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光のもとでT 外伝SS

秘密の想い

Side 若槻芹香 01話

 彼の作り笑いに気付いたのはいつのことだったか――
 私に似たその顔が、きれいすぎる笑みを見せるとき、彼は決まって嘘をついている。もしくは、何かを隠しているかのどちらかなのだ。
 バカな私はその意味を考えることなく得意げに、
「唯ちゃんがそういう顔して笑うときって、何か隠しごとをしているか、嘘をついてるかのどっちかよね?」
 それはまるで、幼い子がなぞなぞの答えを言い当てたときのような感覚。
 返される言葉も同じくらい軽やかで、当たり障りのないものだと思っていた。
 けれど彼は、一瞬にして無表情になり、ところどころが綻んでいるボロボロのバッグを引っ手繰るように手に取ると、言葉なく立ち上がった。
「唯ちゃん……?」
 黙って病室を立ち去ろうとする彼に驚き、
「ちょっとっ!? 唯ちゃんどうしたのっ!?」
 無言の背中へ声を発したけれど、彼は振り返ることなく、何を答えることなく病室をあとにした。
 以来、彼はこの病室を訪れない。
 私は自分がどんな失敗を犯したのか必死になって考えてみたけれど、何度考えても答えらしい答えは見つからず、小さいころから大好きだった彼と会えなくなった寂しさに、病気とは違う胸の痛みを覚えることになる。
 物心ついたころからずっと、兄である彼のことが好きだった。
 双子ではないけれど、双子と間違えられるほどよく似た容姿であることも相まって、自分の半身のように思っていた。
 無邪気にも、ずっと一緒にいられると思っていたし、会えなくなる日がくるだなんて微塵も考えてはいなかった。
 私は、彼と会えなくなってしばらくしてから自分の想いに気付いたのだ。
 私が唯ちゃんに抱いていたそれは、「恋心」――
 自分の想いに気付いた夜、私はたいして物の入っていないコスメポーチからリップクリームを取り出した。
 それはよくあるプラスチック容器のリップクリームではなく、ピンクゴールドの艶やかなメタル容器に入った小さ目のリップクリーム。
 静かにキャップを外し、本体を数回回すことでゆっくりとリップクリームを繰り出す。
 姿を現したリップクリームは苺のように赤く、唇に触れると体温でじゅわっと溶けるように馴染み、血色のない私の唇をわずかに補正してくれる色付きリップだった。
 使いかけのそれを見ては、涙が零れる。
 これは、血色の悪い唇を気にする私を気遣って、唯ちゃんが誕生日にプレゼントしてくれたものだ。
 それは、私にとって初めてのメイクアイテムで、とてもとても特別なものだった。
 何を考えることなく毎日使っていたら、あっという間になくなってしまっただろう。
 唇が淡く色付くととても幸せな気持ちになれるのに、塗った分だけ減ってしまうリップクリームを見ると、もったいなくて、少しずつでも減っていくことが悲しくて、そう頻繁に使えるものではなかった。
 そんな特別なリップクリームを、私は唯ちゃんが来るときにだけ使っていたのだ。
「あぁ、そっかぁ……。なぁんだ……」
 力なくそんな言葉を漏らしては、私はなんとも苦い笑みを浮かべる。
 私、唯ちゃんの前ではかわいい女の子でいたかったのね……。
 今まで気にも留めなかった自分の行動原理に気付いて、またひとつ涙が零れる。
 リップクリームから甘くおいしそうな香りが漂ってきて、ほんの少しだけ表情が和らいだ。
 このリップクリームは色が付いているだけではなく、チョコレートの香りまで付いているのだ。その香りに気付いたときの会話を思い出したのだ。

「唯ちゃんが使っているリップクリームはスースーするやつでしょう?」
「そう、なんかミントみたいな香りするやつ」
「じゃあさ、これと合わせたらチョコミントだね!」
「……その発想はなかった。セリ、変なこと考えるな?」
「そう? だってとってもおいしそうよ? ねえねえ、唯ちゃんのリップクリーム貸して?」
 唯ちゃんはポケットから取り出したリップクリームをぶっきらぼうに差し出す。
 それを手に取った私は、プレゼントされたリップクリームと唯ちゃんのリップの蓋を外し、ふたつ並べて鼻に近づけた。
「ちゃんとチョコミント! ねっ、唯ちゃんも嗅いでみて!?」
 唯ちゃんは胡散臭そうな顔をして鼻を近づけ、ふたつの香りを嗅ぐと目を見開いた。
「あ、チョコミント……」
「ねっ! おいしそうでしょうっ!?」
「でも、しょせんリップクリームだし食えないし」
「もうっ! 少しは妄想に付き合ってくれたっていいでしょうっ?」
「はいはい……」

 面倒くさそうに、でもきちんと私の話し相手になってくれていて、呆れた顔をしていた唯ちゃんを思い出す。
 もう、あんなふうに話せる日はこないのだろうか。
 次に唯ちゃんと会えるのはいつだろう……。
 唯ちゃんが病院へ来てくれないのなら、私が退院して自宅へ帰るとき……?
 少し考えては頭を振る。
「そんな日、来ないだろうな……」
 ママたちは詳しい検査結果を教えてはくれない。でも、体調は日増しに悪くなっていっているし、薬が増えたり制限が増えるということは、快方へは向かっていないのだ。
 だとしたら、私が――
 その先は心の中ですら、言葉にすることはできなかった。
「このリップクリームがなくなるのが先かな。それとも――」
 言葉にする勇気もない私は、リップクリームで優しく唇をなぞり、ふんわりと甘い香りを感じながら眠りについた。

 翌朝起きたとき、ふとした違和感を覚える。
 唇からチョコレートの香りがするのはわかる。でも、唇がスースーするのはどうしてだろう……?
 時々、院内に植わっているミントを一輪挿しに飾ることはあるけれど、今はそんな季節でもないし……。
 第一、ミントがいけてあったとしても、葉っぱを口にしない限りは唇に清涼感を覚えることだってない。
 私は引き出しからリップクリームのパッケージを取り出し、成分表を眺める。
「スースーする成分は入ってないと思うんだけどなぁ……」
 それに、今までこのリップクリームを使って清涼感を感じたことなど一度もない。
 スースーするリップクリームで思い浮かぶ相手はひとりだけ――
「唯ちゃん……?」
 唯ちゃんが、来たの……? 来てくれたの……?
「んん? んんんんん?」
 私は可能な限り首を傾げて考え込む。
 もしも私が寝ている間に唯ちゃんが来てくれたのだとして、なぜ唇がスースーするのか……。
「私の唇が乾燥しすぎていて、それを哀れに思った唯ちゃんが自分のリップクリームを塗ってくれたから……?」
 いやいやいや。確かに唯ちゃんは色々気の付く性質だけど、さすがにそこまでしてくれたことはない。
 でも、そうではないとしたら――
「キ、ス……?」
 思い浮かんだことを口にして顔に熱を持つ。
 それこそあり得ない。
 兄妹でキスなんてっ――
 ……でも、現に私の唇はスースーしているし、唯ちゃんは私のお兄ちゃんだけど、私は唯ちゃんの妹だけど、私は唯ちゃんが好きで――
 動揺したままに視線を窓の外へ移す。
「神様……。私、健康になりたいなんて言わない。言わないから……死ぬそのときまで唯ちゃんの傍にいたい――」
 いけないことだってわかってる。でも、唯ちゃんが私にリップクリームを塗ったのではなく、唯ちゃんがキスしてくれたのではないか、と願ってしまう。
 どうしようもないほど切実に。どうしようもないくらい心から――
 あまりにも切ない想いに、私はまた涙を零した。


 その後、朝起きたときに唇に清涼感を覚えることが何度かあった。
 ミントの香り以外に、唯ちゃんが病室を訪れた痕跡はない。
 でも、唇が教える感覚は鮮明で、唯ちゃんの存在をうるさいほどに主張する。
 微かに香るチョコミントの香りは、いつしか唯ちゃんが来てくれた証のように思うようになっていた。
 数週間経ったある日、昼間に寝すぎて夜眠れずにいた私は、唯ちゃんの訪問を目の当たりにする。
 足音も衣擦れの音も立てず、空気のように病室へ入ってきた人影は、懐かしくも恋しい人のシルエット。
 顔が見えなくても、どんな服装をしていても、頭のシルエットのみで人物特定が可能。
 ここまで来ると、私は相当な唯ちゃんマニアだと思う。
 華奢な身体つきは変わらず、黒っぽい服装なのもいつもと同じ。
 闇に紛れてしまうその姿を懐かしく思いながら、唯ちゃんに気付かれないよう細心の注意を払って、私は彼の行動を追っていた。
 ベッドの左脇、スツールが置かれている窓際に唯ちゃんが立ったとき、これ以上は無理――と、私は諦めて薄目を閉じた。すると少しして、温かなものが頬を覆う。
 たぶん、手。
 彼の手のひらを、頬に添えられたのだ。
 唯ちゃんは手を添えただけで、何をするでもない。でも、唯ちゃんのぬくもりが頬を伝ってくるだけでも嬉しくて、唯ちゃんがすぐそこにいることが嬉しくて、目尻にうっかり涙が滲みだす。
 泣いちゃだめ――
 泣いたら、起きていることを悟られる。そしたら今度こそ、唯ちゃんはもうここには来てくれないかもしれない――
 漠然とそんな気がして、私は苦し紛れに寝返りを打ち、唯ちゃんとは反対側を向くことにした。
 すると手は当然のように離れ、唯ちゃんの手のひらに覆われていた頬は、無機質な病室の空気に晒される。
「そっち向かれたら、キスできねーじゃん」
 むすっとしたような唯ちゃんの言葉に心臓が飛び跳ねる。いや、彼が病室を訪れたときから、心臓はずっと駆け足状態なのだけど。
 でも今、「キス」って言った? 言ったよねっ!? 聞き間違いじゃないよねっ!?
 私の聴力、信じてるからねっ!?
 絶賛動揺中の自分の胸に右手を添え、少しでも落ち着くようにと力をこめる。
 やっぱり、唯ちゃんは私にキスをしてくれていたの? 本当に……?
 それは、今日もしてくれるのだろうか――
 そう思った瞬間、唯ちゃんが動く気配がして、ドキドキに拍車がかかる。
 唯ちゃんはベッドの右側へ移動すると、私の頬にかかった髪の毛を丁寧に払う。その数秒後、唇に柔らかなものが触れた。
 あ……ミントの香り。
 すっとする香りや、柔らかなものはあっという間に離れてしまった。
「今日はリップクリーム塗ってなかったか……。なくなったらまた買ってきてやるのに……」
 言いながら私の頭を遠慮気味に撫でる。と、その動作はすぐに止まった。
「って、無理か……。俺はこんな時間にしか会いに来てないし、セリは会ってるって認識してないもんな。リップクリームがなくなっても、俺には言えねーか……」
 自嘲気味にそう言うと、まるで何事もなかったかのように病室を出て行った。
 たぶん、唯ちゃんが病室を訪れてから五分も経っていない。
 でも、そのわずかな時間が宝物のように思えたし、キスされたことがものすごく嬉しかったし、今、涙が止まらないくらいには幸せだ。
「私、明日死ぬのかな……?」
 私は止まらない涙をティッシュで拭いながら、唯ちゃんがキスしてくれた唇に人差し指を添え、思い出したようにチョコレートの香りがするリップクリームを重ねた。


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Update:2021/06/16

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