秘密の想い
Side 若槻芹香 11話
「お姉さん……?」気付いたときには翠葉ちゃんが私の前に座り込んでいて、下から私のことを見上げていた。
「具合、悪いです……?」
「っ……」
「嘘はついちゃだめですよ? あ、それから我慢も」
私が何も言えずにいると、
「……そうですね、答えてくれないなら私がこれ押しちゃいますけど?」
そう言って、翠葉ちゃんはコールボタンをめがけて手を伸ばしてきた。
「だめっ――」
咄嗟にコールボタンを持つ手を上げたら、意図せず手に力が入り、うっかりボタンを押してしまう。
当然、すぐに看護師がやってくる。
名前を呼ばれたらどうしよう――
そう思っていたら、駆けつけてくれたのは妻田さんだった。
妻田さんは私が翠葉ちゃんに名前を伝えてないことを知っていて、だから、私の名前を呼ばずにいてくれた。
「具合悪い?」
私の隣に座り込んだ妻田さんは、すぐにバイタルを確認し始める。だから、
「違うの……」
「え?」
「私が具合悪いかどうか言わないから、翠葉ちゃんがコールボタン押すって言い出して、押されたら困ると思ってコールボタンを持ってる手を上げたら、うっかり押しちゃって……」
状況がわかった妻田さんはくつくつと笑いだす。
翠葉ちゃんも一緒になってクスクスと笑っていて、私はどんな顔をしたらいいのか困っていた。
「で? このお嬢さんは何がどうして翠葉ちゃんに具合が悪いのかどうかを詰め寄られてたのかしら?」
「あの、お話をしてても心ここに在らずで――具合悪いのかな、って気になって……。でも何も答えてくれなかったから……」
最後は申し訳なさそうに話す。
すると、妻田さんは翠葉ちゃんの頭をポンポンと叩いて、
「約束を守ってくれてありがとうね? そうなの。この子我慢強くって、具合悪いの言わないことあるから、そういう強硬手段はたまに必要でね」
「そんなことっ――」
「あるでしょう?」
妻田さんににじり寄られて黙秘すると、
「あるんですね……?」
翠葉ちゃんにもにじり寄られてさらに困る。
「で? 心ここに在らずの理由は?」
なんとなく、妻田さんはその理由をわかっていて訊いている気がした。
だって、「ほらほら、気になってるなら訊いちゃいなさいよ」って目が言っているのだ。
私と妻田さんの視線のやりとりに、翠葉ちゃんは何を悟ったのか、
「そんなに言いづらいことなんですか?」
「言いづらいっていうか、訊きづらいっていうか……」
「……それはつまり、私に何か訊きたいことがあって、訊けないって感じなんです?」
……なんて鋭いの……。
項垂れたなっていると、妻田さんがケラケラと笑いだした。
「あのね、この子、翠葉ちゃんがなんで検査入院してたのか知りたいのよ」
「えっ?」
「ほら、普通、翠葉ちゃんくらいの年頃なら検査入院であっても小児病棟に入るじゃない? でも、翠葉ちゃんは小児病棟にはいなかった。それとさっき、小児病棟へ向かうとき、走ろうと思ってやめたでしょう?」
翠葉ちゃんは「あ――」って顔をしている。
「えぇと、別にお姉さんに隠すことじゃないし、全然話せることなんですけど、少し特別扱いされてる部分はあって、だから話していいのかちょっとわからなくて……」
翠葉ちゃんは実に歯切れ悪くあれこれ説明する。するとやっぱり妻田さんが笑い飛ばして、
「オフレコオフレコ! ここで話したことは三人の秘密! ね? だったら大丈夫?」
「そうですよね……。あの、実はこの病院にかかるまでは色んな病院をたらいまわしにされていて、あちこちの病院で検査もしたんですけど、それでも具合が悪い原因が全然がわからなくて、そのことを両親が友人に話したら、その友人さんの伝手でこの病院で診ていただけることになりまして、でも、診てくださる先生が小児科の先生ではなくて、循環器を専門としている先生で、だから、その先生のご都合で小児科病棟ではなく循環器病棟に入院してて――で、あとなんでしたっけ……?」
翠葉ちゃんが私の目を真っすぐに見てきたから、私はおずおずと口を開いた。
「検査入院の理由……」
「あ、そうだ。えぇと、私、急に意識を失ったり失神してしまうことがあって、あと走ったり息があがるようなことをすると貧血を起こしたり具合悪くなることが多くて、身体のあちこちが痛かったり、あとは……不整脈? 脈が跳んだりしちゃうみたいで、そういうの色々調べるための検査入院でした」
そのくらいのことを調べるだけなら日帰りの検査でもなんとかなりそうなものだけど――
そう思ったのは私だけではなかったようだ。
「でも、その程度のものならたいてい検査予約を入れて、何日か病院に通えば検査できちゃう内容よね? 心臓に関してもホルター心電図と、院内の十二誘導心電図のふたつでどうにかなるだろうし……」
「えぇと、心電図は両方やったんですけど、どっちにも異常があって、聴診器での診察でもクリック音? とかあって、あとは血圧が異様に低いって言われて――」
「「いくつ?」」
妻田さんと声が揃うと、翠葉ちゃんはふわっふわの砂糖菓子みたいな笑顔を見せた。
「なんか、健康な人の半分しかないみたいです」
ケロっとした顔で言われたけれど、人の半分ってことは――
「上は?」
即座に突っ込んだのが妻田さんだった。
「上はだいたい六十前後?」
「「下はっ!?」」
再び声が揃い、翠葉ちゃんは気圧されるように尻もちをつき、「えぇと、四十前後です……?」と最後に実に覚束ない疑問符を付けて答えた。
「まじ低いわっ。や、たまにそういう患者さんいるんだけど、健常者がそこまで血圧一気に下がったら心不全で死ぬからねっ!?」
妻田さんに与えられた情報に、私も翠葉ちゃんも絶句していた。
たぶんこの子はまだ、自分がの身体が健常者と比べてどのくらいのハンデがあるのかを理解しきれていないのだろう。だから、砂糖菓子のようなふわっふわの笑顔で、異常すぎる血圧の数値を口にできてしまうのだ。
この子はいつ、人と自分の差を知るのだろう。それらを思い知ったとき、この子はどんな感情を抱き、苦しむのだろう……。
そのとき、私は話を聞いてあげることができるのだろうか。そのとき私は――生きているのだろうか……。
「そうかそうか……。それだけ低かったらまあ失神もするだろうし、心臓のポンプ作用がおっつかなくて息が上がるような運動したら具合悪くもなるわよね……」
「そういうものなの?」と言う私の視線に、妻田さんは「うんうん」と頷く。翠葉ちゃんはというと、
「すごーい! さすがは看護師さんですね? 数値聞くだけでわかっちゃうんですか? 今までの病院、どこにかかってもお医者さんたち全然わかってくれませんでしたよ?」
と、尻もちをついたまま感心している。
やっぱり、検査結果を聞いても、すべてを理解できているわけではないのだろう。
翠葉ちゃんはその若干間抜けな体勢のまま、
「お姉さんの疑問は以上です? こんなことが気になってたんですか?」
そう言われてしまうとなんとも言えないわけだけど、頷くしかない。
「ほかに訊きたいことがあれば、なんでも受け付けますよ?」
そんなふうに言われて、私はどさくさに紛れて検査結果を訊ねることにした。
「先日の――検査結果は……?」
「あ、えぇと……心臓に先天性の病気がありました。僧帽弁逸脱症って言ったかな? あと、低血圧は低血圧でも、起立性低血圧っていうものみたいです。身体の体勢を変えると……えぇと、たとえば、寝ている状態が一番血圧の数値が高くて、そこから身体を起こして座ってる状態になると血圧が下がって、立ち上がるともっと下がって、立ちっぱなしだと血圧がどんどん下がっていって脳貧血? で失神しちゃうみたいです。あと体温調整を上手にできなくて、一日に体温が何度も上下しちゃったり……」
「つまりは自律神経失調症?」
妻田さんの言葉に翠葉ちゃんは「それです!」と軽快に答えた。
「自律神経失調症っていうのは、近所のクリニックでも言われてはいたんですけど、成長期の子にはありがちなものだから心配しなくていいって言われてたんですよね。でも、紫先生曰く、『ちょっと普通じゃないかな』らしくて、体温の変化とか血圧の変化とか、心電図とか、運動したらどう変化するのかとか、食後にどう変化するのかとか、そういうのを全部診るための検査入院だったんです」
「「なるほど……」」
看護師として知識のある妻田さんと、入院患者のお局的存在の私は、それぞれの意味を持ってその言葉を口にした。
「ほかは? もう訊きたいことないです? 私もまだ、自分のことをきちんと理解できてるわけじゃないので、上手に話せるかはわかりませんけど、お姉さんや看護師さんに話すのはいやじゃないですよ?」
そういうと、翠葉ちゃんはにこりと笑ってゆっくりと体勢を変え、スカートの埃を払ってからソファにかけなおした。
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Update:2021/07/27