Twins〜恋愛奮闘記〜

ホワイトシーズン Side 聖 05話

「立川、ちょっとここ教えて」
 レイさんと付き合うようになってから、放課後の数十分を美術室で過ごすようになった。
 時間にして二十分くらい。三十分とかからない時間なら、柊は即答で待ってると答えただろう。
 待っててと言ったなら、
「りょうかーい。教室にいるからごゆっくり」
 そう答えたはずだ。
 先に帰って、と言ったのは自分で、結果、俺は片道四十分のバスにひとりで乗ることが増えたわけだけど、なぜかその状況に違和感を覚えた。
 今まで、その違和感が何か、深く突き詰めて考えることはなかった。
 違うな――そんなことを考えるほど余裕がなかったって言うほうが正しい。
 レイさんと過ごせる時間が嬉しくて、僅かな変化に気付きもしなかった。
 さすがに、それが半月続けば多少の余裕も出てきてほかにも気が回るようになる。
 それを直視する羽目になったのがこの日だった。


    *****


 校舎を出ると、すでに薄っすらと雪化粧をしている植木があってびっくりする。
 美術室にいるときは、レイさんとレイさんの描く絵しか見ておらず、雪が降ってきたことに気づきもしなかった。
 俺は一瞬だけ躊躇して、携帯の通話ボタンを押す。
 まだ、携帯で話すということに慣れないのだ。彼女の声が耳に直接響くこの感じに……。
『何』
「レイさん、外見て?』
『外?』
 彼女の長い髪が、サラリ、と宙を切る音が聞こえた気がした。
『雪ね』
「そう、雪っ!」
『それだけ?』
「それだけ。置き傘は?」
『あるわ』
「なら平気だね。じゃ、あまり遅くならないうちに帰んなよ?」
『……ありがとう』
 今、彼女の頬は少し赤らんでるのだろう。
 返事に間があるときはたいていそうなのだ。
「残念。今、目の前にレイさんがいたら抱きしめるのに」
『っ!? 切るっ』
 短い宣告のあと、ブツッ、と切られた。携帯からツーツーツーという音が聞こえてきて吹き出す。
 どうやら麗しい彼女の機嫌を少々損ねてしまったようだ。
 停車していたバスに乗り込むと、窓の外側の縁(へり)には雪がわずかに積もっていた。
 柊、喜んでるだろうな。
 柊は寒いのが苦手なくせに雪が好きだ。積もったら間違いなく雪だるまを作ろうと言われるに違いない。
 さらにはタロちゃんたちにまで声をかけ、かまくらを作ろう、と言い出しかねない。
「もう高校生なんだけどな」
 柊といるといつまでも子供のままの気がしてしまう。それが嫌とかそういうことではなく、何も変わらない――“不変”のものが存在すると思う。
 誕生日を迎えるたびに、一学年上がるごとに、変わりゆくものが増えていく。
 その中で、唯一変わらないものが柊と自分の関係で、距離だと思っていた。
 でも、今、俺はひとりでバスに乗っている。
 そりゃ、そうだよな……。彼女ができて、その人と過ごす時間ができれば、必然的に柊との時間が減るわけだ。
 何も変わらないわけがなかった。
「でも……それって普通のことだよな」
 漠然すぎる“普通”の取り扱いは苦手だ。せめて、自分が納得できる定義のもとに“普通”を扱いたい。
 俺にとっての普通って何かな?
 帰り道は延々とそんなことを考えていた。
 家に着いたのは五時五十五分。
 ダッシュで三階に上がり、自室で私服に着替え音楽教室に下りた。
 リビングにも寄る時間がなかったから柊には会ってない。
 何かあったなら、俺がどんなに急いでようと、必ず玄関でキャッチして逃さない柊と会わなかった。
 無事に解決したってことか……。それとも、また熱出して部屋で寝込んでるとか?
 音楽教室のカウンターに入ると、受話器を置いた仙波さんに声をかけられる。
「聖くん、おはよ。何、首傾げて」
「あ、おはようございます」
 言いながら首をもとの状態に戻す。
「いや、上で柊と会わなかったな、と思って」
 OLさんに人気のピアノ講師。うちの教室でメガネが一番似合う男、仙波弓弦せんばゆづる二十六歳はクスリと笑って答えた。
「柊ちゃんなら下」
 きれいな指で地下を指した。
「地下って……」
「何があったのか知らないけど、珍しく教室のドアから帰ってきてね。即行手に取ったのがソレ、練習室予約表」
 地下を指した指が、今度はカウンターに出たままになっている練習室予約表を指す。
「聖くんが六時からバイトに入るから、自分は休ませてくれって」
「は?」
「今日、仕事に入ったら絶対にミスする自信があるって言ってた」
「はぁ……」
 それはどっちなんだろう。何かがあってどん底なのか、有頂天でどうにもならないのか――。
「それにしたって、コレ……」
「ね?」
 仙波さんは肩を竦める。
「地下スタジオ四時間押さえてあるって……」
「聖くん、喉壊す前に止めてあげてね」
「本当に……」
 俺は予約表から地下スタジオ四時間のうちの二時間を修正テープで消す。
「これでよし」
「あはは」
「笑いごとじゃないですってば……」
「まぁね」
 仙波さんは時計を見て、そろそろ一時間だ、と口にした。
「心配なんでしょ? ちょっと見てきなよ、僕も心配だからさ。柊ちゃん、飲み物も何も持たずに制服のまま直行したし」
 言うと、椅子から腰を上げ、カウンター下にある小さなドリンクストッカーからポカリスエットを取り出した。

「ただでさえ乾燥する季節なうえに、今、地下スタジオの加湿器壊れてるし。……暖房入れて歌なんて歌ったときのこと、考えたくないよね? 持ってってあげて」
「ありがとうございます」
 地下に下りると、何種類かある音の中から柊の声だけを拾う。
「なんだ……」
 声を聞けばわかる。
 どんなふうに歌ってるのか聞けばわかる。
 歌っても歌っても嬉しいって感情が心から溢れて持て余す。だから、予約表の空いていた四時間全部を押さえたんだ。
 こんなに気持ち良さそうに歌ってるのをとめるのは忍びなく、歌っている曲が終わるのを待った。
 軽くノックして入ろうとすると、すぐに次の曲を歌い始める。
「柊」
「っ、聖」
 俺に気付いた柊は十分に体があったまってる状態で、頬を赤く上気させていた。
「水分持たずに練習室入るなって何度言ったらわかるんだよ」
「あっ、忘れてた。ポカリーーーっっっ!」
 俺の持ってきたポカリに飛びつき、キャップをあけるとゴクゴクと飲む。
「五分だけ時間もらってきたから、一曲付き合うよ。何がいい?」
「Beauty and the beast!」
「了解」
 何で即答でその曲だったのかは不明。でも、迷いなくその曲を選んだ。
 あとで知った話し。
 どうやら、立川の前で初めて歌った歌がそれだったらしい。
 俺はスタジオを出るとき、伝え忘れたことを口にする。
「四時間のご予約を頂きましたが、ほかの利用者様のご迷惑になりますので、当スタジオは連続貸し出しは二コマまでとなっております」
「えーーーっ!? 足りないっ」
「足りないじゃなくて、通常なら一時間歌ったら休めって先生に言われてるだろ? ぶっ通し二時間許すだけでもありがたく思ってほしいね」
「うぐぐ、聖のいけずぅ……」
「なんとでも?」
 俺はじとりと睨まれたままスタジオのドアを閉めた。


     *****


 夜には今日何があったかを聞くことができた。
 でも、俺の中には別種の違和感が生まれる。
 それが何かに気付くまでに時間はかからなかった。
 柊が喋らない。……正確には、喋ってるのに全部じゃない。
 隠しごとをしているとかそういうことじゃなくて、会話が足りない、と思う。
 会話というよりも、言葉数。柊の思考の分だけ言葉がない。
 そこに生じる“間”が違和感の正体だった。
 その“間”の柊は、難しい顔をして懸命に頭を働かせている。
 口に出してあれこれ思考整理していた柊が、口を閉ざすとこうなるのか、と思った。
 こんなにも言葉数が減るのか、といささか驚いた。
 何がきっかけなのか……。
 考えるまでもなく、立川、だろう。
 後日、立川に訊いたら簡潔に答えた。
 口に出さずに整理しろ、俺は聖じゃない、そう言ったらしい。
 もっともだ。
 でも、これは放置しておくとあと数日でオーバーヒート起すんじゃなかろうか?
 そんな柊を目の当たりにしていた。


     *****


 雪の降った日から、毎晩のようにローズヒップティーを淹れて飲む柊は、今日も嬉しそうにティースプーンから落ちるハチミツを眺めていた。
「ハチミツは溶けた?」
 訊くと、ふわふわした髪を道連れに首を振る。
「ううん。まだかき混ぜてないの」
「ゆらゆらふわふわ?」
「んー……それはまだわからない、かな」
「だろうね?」
「え?」
 ただでさえ低いのに、カップと同じ高さに目線を合わせていた柊は、首をぐいっと後ろに傾け俺を見上げる。
 自分と同じ、色素薄めの目を見て返す。
「だって、最初からハチミツは柊のほうじゃん」
「え?」
「立川がハチミツ? ないない……。あれはどっちかっていうと、そのままじゃ到底飲めない酸っぱいローズヒップのほうだってば。それに自分がゆらゆらしてるときって、地面が揺れてるのか、自分が揺れてるのかわからなかったりするでしょ?」
 俺が言葉を切らずに話すと、柊はティースプーンをカップの中に放棄して、新しく身につけたらしい思考整理術を披露する。
 それはとてもわかりやすいもので、あれはあっちこれはこっちと、見えない思考をまるでものでも扱うようにカウンターの上に並べていく。
「考えるとき、口に出すのやめたんだ?」
 ここ数日、何度か訊くチャンスはあったけど、何でか訊けなかった。でも、そろそろ話しておかないと柊が壊れる。
 そう思ったら、意外なほどすんなりと訊くことができた。
 柊は、
「目下努力中。なかなか難しくて苦戦してる」
 苦笑しながら答えた。
 努力家の柊らしい。でも、努力の負担が過ぎると結果が出る前に故障する。
 それにさ――なんか、俺がダメなんだ。
「聖?」
 いつもと変わらない目が不思議そうに俺を見ていた。
「柊サン、提案があるんですけども」
「何?」
「一緒にいられるうちは一緒にいようよ」
 柊が瞬きをしたとき、また沈黙の思考タイムに入るかと思った。
 その間を設けまい、と俺は次を続ける。
「二年になったら専攻が違うから棟も別になる。それに、次の進学先は間違いなく別だよね? だからさ、一緒にいられるときは一緒にいようよ」
「それでいいのかな?」
「あれ? 柊は立川とイチャコラしてるほうがいいんだ?」
「ち、違っ」
「じゃぁさ、たまにはダブルデートとかしようよ。俺と柊が一緒にいられる時間より、四人一緒にいられる時間のほうがもっと貴重な気がする」
「っ……うん!」

 ごめん。理由はそれだけじゃない。
 俺が、急にあれこれ変わることに耐えられそうにないんだ。
 自分に彼女ができ、柊にも彼氏ができた。
 そのふたつの変化より、俺と柊の間に生じる変化。
 どうやら、こちのほうが大ごとらしい。
 遅かれ早かれ、近い未来に道は分かれる。
 小さなものなら来月――二年での専攻する科が別になる。そこが初めての岐路、分岐点。
 理系と芸術コースで悩んだのは、両親への引け目もあったけど、本当は、柊と離れることに気の迷いがあったのかもしれない。
 人のせいにするつもりはないけれど、一番身近にいる双子が同じような道を歩んでるだけに、自分たちもそうなのか、と思っていた。
 都ちゃんと神楽ちゃんは生まれたときからずっと一緒で、小中高大学、さらには職業も職種も同じ。
 それをずっと見てきたからか、ひとり音楽の道を外れ、違う道を行くことがいいことなのか、何を基準に決めたらいいのかわからなかったんだ。
 相談したのは従姉ツインズの弟、従弟のアキ。
 母さんの実家は神社だ。
 だけど、上ふたりは音楽家になり、アキはスプリンター。
 大学は教育学部に進もうかな、などと話していた。神職でもなく、音楽の道でもなく――。
『聖、聖の人生は誰のもん?』
 アキに訊かれた。
「俺の」
『なら、迷う必要ないだろ?』
「…………」
『聖、教師に向いてるよ。柊の勉強みるのうまいし。子供の扱い慣れてるし。いいじゃん、音楽家の息子が教師でも。神社の息子がガッコの先生しててもさ』
「そっか……」
『そうだよ。もし、それで誰かが文句言うなら俺の大事なスクラップブック貸してやる』
「は?」
『蒼樹さんのお父さん、御園生零樹さんっていってさ、建築家なんだけど、雑誌の取材で答えてた。自分が進む道に信念があればいいって』
 “蒼樹さん”とはアキがリスペクトするスプリンターで、その苗字を御園生という。
 その御園生蒼樹さんのお父さんが“零樹”さんなのだろう。
 今まで雑誌の切り抜きは蒼樹さんのものだけだったはずだけど、その当の本人は陸上をやめてしまい、今となっては雑誌にも載らなくなったという。
 だからって、普通父親に行くか? と思いつつ、言われた言葉を反芻した。
「自分が進む道に信念があれば、か。かっこいいね」
『だろ?』
 得意気な声が返ってくる。
「うん、すごくかっこいいと思う」
『聖、大丈夫。柊と進む道が別になっても俺と一緒。理系教えてよ。俺、文系教えるから。で、大学受験のときは苦手科目カバーし合おうぜ』
「いいな、それ」
『だろ? あ、理系といえば御園生……。あのさ、もうすぐなんだ。もうすぐ病院から出てくるんだ。そしたら会わせられると思う』
「え? 御園生さんって、美少女さん?」
『そう』
 病院から出てくるって……。
 前に体調を崩したと聞いたのは年末のことだ。
 もしかして、そこからずっと……? 進級、大丈夫なの?
『今度こそ、会わせられる』
 アキが言葉に力をこめたのがわかった。
『御園生ってさ、話してると何か不思議な気分になるんだ』
「……どんな?」
『言葉での説明はちょっと難しい。実物に会ったほうが早い。たぶん、聖も柊も何か感じずにはいられないと思うよ』
「アキ、自分で御園生さんのハードルを上げてるけども?」
『あはは……そういうわけじゃないんだけど、ちょっと人よりも目を引く容姿してて頭が抜群に良かったりするけど、人としては普通。ただ、感性があまり普通じゃない、かな?』
 うん、アキ。それは総じて“普通じゃない”って言うんだよ。
 藤宮の生徒に“頭がいい”とか言われちゃう人間なんて端から規格外じゃんか。
「ま、楽しみにしておくよ」
『そうして、近いうちに絶対連絡入れるから』
「了解。……アキ、助かった」
『何言ってるんだか……。柊とも話せよ?』
 さすが従弟だなぁ、と思った。
 現時点で俺が何を悩んでいるのか、柊に話していないのを見事に見破られた。
「も少し時間おいたらね」
 そう言って、通話を切った。
 俺はアキと話すことで理系に進むことを決めることができた。そのことは、まだ柊に話してはいない。
 早めにカミングアウトしないと言いづらくなるだろう。
 春休み中には話すか……。
「柊ー? 携帯、“美女と野獣”が鳴ってるわよー」
 三階にいた母さんの言葉に、「はーい!」と柊が元気に答える。
「美女と野獣って誰の着信音?」
 訊くと、にひっと笑って答える。
 すごく柊らしい表情で、「ルイ君」と。
 俺はその表情と答えに腹筋を持っていかれた。
 緊張が緩んだところに、立川と答えられた日には辛い。
 俺はこみ上げてくるものを堪えずに笑った。腹の底から思い切り。
 今まで胸につかえてた違和感や不安を、全部吐き出せた気がした。
 あぁ、これでいいんだ。
 そう思えた。

END

Update:2011/12(改稿:2013/08/18)



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