めてしまったけれど、
「もちろんです。今はあかり先生がいて、ドクターがいて、頼れる同僚に、他愛のない話をできる人がいます。まだ両手で数えられる程度ですけど、ひとりだったころに比べたら、断然幸せです」
「そうですか……。なら、よかった」
 蔵元さんは一度口を閉じ、ちらっとこちらを見て、
「頼ってくださいね? どんなことでもかまいませんから」
 そう言うと、何事もなかったように前方へ視線を戻した。
 私はその横顔にドキドキしてしまう。
 たぶん、嬉しかったのだ。「頼っていい」と言ってもらえたことが。とても、嬉しかったのだと思う――

 緑山は、山ひとつ藤宮の持ち物で、その山の一部分が切り開かれていた。
 入り口には警備の人間が配備されており、その警備員たちの胸に光る社章の隣には、「S職」の中でも最上位を示すバッジが付いている。そのうえ、フェンスには高圧電流が流れているという看板が立てられていた。
 ここまでの設備となると、おそらくは会長直系の方々が利用する施設なのだろう。
「緑がいっぱいで気持ちのいいところですね」
「そうですね。……ですが、ここに来ると藤宮警備の研修のことしか思い出しません」
「え? ここには研修施設もあるのですか?」
「えぇ、ありますよ、とても立派なのが……」
 そう言うと、蔵元さんは車を降りて身体を解すように軽く伸びをした。
「運転、お疲れ様です」
「雅さんも、助手席に座っているだけとはいえ、フライト後に一時間半です。疲れたんじゃないですか?」
「そんなことはないですけど、少し眠いくらいですね」
「あぁ、時差がありますからね。それにしても疲れてないとは、若さとはすばらしいですねぇ……」
「蔵元さんだって、十分お若いじゃないですか」
「いや、二十代には負けます……」
 そんなやり取りをしていると、別荘から人が走り出てきた。
「お待ちしておりました!」
「いえ、予定時刻より早くに着いてしまい申し訳ございません」
「お気になさらないでください。私、管理人をしております稲荷と申します」
「蔵元です」
「こちらにいらっしゃる間はなんなりとお申し付けください。陽だまり荘はすでに開けてありますので、どうぞこちらへ」
 大柄な男性に案内されて屋内へ入ると、キッチンに立っていた女性が冷たい飲み物を用意してくれた。
 どうやら冬場の積雪を考慮して、二階がリビングダイニング、一階がベッドルームや談話室というつくりになっているようだ。
 外観からして大きな建物だとは思っていたけれど、予想以上に広いリビングダイニングに少し驚く。
 通常、広い建物でも中はいくつかの部屋に仕切られているものだ。けれど、ここはワンフロア。
 広すぎるリビングには、複数のソファセットが配置されていた。
 そのソファセットのひとつに落ち着くと、
「秋斗様たちは今どの辺りでしょうね? こっちは道が空いていたので三十分ほど早く着きましたが……」
 蔵元さんが腕時計を確認すると、
「秋斗様たちは、あと二十分ほどでご到着なさるそうです。先ほど警護班から連絡が入りました」
「そうでしたか。……そういえば、雅さんはこちらへいらしたことはないんですか?」
「……えぇ。家族で旅行をしたことがないので……」
 先の話に近い話題に思わず言葉を濁してしまう。すると、
「でしたら、今回の旅行は思う存分楽しみましょう」
 蔵元さんに優しく笑いかけられ、私は嬉しく思いながら頷いた。
「そういえば、蒼樹くんと唯が花火をたくさん買いこんだそうですよ」
「花火、ですか?」
「花火です。手持ち花火のほか、小さな打ち上げ花火なども買ったようです。雅さん、花火のご経験は?」
「初等部のころ、屋敷の使用人のもとで少しだけ……」
「でしたら、今回の花火はきっと楽しいものになりますね」
「っ、はい! とっても楽しみです」
「蔵元様、雅様、よろしければベッドルームへご案内いたします」
 稲荷さんに声をかけられ、私たちは一階へと移動した。
「ベッドルームはツインルームとなっておりますが、今回陽だまり荘へお泊りになられるのは六名とのことですので、ひとり一部屋お使いいただけます」
「じゃ、端から入りますか」
 蔵元さんの提案に同意し、一番右端の部屋に蔵元さんが入り、その左隣の部屋に私は入った。
 部屋は建物の大きさに見合った広さだった。つまり、よくあるホテルのツインルームの広さではない。
 部屋にはベッドのほかにドレッサーがあり、ソファーセットとは別にダイニングテーブルのセットもある。加えて簡易的でないクローゼットにユニットバス。
「別荘に来たこと自体が初めてだからわからないのだけど、別荘ってこういうものなのかしら……?」
 それともこれは、藤宮基準?
 疑問に思いながら荷解きを終えると、ドアをノックする音が聞こえた。
「はい」
 ドアを開けると蔵元さんが立っていて、普段とは違う出で立ちに、つい目を奪われてしまう。
「どうかなさいましたか?」
「い、いえっ。あの、何かご用ですか?」
「あぁ、秋斗様たちが到着なさったそうです」
 その言葉に外へ迎えに出ると、司さんが乗っていた車と秋斗さんの車、蒼樹さんの車のほかに、警護班の車が六台停まっていた。
 それなりの広さがある場所も、九台の車が入ると狭く感じるから不思議だ。
 それにしたって仰々しい。さすがは会長直系の孫と、その婚約者、と言うべきか。あぁ、次々期総帥である秋斗さんもいるのだから、このくらいが妥当なのかもしれない。
 一歩後ずさってその光景を眺めていると、車から降りた翠葉さんが私を見つけるなり目を輝かせ、小走りでやってくる。
「雅さん、お久しぶりですっ!」
「お久しぶり! メールでもお伝えはしていたけれど、ご婚約おめでとう」
「そんなふうに改まって言われると、少し恥ずかしいです……」
 頬を赤く染めながら、恥らう姿が可憐でかわいらしい。
 こんな純粋な子に、私はひどい言葉を放ってしまったのね……。
 当時の精神状態を思えば「仕方ない」という言葉を使いたくなるけれど、翠葉さんにはまったく関係のない話だし、自分がどんな状態にあったとしても、私が無暗に傷つけていい理由にはならない。
 和解し、今ではこんなふうに慕ってくれているけれど、私の罪悪感が今後消えることはないだろう。
 母が私にしたことが消えないように、私が翠葉さんにしたことも消えることはない。
 ならば、背負っていこう。胸に刻み付け、この笑顔を見るたびに申し訳ないことをしたと思い、それでもなおこの子の優しさに甘え、友人でいさせてほしいと思う。
「雅さん、こちら簾条桃華さん。私のクラスメイトです」
 翠葉さんは屈託のない笑顔で、黒髪を肩口で切り揃えた和風美少女を紹介してくれた。
「簾条と言うと、華道家元の……?」
「はい、そうです」
 桃華さんは溌剌と答える。
 確か、私の代にも簾条家の人間がいたはずだけど、この子はその人の妹だろうか。
 表舞台へ出ない私の耳にも、簾条家の姉妹はとても利発な子たちだという噂は届いていた。
 翠葉さんの友人と言うならば、きっと性格も良い子なのだろう。何よりも、翠葉さんと同じように目が澄んでいる。
「二泊三日、お世話になります」
 桃華さんに頭を下げられ、
「藤宮雅です。こちらこそよろしくね」
 桃華さんと握手を交わすと翠葉さんへ向き直り、
「翠葉さん、すてきな計画を立ててくれてありがとう! 何かないと帰国しないから、とっても嬉しかったわ」
 今回のお誘いに礼を述べると、翠葉さんは不思議そうな顔で首を傾げてしまう。
 特段、疑問を持たれるようなことを言ったつもりはないのだけど、翠葉さんは何を疑問に思ったのかしら……。
「雅さん、唯兄になんて言われたんですか?」
「え? 翠葉さんと司さんが旅行へ行くのに便乗して、Fメディカル起業メンバーで社員旅行へ行くって……。確か、社長直々のお達しだから、必ず参加するように、って……」
 確かに唯くんはそう言っていたと思うのだけど、翠葉さんの反応からすると、違うのだろうか。
 翠葉さんは思い出したかのように、
「竜田さんは? 竜田さんも起業メンバーですよね?」
「竜田さんなら、お盆にお休みが欲しいという理由から、今回の旅行はお留守番組だとうかがっているけれど……?」
「そうなんですね……」
 翠葉さんは苦笑を浮かべ、「実は……」と話しだした。
「もともとは、ツカサと私のふたりで旅行へ行きたいって両親に話したんです。そしたら、さすがに未成年だけで泊りの旅行は……っていう話になって、蒼兄や唯兄が一緒ならいいよ、って許可が下りたんです」
 なるほど。そこへ私と蔵元さんが加わったというのが、本来の形態なのだろう。
 それでも私は嬉しい。
 修学旅行以外で旅行へ出かけたことはないし、職場の同僚や友人との旅行など、生まれて初めてのことなのだから。
「じゃあ、社員旅行に切り替わったのは唯くんの機転かしら? だとしたら、唯くんに感謝ね」
 そんな話をしていると、桃華さんも嬉しそうに会話に加わった。
「私も唯さんと雅さんに感謝です!」
 私と唯くんに感謝……? 私には、初対面の桃華さんに感謝される覚えはないのだけど……。
「桃華さんも何か事情がおありなの?」
「雅さん、実は、桃華さんと蒼兄はお付き合いしてるんです」
 え……? ……えぇと……翠葉さんのクラスメイトということは、桃華さんは高校三年生よね? 対して蒼樹さんは翠葉さんの七つ年上……。ということは、桃華さんとは八つ離れていることになる。
 かなり年の差があるお付き合いだけれども――あ……もしかして、桃華さんが蒼樹さんと一緒に旅行へ行くには成人した女性の同行が必要だった、ということ? それで私が呼ばれた……?
 そこへ蔵元さんが追加されたのだとしたら、「社員旅行」が完全なる後付だ。
 今回の旅行の全容が見えて、少しおかしくなる。
 たとえ「社員旅行」が後付だとしても、成人女性が必要だから呼ばれたのだとしても、私はかまわない。
 困ったときに思い出してもらえたことが嬉しいし、旅行に誘ってもらえたことを嬉しいと思う気持ちに変わりはないから。
「じゃ、ふたりで唯くんにお礼を言いに行きましょうか」
 桃華さんに声をかけると、桃華さんは弾けんばかりの笑顔で「はいっ!」と答えた。

 トランクから荷物を下ろしている唯くんのもとへ向かい、
「唯くん、楽しい企画をありがとう」
 ちょっと意味深な視線を向けると、
「あれー? ばれちゃったー? でも、雅さん呼んだら全部都合よく収まるし、何よりリィが喜ぶからね!」
「こんなことならいつでも呼んでちょうだい」
「そりゃ良かったやー! 桃華っちも旅行に来られて良かったね!」
「はいっ! 唯さんやおば様が機転を利かせてくれなかったら、絶対に無理でした」
 その言葉に疑問を持つと、桃華さんが説明してくれる。
 本来司さんと翠葉さんの旅行に同行する形だったものは、秋斗さんの招待によって緑山へ招かれたことになっているのだと。
 あちこちに画策ありきな旅行に、自然と笑みが漏れた。


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Update:2020/12/30

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