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光のもとでU+

迷路の出口

Side 藤宮雅 21話

 翠葉さんに続いてリビングへ戻ると、車で食材を運んできた稲荷さんたちが、サラダやデザートの盛り付けを始めていた。
 ほかの面々は、司さんに言われたとおりリビングでくつろいでいたけれど、ただひとり、秋斗さんだけが立ったままである。
 きっと、翠葉さんの顔を見るまでは、落ち着こうにも落ち着けないのだろう。
 その翠葉さんはというと、額の冷却シートを剥がしキッチンへ入ろうとしたところで司さんに捕獲されていた。
 司さんは翠葉さんの額に手を伸ばし、
「さっきよりは全然いいな」
 言いながら表情を緩める。
 たぶん、本人は無意識無自覚。
 でも、こんなに優しい顔つきは、翠葉さんがこの場にいなければ見ることはできない。
 それを皆知っているからか、何を言うでもなく、その表情を盗み見ているのが見てとれた。
 本当に、翠葉さんの前では普段は見せることのない表情を見せるのね……。
 周りの人たちが、こんなにも関心を寄せるほどに。
 対する翠葉さんは、
「もぅ……スマホで確認できるでしょう……?」
 小さい声で抗議する。しかし司さんは、
「数値がわかっていても、心配は心配だから」
 と取り合わなかった。
 翠葉さんもいやで抗議したわけではないのだろう。おそらく、みんなの前でこういうやり取りをすることが恥ずかしかっただけ。
 その証拠に、翠葉さんの頬はほんのりと赤味が差しており、眉は釣り上がるどころか、困った人のようにハの字型になっていた。
 ふたりのやり取りや、ほかの人の様子をほんわかした気持ちで眺めていると、
「司の過保護も困ったもんだよねぇ」
 未だ立ったままの秋斗さんがそんな言葉を吐くものだから、二ヶ所からすぐさま反論が返された。
「どの口が言う?」
「どの口が言うんですか……」
 言わずと知れた、司さんと蔵元さんである。
 唯くんや蒼樹さんも乗じるかと思いきや、ふたりは突っ込まれた秋斗さんを笑う側に回っていた。それは桃華さんも同じ。
 しかし秋斗さんは、外野を気にすることなく翠葉さんに歩み寄り、
「翠葉ちゃんの手料理食べるの久しぶりだから、ものすっごく楽しみにしてたんだ」
 翠葉さんへ向けられた笑顔は、「糖度一〇〇パーセント」と言っても過言ではない。
 これが街中なら、いったい何人の女性が釣れることだろう――
 いっそのことファッションモデルをやってみて、雑誌の表紙を飾ってみてはどうだろう? もしそれが男性をターゲットとするファッション雑誌だとしても、女性ファンの購入により販売部数は伸びると思うのだけど。……あ、秋斗さんをうちの社のモデルに起用するのもありなんじゃ……。
 改めて見回してみれば、唯くんだって蒼樹さんだって蔵元さんだってモデルが務まりそうなほどに見目が良い。
 次のカタログ制作の際にはぜひとも進言しよう――
 そう心に決めて秋斗さんへ視線を戻すと、秋斗さんはまだ愛おしそうに翠葉さんを見つめていた。
 しかも、この場に自分と翠葉さんしか存在していないかのような空気を作り出すから、司さんの表情が引き釣り始めるわけで……。
 もしかして、ここまで図太くないと藤宮の中では生き残れないのかしら……。
 翠葉さんはというと、じっと秋斗さんを見つめ返し、一拍置いてから口を開いた。
「手料理とは言っても市販のルーを使っているので、そこまで期待されるとちょっと困っちゃいます……」
 言葉を発するまでに要した時間が気にはなったけれど、返答内容は「可もなく不可もなく」といった感じ。秋斗さんの「極上の笑顔」と「厄介極まりない甘さ」をうまくかわせている。
 去年は秋斗さんの好意に悩んでいた翠葉さんだけれど、今では秋斗さんの「想い」ともうまく付き合えているようだ。
 そんな翠葉さんを信用しているのか、司さんが口を挟むこともなければ、乱入することもなかった。
 平和だな……と思っていたら、まったく予期しない場所から横槍が入る。
 リビングのソファに掛けていた唯くんが、すごい勢いで立ち上がったのだ。
「俺たちの存在を忘れちゃいませんかねっ!?」――そんな主張に思えて、笑いが込み上げてくる。
 おかしいわね……。
 ただ同じ空間にいるだけ。その場にいる人の言動を見聞きしているだけなのに、笑いが込み上げてきたり、ほっこりした気分になれるなんて。
 今まで人が大勢いるところへ毎日通っていても、肩を震わせ笑うことなどなかった。
 よく知らない人が周りにいるのと、ある程度気心知れた人が周りにいるのとでは、こんなにも違うものなのだろうか。
 そんなことを考えていると、不思議な内容が耳へ飛び込んできた。
 唯くんは翠葉さんが作るカレーのことを口にしたわけだけど――「入っているものが普通じゃない」とはどういうことだろう。
 疑問に思ったのは私だけではなかったようだ。
 意味がわからなかった人は数人いて、その面々は皆唯くんを見つめている。そして、疑問に思った人を代表するように秋斗さんが訊き返した。
「へ? 入ってるものが普通じゃないって?」
 注目を浴びた唯くんは満足そうに答える。
「じゃがいもが入ってないんだ!」と――
「「「「じゃがいもが入ってない?」」」」
 今訊き返さなかったのは、御園生兄妹と司さん。それから、稲荷さん夫妻のみ。残りの四人は残らず声を発した。
 調理経験の少ない私でも、「カレー」は初等部の調理実習で作ったことがある。そのとき、ごく一般的な材料として教えられたのは、お肉、じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、ルーの五つだったと記憶している。
 学食のカレーにも、じゃがいもは入っていた。けど、自宅の食卓にカレーが上がることはなかったし、外食でカレーをオーダーしたこともないため、そのほかのカレー事情には精通していない……。
 でも普通に考えて、調理実習で「スタンダードなカレー」として習う程度には、じゃがいもが入ったカレーは一般的なものではないのだろうか。……実は、「じゃがいもが入っていないカレー」もそこそこメジャーだったりする……?
 否――それなら、四人の人間が一斉に声をあげることはなかったのではないか。
 それも違うかしら……?
 まず考えるべくは、どうしてじゃがいもが入っていないのか……?
 考えられることとしては、嗜好の問題でじゃがいもが好きではない。またはアレルギーか何かで食べることができない……?
 あれこれ考えていると、ものすごく困ったような表情で、
「えぇと、ハイ……じゃがいもは入っていません。……もしかして、ものすごくじゃがいもが好きな方、いらっしゃいましたか?」
 翠葉さんは心配そうにひとりひとりの顔を見て行く。けれど、「じゃがいも大好き人間」がいるわけではない。
 きっと私のように、じゃがいもが入っていない理由を気にしているか、じゃがいもではない何か、が入っていることを気にしているのだと思う。
 様々なことが気になって翠葉さんを見ていると、
「質問ばかりしてるとご飯の用意が遅れるけど、いいの?」
 司さんの冷静な指摘に皆がはっと我に返った。
「そうよね……。邪魔しちゃ悪いわ」
 私はダイニングテーブルへ向かい、秋斗さんの隣のスツールに掛けた。そしてその反対側に蔵元さんが座り、
「実際カレーを目にするまでのお楽しみというのもありますし……」
 桃華さんも席に着いたけれど、結局私たちは翠葉さんが温め直しているカレーが入ったお鍋から目が離せないことになっていた。

 サラダとデザートの準備が終わると稲荷さん夫妻は星見荘をあとにし、残るは翠葉さんが作ったカレーが並ぶのを待つのみ。
 大きなプレートが用意され、あとはご飯を盛ってカレーをかけるだけ。なのに、プレートとしゃもじを持った翠葉さんはそのままの姿勢で静止している。
 いったいどうしたのだろう……。
 このころには蒼樹さんと唯くんも席に着いていて、皆が翠葉さんの後姿を見つめていた。
 静止していた翠葉さんは、隣に立つ司さんをゆっくりと見上げ、
「ツカサ、ご飯の分量ってどのくらいだろう……?」
 一瞬何を訊ねているのか理解できなかったのだけど、理解できた瞬間にテーブルに突っ伏したくなる。かろうじて我慢している私の両隣で、秋斗さんと唯くんが同時に突っ伏した。
 ……わかる。とってもよくわかる、その気持ち……。
 翠葉さんのかわいさったら、破壊力満点よね……。
 無言で頷きつつ、司さんがなんと答えるのか気にしていると、司さんはごく普通に返答していた。
「人それぞれじゃない? 一般的な一人前をよそって、それ以上に食べたい人間はおかわりをすればいい」
「そっか……。じゃ、一人前……」
 翠葉さんは炊飯器を見つめて再び固まってしまった。
「何固まってるの?」
 司さんが声をかけると、
「あの、一人前ってどのくらい……?」
 その問いかけに、蔵元さんまで突っ伏した。
 わかります……。ものすごく、よくわかります……。
 蔵元さん、今まで以上に翠葉さんと接するのが怖くなってしまったんじゃないかしら……。
 そんなことを思っていると、司さんが翠葉さんからプレートとしゃもじを取り上げた。
「俺がやるから、翠はカレーをかけて」
「ごめん、ありがとう。でも私の分は――」
「翠の食べられる分量くらい把握してる。サラダとデザートもきちんと食べられるよう考慮すればいいんだろ?」
「うん」
「じゃ、まずは年長者、蔵元さんの分から」
 こんなにかわいらしい翠葉さんを相手に、淡々と会話ができる司さんが若干変人な気がしてしまったのは私だけだろうか。むしろ、こんなふうに対応できるからこそ彼氏が務まって、フィアンセが務まるのだろうか……。
 つまり、隣で突っ伏している秋斗さんにその器量はないということ……?
 隣を窺い見ると、そんなふたりのやり取りをもの欲しそうな目で見つめている秋斗さんがいた。
 あぁ、「ふたり丸ごと守りたい」とか言っていても、やっぱり翠葉さんが好きで、翠葉さんの隣に立ちたいとも思っているのだろう。そんな様がまざまざとうかがえた。
 ダイニングテーブルに八人分のカレーが並ぶと、翠葉さんが写真を撮ろうと言い出し、すぐに三脚の用意を始めた。
 三脚を目一杯高くして、上から撮影するような構図だ。
 どうやって構図を確認するのかと思って訊ねてみると、翠葉さんがカメラのモニター部分を見せてくれた。
「バリアングルといって、地面に近い位置から撮っても、自分の身長より高い位置から撮っても、モニターを確認できるように向きが変えられるようになってるんです」
 と、実際にモニター部分を動かして見せてくれた。
「とても便利な機能ね……?」
「ですよね! この子を買う前はコンパクトデジタルカメラを使っていたので、地面近くから撮るときは、いつだって地面に這いつくばって撮ってましたけど、この子になってから這いつくばることはなくなりました」
 そう言って笑っては、三脚にカメラを固定しに行く。
 セッティングが終わった翠葉さんが席に着くと、
「セルフタイマー?」
 司さんが訊ねる。
「ううん、十秒って微妙な間だからリモコン使っちゃおうと思って」
「じゃ、リモコンは俺が預かる」
「あ、お願いできる?」
「問題ない」
 そんなやり取りにまたほっこり。すると、それを邪魔するように秋斗さんがその会話に混ざった。
「それなら。掛け声は俺が担当しようか?」
 そこまでして介入したいのかしら、と思っていると、
「秋斗さーん、そこは司っちにお願いしようよ。司っちが『はい、チーズ』とか言うとこめっちゃ見たい!」
 唯くんが身体をくねらせおねだりをすると、瞬時に司さんから冷たい視線が飛んできた。
 あぁ……。秋斗さんのあれは、邪魔をしたのではなくて、助け舟だったのね……?
 秋斗さんはくつくつと笑いながら、
「わかってるってば、俺が言うよ。じゃ、みんな撮るよー? はい、チーズ!」
 秋斗さんの掛け声に合わせ、シャッターが落ちた。
 ペンダントライトの灯りがあったからか、フラッシュは光らなかった。でも、フラッシュが光ったらどうしようかと思っていた私は、きっと笑顔では写っていない――
 翠葉さんがすぐに写り具合を確認しにいく。と、モニターを見た翠葉さんは「みんな笑顔!」と口にした。
 え――笑顔……?
 まさか、そんなわけは――
 信じられない思いで翠葉さんを見ていると、私の視線に気付いた翠葉さんが「確認しますか?」と側までやってきた。そして見せられたモニターには、自然な表情で写る私がいた。
 緊張していた自覚はあるのに、どうして――
「ね? みんな笑顔でしょう?」
 そう言って笑いかけられ、私は「えぇ」と答えた。
 翠葉さんが席に戻ってから、
「雅、大丈夫だよ。少しずつ、平気になっていく」
 耳元でそっと、秋斗さんに囁かれた。


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Update:2021/01/16

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