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迷路の出口

Side 藤宮雅 22話

 カメラを片付けた翠葉さんが席に着くと、みんなが揃って手を合わせ、「いただきます」を口にする。
 思えば、こんな光景を初めて目にしたのは初等部の給食の時間だった。
 クラス中の人間が一様に手を合わせ、「いただきます」と声を揃える光景は、私の目にとても奇妙なものとして映った。けれど、「人と共に食べる」という環境は、初等部を卒業すると同時になくなる。
 中等部や高等部では、お昼休みは完全なる自由時間となり、たいていの人は仲のいい友達と食べるのが通例。
 当然、友人のいない私はひとりで食べることになる。中には声をかけてくれる人もいたけれど、下心が透けて見えて、言葉を交わすことすら億劫だった。
 私の機嫌をうかがいながら近づいてくる人たちと友人になる未来は想像できなかったし、上辺だけの付き合いをするくらいなら、ひとりでいるほうがいい――
 何よりも、そういった人間と一緒にいること自体が、自分に「藤宮」という価値しかないことを肯定している気がしていやだったのだ。
 自分に、「藤宮」という価値しかないことを認めるのはいやだった。それだけは、どうしても認めたくなかった。だから、「藤宮」の名に群がる人とは徹底して関わりを持たないようにしていた。
 幸い、読みたい本はいくらでもあったし、クラスでひとりでいることにも、初等部の六年間で慣れてしまった。
「寂しくない」と言ったら嘘になる。でも、それを人に悟られることにも抵抗があって、私は「何も変わらない」と自分に強く言い聞かせたのだ。
 家で食事をするときだってひとりだし、学校だからといって、人と食べる必要はない。家でも学校でも、何が変わるわけでもない。
 藤宮に引き取られても、私以外の「誰か」がテーブルに着くことはなかった。
 礼儀作法の先生がいるときは「ひとり」ではなかったけれど、先生がいるからといって、共に食事をするわけではないのだ。ただ、私の所作を見てマナーを指導されるだけ。
 それは「食事」というよりも、緊張を強いられる勉強の時間でしかなかった。
 使用人は常に側に控えていたけれど、一緒に食べているわけではないから、「何がおいしい」と話すこともない。広いダイニングにはフォークやナイフが食器に触れる音が時折響く程度で、発せられる声は「いただきます」と「ごちそうさま」のみ。
 それも、作法だから口にしていたに過ぎず、その言葉にはなんの感情もこもっていなかった。
 学校でも礼儀作法の先生にも、「いただきます」や「ごちそうさま」の意味は教わっていた。でも、教わったところで私に「感謝」という気持ちが芽生えることはなかったのだ。
 その認識が改まったのは、あかり先生たちと暮らし始め、人と共に食卓を囲むようになってからのこと。
 あかり先生の夫であるデイヴィットが、幼いスティーヴにわかるよう、言葉を噛み砕いて説明していたのがきっかけだ。
「スティーヴ、お母さんの国では食事をする前に『イタダキマス』と言うんだ。食べ終えたときには『ゴチソウサマ』」
 スティーヴは不思議そうな顔で、
「イタダキマス? ゴチソウサマ?」
 と外国人らしいイントネーションで、初めての日本語を口にした。
「そうだよ。たとえばこのにんじん、じゃがいも、とうもろこし。これらを種から育て、実がなるまで世話をしてくれた人がいる。その人たちがいなかったら、お父さんたちはにんじんも、じゃがいもも、とうもろこしも食べることができないんだ。そしてこの鶏肉。この鶏肉はニワトリさんだって教えただろう? そのニワトリさんを育てた人がいて、このニワトリさんの尊い命を絶つことで、お父さんたちは鶏肉を食べることができる。だから、野菜を育ててくれた人や、ニワトリを育ててくれた人、そして、命を落としてお肉を食べさせてくれるニワトリさんに感謝をしていただかなくちゃいけない。そしてもうひとり、このご飯をおいしく調理してくれたお母さん。料理は作ってくれた人にも感謝して食べるものなんだよ。で、食べ終わったら『おいしかったよ、ありがとう』という気持ちをこめて、『ゴチソウサマ』って言うんだ。とてもすてきな言葉だろう?」
 スティーヴは嬉しそうに頷き、デイヴィットがして見せたように手を合わせ、「イタダキマス!」と口にしたのだ。
 礼儀作法の先生が特別難しい言葉を使って説明したわけではないし、先生に教わった内容は理解していた。それでも心が伴わなかった。けれどデイヴィットの話を聞いたら、目の前に並ぶ料理に自然と感謝の念が芽生えた。
 あのときの感覚は一生忘れないと思う。
「感謝」の気持ちが芽生えた瞬間に、今まで心ない言葉を口にし続けてきたことに罪悪感を覚え、ものすごく申し訳なくなって涙が出た。
 いきなり泣き出したことであかり先生とデイヴィットを驚かせてしまったけれど、自分にどんな変化が生じたのかははっきりとしていて、説明するのは難しいことではなかった。ただ、ものすごく恥ずかしく思いながら口にしたのを覚えている。
 私の話を聞いたふたりは顔を見合わせ、にこりと笑ってこう言った。
「じゃあ、おいしくご飯をいただきましょう」と。
「さ、スティーヴも一緒に、もう一度『イタダキマス』を言おう」
 デイヴィットにそう言われ、四人で手を合わせて「いただきます」と口にしたあの夜、「家族」で囲む食卓というのはこういうことをいうのだな、と長年理解できなかったもののひとつを理解できた気がした。
 今テーブルを囲んでいる人たちは家族ではないけれど、一緒に手を合わせて「いただきます」と言えることが幸せなことだと思うし、食卓を囲む人が皆笑顔で会話があることが、これ以上ないくらい幸せなことに思える。
 あのとき、静さんが地獄から救い出してくれなければ、あかり先生のもとへ送り出してくれなければ、今も私は地獄のただ中にいただろう。そして、秋斗さんが社会復帰の場を与えてくれたからこそ、今この場にいられるのだ。
 たくさんの人に助けられて「今」がある。私も、いつかは誰かを支えたり、救ったりする側に回れるだろうか……。
 否、そういう人間になれるように歩んでいきたい――

 それぞれがスプーンを手に取ると、観察に徹する人とすぐに食べ始める人の二通りに分かれた。
 司さんはすぐに着手した人で、口にするなり感想を述べ始める。
「挽き肉のカレーってこんな感じなんだ?」
「そうなの! お肉の甘みとかはしっかり出るのに、固形としてお肉が主張しないから私には食べやすくて」
「なるほどね……。それに、和風だしが染みた大根もおいしい」
 さらっと口にしたけれど、その言葉に反応した人間はカレーから視線を引き剥がし、司さんを睨みつけた。
「「ちょっとっっっ!」」
 抗議に声をあげたのは桃華さんと秋斗さんのふたり。
「じゃがいものの代わりに何が入ってるのか考えてたのに、なんであんたがばらすのよっ」
「そーだそーだっ! 簾条さんが正しいっ!」
「……っていうか、普通に見ればわかるだろ?」
 司さんはそう答えてから秋斗さんと桃華さんの顔を見て、
「あぁ、わからなかったんだ? 観察力の欠片もないその目はいったいなんのためについているんだか」
 またそうやって火に油を注ぐような言い方を……。
 そいう性分だから仕方がないのかしら……。
 絶対に言い返すだろうな、と思っていた桃華さんがやっぱり応戦した。
「そんなわけないでしょっ!? 見ればわかるわよっ! ただ、食べて確認するまで口にするのは控えようと思っていただけでっ――」
「それって、俺が食べた感想を口にしちゃいけない理由にはならないと思うし、もし仮に、先に簾条が感想を述べたとしても、俺は文句なんて言わないけど? どれだけ狭量なわけ?」
「っ――」
 あああ……地獄絵図――
 桃華さんがどうしてここまで司さんのことを敵視するのかは知らないけれど、何か理由はあるのだろう。そもそも、桃華さんはものすごく翠葉さんのことが好きだし、その翠葉さんを取られてしまったような感覚があるのかもしれない。
 そんなことを考えていると、桃華さんと司さんの間に座る翠葉さんが、静かに口を開いた。
「ふたりともストップ……。このまま言い合いするならふたりのカレー、取り上げちゃうんだから……」
 翠葉さんはすぐにでも動けるわよ、と言わんばかりにふたりのプレートへ手を向ける。と、ふたりは慌てて口を噤んだ。
 私の隣では、秋斗さんがパクパクとカレーを口に運んでいる。そして、口の中のものを飲み下すと、
「でもホント、このカレーおいしいよ! 俺、挽き肉のカレーって初めてだけど、こんなにおいしいんだね? あ、もちろん大根もおいしいよ!」
 その言葉を聞いて、私も興味津々で大根を口にした。
 あ、おいいしい……。
 大根は食べやすい大きさにカットされていて、瑞々しいそれに出汁がしっかりと染みていて、噛んだ瞬間に口の中にじわりと出汁が広がる。全体的にはスパイスのきいたカレーなのに、和風だしの存在をしっかりと感じられる、なんだか不思議なカレーだった。かといって、違和感はない。そして、挽き肉を含むカレーを口にすると、豚肉の脂の甘みを感じられた。翠葉さんの言う通り、お肉の塊が入っているわけじゃないので、とても食べやすく、いくらでも食べられる気がしてしまう。
 私が感想を述べると蔵元さんが、
「うちの実家は挽き肉カレーがスタンダードでしたね。しかもこのカレーと同じ豚挽き肉。脂の甘みがいい感じに調和するんですよね。……しかし、大根を入れるとはどういう発想で……? お母様の作るカレーがじゃがいもではなく大根だったのですか?」
 それはとても気になるところだ。皆の視線が翠葉さんに集まると、
「いえ、母が作るカレーはごく一般的なじゃがいものカレーです」
「ならどうして?」
 翠葉さんは恥ずかしそうに笑いながら、
「じゃがいもが入ってるカレーが嫌いというわけではないのですが、じゃがいもが入っているカレーはすぐお腹がいっぱいになってしまうので、食べるのがちょっと苦手だったんです。それなら、じゃがいもの代わりになるお野菜はないかな、って考えるようになって、考え始めた翌日の夕飯がおでんで、そこからヒントを得て大根を入れてみることにしたんです」
 なるほど、と思った次の瞬間、またしても唯くんが声を張る。
「さすがは俺の妹っ! 着眼点が普通じゃないっしょ!」
「なんで唯が自慢するんだよ」
 すかさず蒼樹さんが突っ込むと、その場に笑いが生まれた。
 あぁ、やっぱりいいな……。
 会話がある食卓はいい。おいしいものがよりおいしく感じられるし、笑い合いながらおいしいものを食べると、それだけで幸せを感じられる。
 ものすごく時間がかかってしまったけれど、私、「団欒」というものをようやく理解できたし、手に入れられたんだわ――

 早々にカレーを食べ終えた唯くんは、
「ねえねえ花火は? 花火はいつする? 今日やるんでしょ? 俺、ちゃんと陽だまり荘から花火持ってきたよっ?」
 リビングの端っこに置いてある花火を指差す。
 まるで小学生のような催促の仕方に笑みが漏れる。
 そんな唯くんを呆れた目で見ているのは蔵元さんと蒼樹さん。秋斗さんは弟を見守るような眼差しだ。そして桃華さんが堅実な意見を述べた。
「ご飯食べてすぐだと翠葉がデザートを食べられないから、これを食べたらやるというのはどうでしょう?」
「桃華っちに賛成っ!」
「そうね……。でも翠葉さん、食休みはしなくても大丈夫?」
 私が訊ねると、
「はい。もともとデザートが食べられる分量しかよそっていないので、問題ないです」
「じゃ、デザートまで食べてからでも大丈夫かしら?」
 二回目の確認を求めると、
「はい、大丈夫です」
 翠葉さんは気負うことなく答えた。
「いいねっ! じゃ、デザート食べたあと、水辺でやろうっ!」
 話がまとまった瞬間、秋斗さんが動く。
「翠葉ちゃん、おかわりちょうだい!」
 無邪気すぎるプレートの差し出し方に、スティーヴを思い出す。
 翠葉さんはクスクスと笑いながら、
「はい。どのくらい食べますか?」
「半人前くらいかな」
「了解です」
 翠葉さんが秋斗さんのプレートを受け取る直前、まるで掻っ攫うかのように司さんがプレートを取り上げた。
「翠は食べてていい。俺がやる」
「でも――」
「半人前がどのくらいかわかるの?」
 翠葉さんはパチパチと瞬きをする。と、
「俺も追加で食べようと思ってたところだから」
 事実、司さんはきれいに食べ終えているし、おかわりをしようとしていたのかもしれない。でも、秋斗さんのプレートを引き受けたのは、ただ単に翠葉さんによそわせたくなかったから、なんじゃ……。
 司さんは翠葉さんの返答を待つ前に動き始めていて、それを見た翠葉さんは、
「じゃ、お願いしちゃおうかな」
 と、浮かせた腰を落ち着けた。すると秋斗さんが文句を言い出す。
「翠葉ちゃんによそってもらいたかったのにー。なんで司なんだよー」
 なんというか、悪態のつきかたがひどい。
 そんな秋斗さんに対応し慣れているのか、司さんはまったく取り合わず、ものすごく適当にあしらう。それに再度噛み付く秋斗さんを見ては、蔵元さんが呆れ顔でため息をつくのだ。
 きっとこういう会話が日常的に行われているのだろう。
「社交界の貴公子」と言われる秋斗さんに憧れるお嬢様は星の数ほどいるけれど、こんなふうに駄々捏ねる秋斗さんを想像できる人がどれほどいることか――
 私もFメディカルに就職するまで、秋斗さんにこんな一面があるとは思いもしなかった。
 そう思えば、やっぱりおかしくなってしまうのだ。
 こんなに楽しいやり取りを日常的に見ることができるなら、こんなふうに笑える日常があるのなら、私も日本にいたかったな……。
 ふと、そんなことを思った。


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Update:2021/01/21

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