俺は教科書の右ページ中ほどを指して教えを請う。
「あぁ」
「次、当たるんだけどわかんないんだよね」
当たるのは本当、わかんないのは嘘。ただ、隣人に話しかけたかったってだけ。 四限の授業は移動教室だったわけだけど、立川にしては珍しく、息を切らして時間ギリギリに来たからさ。なんかあったもんかと思って。
昼休みにでも探りを入れようと思っていて、今。
二言三言交わせれば良かったわけだけど、俺のもくろみはノートというアイテムに阻止される。
ま、予想はしてたけどね……。
立川は人に教えるということをしない。俺にですら、ノートを見てわからないんだったら俺の説明を聞いてもわかるわけがない、といったふうなのだ。
俺は自分のノートと見比べて、正解の答え合わせをしていた。
早い話、何か聞きだすのは無理か――と諦めていたわけだ。が、珍しいことに立川から話しかけてきた。
「なぁ」
「んー?」
そ知らぬ顔で返事してみせたけど、体中の好奇心が俺から出て行っちゃいそうなくらいにうずうずしている。
何これ、すんごい貴重なんじゃないの?
「レイと付き合ってんだろ?」
どうした、立川っ?
間を空けずに答えそうになった。危険極まりない。
この男のヘソを曲げないように細心の注意が必要とされる今、そんな応答はしてはならない。
俺は直ちに心の中のみで呼吸を正す。その際、もちろん肩が上がったりしてはいけない。
「そうだけど……急にどうした?」
好奇心など微塵も見せてはならない。見たくとも、立川のほうを向くなど言語道断。
俺は警戒されないように下手な間は空けず、ゆっくりのんびりと、極力刺激を与えないように話した。
「いや、あの偏屈をどうやって懐柔したか気になってな」
切れ味抜群、相変わらずの辛口だ。
「偏屈って……。レイさんは偏屈じゃないと思うけど?」
実の兄が言った言葉だとしても、俺は彼氏。やっぱりそこは反論はすべきかな、ってね?。
立川は「そうか?」と、珍妙なものでも見るような目で俺を見ていた。
あまりに話が脱線するのもよろしくない。
俺はさりげなく話を戻す。
「そうだなぁ……気持ちを言葉にしただけ、かな? これといったことはしてないよ。あとは餌付けよろしくチョコを毎日お届けしてたくらい? そのくらいじゃない?」
「言葉……ねぇ?」
立川はそれっきり黙りこんでしまった。
さっきから、開いている本はずっと同じページのまま前後すらしない。ついで言うなら、立川の視線も上下左右ともに動かなかった。
授業中も然り。指名でもされたらアウトじゃなかろうか?
そんなことを思っていると、まんまと指名される。
立ち上がり様、立川が俺を見た。俺は教科書を指差す。
たったそれだけで、次の瞬間にはスラスラと正解という名の答えを口にする。
まったく……。その頭がどういう構造してるのか教えてほしいものだ。
五限が終わると、俺はレイさんにメールを送った。
件名:オニイサン変よ?
本文:心ここにあらず、っぽい。
でも、指名されたらサクっと正解答えてた。
返信はこうだ。
件名:イモウトさん変よ?
本文:心ここにあらず、は一緒ね。
柊は答えどころか教科を間違えてたけど。
なんですか、あっちもこっちも……。
俺は懲りずにメールを送る。「極秘情報とかないんですか」と。
すると、「まぁそんな難しい話じゃないわ」とだけ返ってきた。
つまり、レイさんは何があったか聞いたわけだ。
きっと、柊経由で。
チラリ、と立川を見るも、何かを期待していい状況ではない。
この男から話を聞きだすのは至難のわざだ。(いつか習得したいけど)
俺はおとなしく携帯を閉じ、放課後になるのを待った。
*****
ホームルームが終り、二組の前を通ったけれど、予想通り。レイさんはもうクラスにいない。その隣、柊の席も空だ。
「ま、いっつも五組の方がホームルーム終わるの遅いからなー」
ぼやきつつ五階を目指す。
三階を過ぎたところでコーラス部の先輩に声をかけられた。
現コーラス部の部長、長谷川祥子(はせがわしょうこ)先輩だった。
「やっほ! 聖、風邪とか引いてない?」
「俺、バカですもん。風邪なんて引きませんよ」
「とかなんとか言っちゃってぇ。いつも学年十位以内って裏は取れてんのよっ?」
「先輩のリサーチ力半端ないっすね。ってか、他学年の成績順位までリサーチしてどうするんですか……」
「いや、そこはなんていうか、知りたくなくても入ってくる情報っていうかね?」
ほんの少し言葉を濁し、元気良かった笑顔が苦笑に変わる。
「やぁ、ほらさ、先月はごめん。謝らなくちゃなぁって思ってたんだけど、部員の手前上、ちょっと難しくってさ」
あぁ、と思う。
「別に気にしてませんよ。蓮田先生に女子は未知の生命体ってご教授いただきましたから」
「うーわっ、蓮田センセひどっ……。いや、でも、本当、寄って集って……なことになっちゃってごめん。あればかりは止めらんなくてさ」
「いいですよ、先輩も一応女子ですしね?」
いたずらっぽく笑うと、根に持ってないことが伝わったのか、先輩はグーパンチで反撃してきた。
「一応女子とか言うなっ! 立派に女子で乙女だっ!」
「はいはい」
「またさ、何かあったときには助っ人に来てくれる?」
「いいですよ。病人怪我人出た際にはいつでもどうぞ」
「柊にもやな思いさせちゃったっぽいんだけど……大丈夫かな?」
「あぁ……俺と柊は別個体だからアレですけど」
でも、たぶん――。
「大丈夫だと思います。ほら、柊ですから」
「今度、ふたりまとめてパフェでもなんでも奢るっ」
「ホントですか? 一筆書いてもらっとこうかなぁ?」
「んなもん、一筆でもレコーダーでもなんでも来いっ!」
「あはは」
身長が柊よりも三センチだけ高くて、美人の部類には入らないけど愛嬌のある顔。いつも元気でノリが良くて、頼りがいもある。
そんな祥子(しょうこ)先輩に憧れてた時期もあるけど、あれは憧れだったんだな、と今ならわかる。
“打てば響く”。そんな会話が心地よかったんだ。柊と一緒にいるみたいな感じで。
身長も体格も同じくらいだから、柊が隣にいるような錯覚を何度か起した。そこに、“頼れる”というオプションがつく人だった。
一緒にいて楽なのと恋は違った。
先輩には憧れはしても、レイさんに感じたようなドキドキはなかった。
会いたいとか、その人の視界に入っていたいとか――そんなんじゃ足りない。もっともっと高みを望む。
その人のただひとつの……唯一の存在、“特別”になりたいと強く想う。“視界”ではなく、心にどうやったら入れるのかを考え画策する。
その心を手に入れるためだけに。
「祥子先輩、本当に気にするだけ損しますから」
「いやーでもね」 と申し訳なさそうにする。
「じゃぁ、仕方ない。今度、柊とふたりでごちそうになりますかね? その代わり、先輩のパフェは俺と柊がごちそうします」
「それじゃ意味ないじゃんっ!」
「大丈夫、それでも俺たちのほうがパフェひとつ分得してますから」
実際のところ、パフェは食べられないから俺はチーズケーキあたりになりそうだけど……。
そんな話をしているうちに五階に着いた。
祥子先輩は、じゃぁまたね、とスカートを翻して音楽室に入る。
俺はその姿を見送ってからレイさんのいる美術室へと向った。
*****
相変わらず、ガランとした美術室にレイさんがひとりイーゼルを立てている。
コンコン、と音を鳴らし、俺は彼女の注意を引く。
振り向いたレイさんに「お邪魔?」と訊くと、「別に」と返された。
彼氏という肩書きを得ようと、関係まではそうすぐに変わるものじゃない。
いや、中には昨日の今日で、どうした? っていうほどに変わる人間たちもいるけれど、俺たちはそうじゃなかった。
不意に見せるとっておきの表情は、俺だって三日に一度くらいしか拝めない。見ようと思えば見れるんだけど、あまりからかうと拗ねて話してくれなくなる、ということを学んだ。
まぁ、何かな?
その他大勢の男たちがまず拝めないようなかわいらしさは、頻度少なくとも、自分だけが見れればいいかな、と思える程度に改心した。
俺の前以外では“クールビューティー”でいてください、ね?
「柊たちって何かあったの?」
「説明するのが面倒」
「さいですか……」
つれない――ま、いつものことだけど。
そんな彼女も柊のことは気に入っている。
その彼女が“面倒”の一言で片付けるのだ。きっと長引くものでも重大なことでもないのだろう。
少なくとも、第三者の俺たちにとっては。当事者たちがどうかは知らないけどね。
ほら、現にあの立川があんな調子だったわけだから。柊のほうは……標準装備で教科間違いくらいはするかな、と思う。
黙っていたからか、レイさんが口を開いた。
「今日、一緒に帰ってるはずよ」
「え? そうなの?」
「どうせ家に帰ったら柊から話すんじゃないの?」
「んー、まぁね」
曖昧に返事した理由は、最近、柊となんとなく“距離”ができた気がして。
あまり深くは考えてなかったんだけど、その変化を少し考えるべきなのかもしれない。
話す許可をもらえたと解釈した俺は、もう少しだけ突っ込んでみる。
「それは、解決後の話しが聞けるってことかな?」
「ルイが変だったんでしょ?」
「俺が見てわかる程度には?」
「じゃぁそうなんじゃない? あのルイがそんな状況放置するわけないし」
「なるほど」
立川ツインズには俺と柊とは違う何か、があるようだ。
それ以上は訊かず、俺はレイさんが描く絵をじっと見ていた。
Update:2011/12(改稿:2013/08/18)
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