光のもとでT

第二章 兄妹



第二章 兄妹 24話


 公園を出て、朝来た道を戻ること数分。
「ここです」
 三人はとても驚いた顔をした。
「本当に近いのね?」
 桃華さんが来た道を振り返りながら言う。
「そうなの。蒼兄は毎朝あの公園に走りに行くのよ」
 玄関のドアを開けて驚いたのは藤宮先輩だった。
「……少し広めのつくりていうか、何か違う次元じゃない? 一般家庭の玄関とは言えないんだけど」
 藤宮先輩は玄関を見渡し、突き当たりのエレベーターを見ながら言う。
「一般家庭の玄関……?」
「一般家庭の玄関に、普通応接セットはない」
 そうなの……? でも、お母さんの実家はうちの玄関より広いし、応接室っぽいつくりなのだけど……。
 私はほかの何と比べたらいいのかわからず、
「玄関に応接セットがあるのは普通じゃないの……?」
 桃華さんに助けを乞うと、
「翠葉、普通の家の玄関は、外から帰ってきた人が靴をスリッパに履き替える場所であることが多いと思うの」
「そうなのね……。うちは両親が自営業で、三階が仕事場なんです。エレベーターはお客様を仕事場へ通すためのもので、ソファセットはここで簡単な打ち合わせができるように、だそうです」
 部屋ほど広くはない代わり、天井を高くとって開放感を演出してるため、実際の広さよりは少し広く感じるつくりになっている。
「居住空間は一階と二階だけだから、そんなに広い家じゃないよ」
 廊下の先にあるリビングへ三人を案内すると、
「まるで雑誌の中に出てきそうな家ね?」
 言いながら、桃華さんが部屋を見回していた。
「さすが、建築家御園生零樹さんとインテリアコーディネーター城井碧さんの家って感じだな」
 そんなふうに口にしたのは秋斗さんだった。
「父と母のこと、知ってるんですか?」
「まあね。名前だけは以前から知ってたし、蒼樹から両親だって聞いてもいる」
「そうなんですね」
 城井とはお母さんの旧姓で、仕事のときは今も旧姓を使っている。
「人の動線を邪魔するものは何もないし、利便性もいい」
 そのコメントに、先輩は機能性重視の人なんだな、と思う。
 三人とも飽きずに部屋に視線をめぐらせていた
 うちはシンプルなつくりだけど、住む人のことをよく考えてつくられている。
 お母さんが集めてきたこだわりのある家具が程よいスパイスになっていて、それは私のちょっとした自慢だった。
 部屋を見回している三人をそのままに、私はキッチンでお茶の用意をすることにした。
 今日は、昨日焼いたクッキーもある。
 トレイにお茶とクッキーを載せると、リビングのローテーブルへ運ぶ。
 みんながソファに掛ける中、私ひとりがラグに腰を下ろした。
「翠葉、私、写真が見たいわ」
「うん、いいよ。ただ、ちょっと重いからお部屋へ移動したほうがいいかも……」
「自室は二階?」
「ううん、すぐそこ」
 自分の背後にある木製の引き戸を指差すと、
「え? そこ、クローゼットじゃなくて部屋なの?」
 声をあげたのは秋斗さんだった。
「もとは温室だったんですけど、私がよく階段から落ちるから、私の部屋を一階へ移してくれたんです」
「そうだったんだ」
 何も気に留めない様子の秋斗さんと先輩を見つつ、
「この部屋のデザインをしてくれたのは蒼兄なんですよ」
 たったそれだけの説明をしてドアを開ける。と、
「「あ――」」
 藤宮先輩と秋斗さんが声をあげた。
 私はふたりを見てクスクスと笑う。
 私も図書室にある秋斗さんの仕事部屋に入ったとき、同じような心境だっただけに、今ふたりがどんな心境なのかがよくわかる。
 あのとき口にはしなかったけれど、秋斗さんの仕事部屋のデザインが蒼兄のものであることには気づいていた。
 秋斗さんと先輩は、吸い込まれるように自室へと足を踏み入れる。
 私が本棚の引き戸を引くと、
「こんなところまで一緒だなんて」
 と、秋斗さんが笑った。
「もっとも、僕の仕事部屋の本棚に引き戸なんてついてないけどね」
「これは地震対策だって言ってました。地震で揺れても本が飛び出さないように、って。ベッドのあたりの天井が少し低くなっているのはシェルターになってるからだそうです」
 秋斗さんは何かを思い出したように、「蒼樹のやつめ……」と口にする。
 本棚からいくつかアルバムを取り出し桃華さんに差し出す。
「重いから置いて見てね」
 声をかけると、桃華さんはハープが気になっているみたいだった。
「これは翠葉の趣味?」
 ハープを指差して訊かれる。
「うん。小学六年生のとき、両親にピアノのほかに何か習いたいものはないかって訊かれて、そのときに始めたの」
「あとで聞かせてね」
「拙い演奏でよければ」
 秋斗さんは本棚の本を端から眺めており、藤宮先輩は家具のひとつひとつを検分している。
 その背後に近寄り、
「ソファもテーブルも、秋斗さんの仕事部屋にあるのと同じものです」
 藤宮先輩は、「やっぱり」といった顔をした。
 三人とも思い思いのものを手に取っていたので、
「私、お昼ご飯作ってくるのでゆっくりしててください」
 そう言うと、部屋をあとにした。

 お昼はパスタとポテトサラダにしようと思っていたので、昨日のうちにポテトサラダは作っておいた。でも四人分になると分量が少し足りない。
「足りない分はレタスとトマトを足せばいっか……」
 メインディッシュは魚介類のトマトパスタ。
 シーフードミックスを軽く炒めてホールトマトを入れ、味付けはお塩と下ろしにんにくと粗引き黒胡椒。それから、少しピリっと辛味を加えるために鷹の爪を少々。
 私が作る料理は十五分前後で作れるものが多い。かかっても三十分以内。
 なぜなら、それ以上は立っていられないからだ。
 手が込んだものを作るときは、時間をかけて休み休み作る。
 すべて作り終わってダイニングテーブルに運ぼうとしたら、秋斗さんが手伝いに来てくれた。
「持つよ」
 と、トレイを引き受けてはダイニングテーブルへ運んでくれる。
 最後に運ぶのはウォーターピッチャー。薄くスライスしたレモンをピッチャーに浮かべたら完成。
「涼やかだね」
 秋斗さんに言われて、「はい」と答えた。
 グラスの用意まで終わってから桃華さんと藤宮先輩を呼びに行くと、ふたりは間隔を開けて座り、アルバムを見ていた。
「ご飯の用意できたから食べよう?」
 声をかけるとふたり同時に顔を上げる。
「いい匂い」
 桃華さんが先に出て、藤宮先輩は「パスタ?」と訊いてきた。
「はい。トマトソースのシーフードパスタとポテトサラダ。簡単なもので申し訳ないのですが……」
 桃華さんが「おいしそう」と言うと、
「翠葉ちゃんの手料理はおいしいよ」
「秋兄、なんで知ってるの?」
 藤宮先輩がフォークを手にしつつたずねる。
「この間、仕事部屋で作ってもらったから」
「ふーん……」
 四人それぞれ、「いただきます」と口にして食べ始めた。
 私の目の前には藤宮先輩、右隣が桃華さん。そして桃華さんの前に秋斗さんが座っている。
 どうしてこの席次になったかと言うならば、
「藤宮司の隣はいやだし、顔なんか見て食べたら消化不良起こしそうだわ」
「僕も、どうせならかわいい子を見ながら食べたいな」
 桃華さんと秋斗さんの希望を聞くと、この席次以外にあり得ないわけで……。
 格好いい人の前で食事をするのはこんなにも緊張するものなのだろうか。
 できる限り視界に入れずに食べようとすると、トマトパスタをじっと見て食べることになる。
 前方から強烈な視線を感じて顔を上げる。と、藤宮先輩の視線とぶつかった。
「……なんでしょう?」
 引きつり笑いでたずねると、
「それしか食べないの?」
 自分のパスタプレートを見たけれど、いつもの分量と変わりはない。
「俺の三分の一くらいしかないと思うんだけど」
「あ……えと、これが私の適量なので……」
「もっと食べたら? ただでさえ痩せてるんだから」
 言われて困っていると、桃華さんが助け舟を出してくれた。
「人には人の適量ってものがあるでしょ」
「簾条には訊いてない」
 容赦ない藤宮先輩の視線が戻ってくる。
「……あの、ご飯食べたあとの消化に血液が使われて貧血起こしちゃうから、一気にたくさんは食べられないの」
「……ことごとく面倒な身体だな」
「はい、自覚しています……」
「……それなら、一日五食くらい食べたら?」
「……検討してみます」
 そんな会話をしていれば秋斗さんがくつくつと笑い出す。
「司はいい医者になりそうだな。でもその前に、口調と仏頂面を直さないと。その内、紫さんから湊ちゃんに似て口の悪い医者って言われるよ」
 そんな指摘に、藤宮先輩は心底いやそうな顔で「善処する」と答えた。
 なんだかおかしい。
 私から見たら落ち着いていて大人っぽく見える先輩だけれど、秋斗さんや湊先生の前では途端に年相応に見えてしまうところが。
「翠、何か失礼なこと考えてない?」
 私は笑いながら答える。
「そんなことないです。ただ、冷気を漂わせるのは夏まで取っておいてほしいです」
 言うと、隣の桃華さんが咽た。
「桃華さん、大丈夫!?」
 桃華さんはグラスの水をコクコクと飲む。
 その正面で秋斗さんが、
「翠葉ちゃんみたいな子、そうそういないよね? この司に果敢に立ち向かうなんて」
「本当に……」
 桃華さんにまじまじと見られ、
「え……? あの、私、普通に受け答えしているだけなのですが……」
「でも、今まで周りにいなかったタイプよ」
 桃華さんがクスリと笑った。
 そんな話をしながらお昼ご飯を食べ、みんなパスタもポテトサラダもペロリと平らげてくれた。
「おいしかった」の言葉が、とても嬉しかった。
 誰かのために料理を作ったり、お菓子を作ったりするのが好き。
 自分にもできることがあるのだと、実感することができるから。
 何よりも、ほっとするのだ。
 私はまだ、こんなことでしか自分の存在意義を見出せないでいた。



Update:2009/06/05  改稿:2020/02/11



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