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光のもとでU+

迷路の出口

Side 藤宮雅 09話

 食後に翠葉さんが集合写真を撮ろうと言い出し、写真撮影後は午後の予定へ向けて各々が準備を始めた。
 部屋に戻った私は姿見の前に立ち、自分の格好を見直す。
 長時間のフライトだから、と身体を締め付けない服装を選んできた。
 普段と比べたらカジュアルなワンピースだし、丈は膝下。
「川へ入るつもりはないし、この格好でも大丈夫……よね?」
 それとも、パンツスタイルのほうがいいのかしら……。
 悩みに悩んで、私はそのままの格好で行くことにした。
 鈴子さんが木陰にラグを敷いてくださるとのことだったけれど、道中のことを考えれば日焼け止めは必須。ほかには数冊の本とタブレット、電子辞書に筆記用具――
「……何かあったときのために、タオルもあったほうがいいかしら?」
 すべてバッグに入れ、忘れ物がないことを確認してからリビングへ戻る。と、翠葉さんと司さんはすでに納涼床へ向けて出発したあとだった。
 ほかのメンバーは稲荷さんの案内で川原へ向かい、秋斗さんと唯くんは、準備運動もせずに川へ飛び込む。
「あーあ、あんなにはしゃいで……。怪我をした際にはなんと言って罵ってやりましょうか」
 蔵元さんは呆れの混じる表情でふたりを見ていた。
 いやみたらしい言葉に呆れているような風体ではあるけれど、視線に宿る温度はあたたかい。それはまるで、年の離れた弟たちを見守るような眼差しに思えた。
 蒼樹さんは桃華さんの荷物を引き受け、桃華さんの手を引きながら歩いていた。どうやら、秋斗さんと唯くんが飛び込んだポイントから程よく離れた場所で、稲荷さんに釣りの手ほどきをしてもらうらしい。
 私と蔵元さんは、川岸の木陰にセッティングされたスペースに落ち着き、鈴子さんが用意してくれたお茶を手に取っていた。
「そういえば、雅さんのカメラ嫌いは治られたんですか?」
 突然の問いかけに、息を呑む。
「ほら、先ほどの集合写真には写られていたので」
 蔵元さんが何を言いたいのかはすぐにわかった。
 私が渡米する直前、社のサイトに責任者のバストアップの写真を載せるため、撮影スタジオで写真を撮る機会があったのだ。
 私の前に秋斗さんと蔵元さんの撮影が行われ、スタジオに響くシャッター音と続けざまに光るフラッシュに萎縮した私は、貧血を起こして倒れてしまったのだ。
 結果、私の写真を撮ることはできず、過去に撮った写真をそれらしく加工してサイトに載せることになったのだけど――
「雅さん……?」
「あっ……写真を撮られるのは未だに苦手なのですが、人と一緒に写るのは大丈夫なようです」
 咄嗟に嘘を吐き笑顔を繕ったけれど、その笑顔は不自然ではなかっただろうか。
 不安に思いながら蔵元さんを見上げると、
「なるほど……。確かに、ひとりで写る写真ってなんか緊張しますからね」
「……えぇ」
 納得してくれたことに安堵し、同時に申し訳なく思う。
 さっきの撮影はリモコンを使った撮影で、連写じゃなかったから大丈夫だったのだ。それから、十分に明るい場所でフラッシュをたく必要がなかったから。
 私のネックは「連写音」と「フラッシュ」。
 このふたつは未だ克服できていないし、克服するには相応の時間を要すだろう。
 何せ、あの腕のいいドクターの暗示すら効かなかったのだから――

 蔵元さんが持ってきた本を広げ始めたので、私もバッグの中から必要なテキストと電子辞書を取り出しシャーペンを手に取る。と、
「雅さん、なぜ英語のテキストを開いていらっしゃるのでしょう……。雅さんはすでに英語は会得してらっしゃいますよね?」
 確かに、日常会話には困らないし、仕事で必要となる単語も粗方カバーできている。でもきっと、現況は「差し支えない」程度に話せているだけで、決してパーフェクトではない。
「今の私は、困らない程度に英語を話せているにすぎません。仕事で使う専門用語は付け焼刃ですし、語彙を増やす努力は必要です。語彙が増えればそれだけ会話に深みを持たせることができますし、商談でも役立つでしょう。今の私にはそういった努力が必要なのだと思います」
 言い終わってはっとする。うっかり「仕事」というワードを出してしまったけど、「勉強」はセーフ? アウト……?
 口元を手で覆って蔵元さんを窺い見ると、蔵元さんはクスクスと笑った。
「いつも思っていましたが、雅さんは仕事熱心なうえに、勉強熱心ですよね。海外支部が問題なく軌道に乗ったのは、間違いなく雅さんの手腕によるものです」
「そんなことは……。ニューヨーク支部を立ち上げた際には、蔵元さんもこちらにいらしてくださっていたではないですか……」
「ですが、商談はすべて雅さんが取り仕切っていたでしょう? 英語は困らない程度に話せますが、雅さんほどではないですし、母国語のように扱うことはできません」
「そんなことは……」
「あります。現に、休暇中にも関わらず、こうして勉強なさっている雅さんに適うわけがない」
 そう言う蔵元さんの手には、「人の上に立つ心得」という自己啓発本がある。
「蔵元さんも仕事絡みの本じゃないですか……」
「そうですね……。ちょっと内緒にしてもらえませんか? 自分、今まで人の上に立つことなどなかった人間なので、時間があるときにこういった本を読んでいないと、不安で仕方ないんです」
 意外な言葉に、私は目を白黒とさせてしまう。
 蔵元さんはいつも冷静で、堂々としていて、人の上に立つのが不慣れというようには見えないからだ。
 ニューヨーク支部の社員たちも、「ボス」と慕うくらいにはきっちりとまとめあげている。
 しかし蔵元さんは、
「雅さんもご存知でしょう? 自分は藤宮警備で平社員ののち、秋斗様付きになった人間です。つまり、企業のトップに立つような道は歩んできてないのですよ。でも、そうも言ってられない立場を押し付けられてしまったので、なんとかしないわけにはいかないんです」
「渋々社長になられたのですか?」
「そうですねぇ……。会社こそ変わりましたが、私にとっては藤宮警備の延長に過ぎないんですよね。あくまでも、私の仕事は秋斗様の補佐――のはずなのに、秋斗様が社長業はやりたくないだの、開発だけに専念したいだのとわがままをおっしゃるから……」
 蔵元さんはこめかみに長い指を添え、短く唸る。
「何かあれば俺がなんとかするからとか言うくらいなら、最初から自分で社長業やれってんですよっ」
 よほど溜まりかねているのか蔵元さんには珍しく、少し語気を荒らげた。
「蔵元さんって、秋斗さんのことあれこれ言いますけど、結局秋斗さんの『お願い』には弱いんですね」
 少し茶化すように話したけれど、秋斗さんと蔵元さんの関係を、いつも羨ましく思っていた。
 お互い言いたいことを言い合って、時には悪態をついたり突っぱねたりするのに、それでも根底ではきちんと信頼関係が築けている――そんなふうに見えるのだ。
「お願いっていうか、お願いすらされていない気が……。あの人、なんて言ったと思います? 起業するときこそ『ついてきてほしい』って言われましたけど、社長業に関しては、『蔵元ならできるでしょ? できないわけがないよね?』で押し付けましたからね?」
 なんとも秋斗さんらしい「お願い」の仕方に私は笑う。
「秋斗さんと仲良しですね?」
「これを『仲良し』と表現される雅さんも、なかなか図太い一面がありそうですね」
 そんな会話をしてはふたり笑った。
 私は蔵元さんの本を指差し、
「その件は黙っておきますので、私のこれも黙っていてくださいね?」
 蔵元さんは私のテキストに視線を落とし、
「仕方ありませんね、ふたりの秘密にしましょう。……ただ、支部のデータを見る云々はだめですよ? あくまでも『勉強』ならいいことにしましょう」

 一時間ほどテキストを解いて過ごすと、ずっと同じ体勢でいたからか、背中と首がバキバキに固まっていることに気づく。
 意識して上体を起こし軽くストレッチを始めると、一冊読み終えたらしい蔵元さんが本を閉じて顔を上げた。
「お茶、飲まれますか?」
「それなら私が――」
「ポットから注ぐくらい、私にもできますよ」
 そう言うと、蔵元さんは鈴子さんが用意してくれたポットからお茶を注ぎ始めた。
「ありがとうございます……」
「いいえ」
 蔵元さんが次に用意した本も、経営に関する本だった。
「蔵元さんも勉強熱心ですよね?」
「自分の場合、仕事以外に何もないだけなんです」
 蔵元さんは苦笑し、少し困ったような顔で本の表紙に視線を落とす。
「私から仕事を取り上げたら、何も残りません。これといった趣味があるわけでもなく、休日の過ごし方がそもそもわからない。ずっと仕事をしていたいわけじゃありませんが、仕事をしているほうがやることがあって落ち着くと思うことがあるくらいには、何もない人間なんです」
 そのカミングアウトに親近感を覚えた。
「私もです……。勉強や仕事のほかには何もない、空っぽな人間なんです」
「おや、同胞でしたか」
「困ったことに……」
 そんな会話をしては笑みが漏れる。
「学生のころは、それなりに趣味があったはずなんですが、社会人になったらなくなってましたね。唯一、読書だけは続けているのですが、それも仕事に関するものばかりになってしまった。これはどこかで意識して、違うものを取り入れるべきですかねぇ……」
「そうですね。人は意識を変えると行動パターンまで変わると言いますし……。とはいえ、私も似たり寄ったりです。心理学の文献を読み漁るのが習慣になっていて、今でもそんな本ばかり読んでいます。でも、肝心なときには生かせない――」
「おや、そうなのですか? 以前秋斗様にアドバイスをなさっているときは、とても毅然としてらっしゃったように見えましたが」
 それはきっと、去年の忘年会のときのことを言っているのだろう。
「あれは……他人事だからできるんです。今までに得た知識を使って人にアドバイスをしたり、良い方へ向かうように誘導することはさほど難しいことではありません。でも――自分には使えない。どうしてそう思ってしまうのか、そう考えてしまうのか。そう考えてしまうときにはどうしたらいいのか――すべてわかっているはずなのに、うまくコントロールできません」
 こんなことをドクター以外の人に話すのは初めてのことだった。
 緊張から手元に視線を落とすと、
「なんだかとても、人間らしい雅さんを見た気がします」
「……人間らしい、ですか?」
 蔵元さんを見ると、穏やかな笑みを浮かべていた。
「えぇ、人間らしい雅さんです」
「それ、いつもはどう見えていたのでしょう……」
「そうですね……。まだ二十代なのに自分より年上の男性を従えることもできる、毅然とした女性、ですかね。ニューヨーク支部では『レディー・パーフェクト』と呼ばれているでしょう? そのままのイメージでしたよ」
「やめてください……。さすがに私の前でそう呼ぶ人はいませんし、実際そんな完璧な人間ではありません」
「ですが、今まで一度もミスしたことがありませんよね? それどころか、部下のミスを毎回見事にリカバリーしてくる」
「だって、仕事以外には本当に何もないんです……。仕事くらいできなくちゃだめじゃないですか……」
「そんなこともないと思うんですけどねぇ……」
 ふと視線を前方へ向けると、蒼樹さんと桃華さんが釣れた魚を見て嬉しそうに笑い合っているのが目に入った。
「独り者には眩しすぎる光景ですね」
 蔵元さんの言葉にドキッとする。
 今の「ドキッ」は何に対しての「ドキッ」だろう……。
 同じようなことを考えていたことに「ドキッ」としたのか、それとも「独り者」という言葉に反応したのか。
 そのどちらなのかを知りたくて、
「蔵元さんは、お付き合いされている方はいらっしゃらないのですか?」
「いたらこんな旅行に駆り出されてませんよ。それに特定の相手がいるなら、休日だってその方と過ごしているでしょう。でも実際は、休暇の友は本だけですし、今日も変わらず秋斗様のお守りですよ」
 自虐的な話し方がおかしくて、私は声を立てて笑った。


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Update:2021/01/01

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