迷路の出口
Side 藤宮雅 24話
隣を歩いていたはずの翠葉さんは、気付いたときには隣にいなくて、振り返ると外へ出る直前で司さんに捕まっていた。背後から上着をかけられた翠葉さんは、司さんに両肩を掴まれたまま、司さんの言葉に耳を傾けていた。
ふたりとそれほど距離があったわけではないけれど、翠葉さんの耳元で話す言葉は私の耳には届かない。何より、私が聞いていい話でもないだろう。
きっと司さんは、食器洗いの件についてフォローに回ったのだ。
気にならないと言ったら嘘になる。でもこれは、ふたりで話すべき内容だ。
私は自分の意識を引き剥がすように、右左、右左、と足を交互に前へ出した。
「使用人、か……」
そりゃ、一般家庭に育てば使用人の扱い方や接し方なんてわからないわよね……。
四歳から藤宮で育った私ですら、使用人との距離感には悩んできた。
悩んで悩んで試行錯誤を重ねても、引き取られたばかりのころのように笑顔で接してもらえることはなくて、必要以上私に構うことでお継母様に目を付けられてしまうのだと知ってからは、自分から距離を置くようになった。
一族のほかの家で、主と使用人との関係がどのようなものであるのか、詳しくは知らない。それでも、「婚外子」である私と同じような境遇にいる人間は、そういるわけではないだろう。
家の中でも、一族の中でも、私はイレギュラーでしかなかったけれど、稲荷さん夫妻はそんな私のことも普通に「藤宮の人間」として、「別荘を利用する客人」としてもてなしてくれた。
使用人に、あんなに穏やかな笑顔を向けられたのはものすごく久しぶりのことだった。
このメンバーで一番に贔屓されてしかるべき人間は秋斗さんなわけだけど、そんなランク分けすらしない。皆を等しく客人としてもてなし、甲斐がいしく世話をしてくれる。
一つひとつの気配りにはきちんと「想い」がこめられていて、丁寧な言葉遣いではあるけれど、親しみやすさが顕在していた。
翠葉さんが初めて接する「使用人」として、これ以上にない人たちだったと言える。
いずれ司さんと結婚するのなら、こういった環境を翠葉さんが受け入れられるといいのだけど……。
見ないように……と思っていてもやはり気になって、ちらりとふたりに目をやる。と、その視界を遮るように唯くんが私の右側に立ち、「はい、花火」といくつかの花火を差し出された。
「リィと司っちが気になる?」
ふたりに視線を向けたところを見つかってしまったのだから、隠しようがない。
苦笑を浮かべ、
「唯くんはなんでもお見通し、って感じね」
「まあね。なんつーか、雅さん、かなり肝いりの観察魔じゃん? あちこちにセンサー張ってるし、人のあれこれが気になっちゃう性質なのかな、っていうのは気付いてる」
「なんか、恥ずかしいわね……」
「そんな恥ずかしがることでもないっしょ? それだけ気が回るってことだし、周りが見えてるってことでもある。たとえばさ、周囲の目を気にするのと、周囲の動向を把握するのは全然違うじゃん。周囲の目を気にして自分が左右されちゃうわけじゃなくて、周囲の動きを把握しているからこそ自分がどう動くべきか判断できるっていうのはさ、完全なる別物だと思うんだ。雅さんは後者だし、そういう人って、人間が集まる場所においてはある程度需要のある人材だと思うよ」
唯くんは不思議な子だ。
その場のムードメーカーであると同時に、人のフォローまでできてしまう。
フォローが必要なところ、必要な時に、絶妙なタイミングで現れる。
それは全体を把握すると共に、一人ひとりをきちんと見ていないとできないことだ。
「そういう唯くんも、周りの人のことをよく見てるわよね?」
でなければ、今私は唯くんと話していない。
「まあねぇ……。センサーは感度がいいに越したことないでしょ? とくにリィとか司っちとか――秋斗さんもこっちかなー? わかりやすくてわかりづらい人間が、俺の周り多すぎんのよ。こっちが気付かなかったらそのままスルーして、自分で抱え込む人間ばっかで、本当手がかかるったらないよ」
そんな言い方をするけれど唯くんは笑顔だし、周りの人間の機微に気付いて自分が動けることを喜んでいるようにも思える。
「でも、リィと司っちなら大丈夫だよ」
「え……?」
「あのふたり、すんごいバカみたいなことですれ違ったりなんやかやするんだけど、そのたびにちゃんと話し合って、前に進んでるから」
「……そうなの? そういう話、翠葉さんがしてくれるの?」
「あ……雅さん、今俺に嫉妬したでしょ?」
ニヒヒと笑って指差される。
「そうね……。正直に言うなら、ちょっと嫉妬したわ」
「正直者め! でも、違うよ。確かにリィは、色んなことを話してくれた」
話して、くれた……?
「もう、過去形なんだ。今は、前ほど話してはくれない。なんていうのかな? きっと、俺やあんちゃん以外の人にも相談できるようになってきてるっていうのがひとつの理由で、そのほかにも、自分たちでどうにかしようとしてるから、かな? だから、『現在進行形』で教えてもらえることはあんまりなくなった。ちょっと寂しいんだけどね……。でも、後々突っ込むと、『事後報告』って形で教えてくれることはある。現況、そんな感じだよ」
「そうなのね……」
兄妹でも色々とあるのね、と思っていると、唯くんは遠くを見て話しだす。
「リィの話を聞くたびに思うんだよね。ふたりとも、ちゃんと相手のこと見てるし、相手のこと考えてんなって。育ってきた環境も性格も違うから、うまくいかないこともある。でも何か問題が起きたとき、その問題を解決するだけじゃなくて、じゃあこれからはどうしようか、ってそこまで考えてるんだ。社員として雇えたら超優秀だと思わない?」
そんな冗談を挟んでくるあたりが実に唯くんらしい。
「そいうのを見ててさ、思うんだ。もし、この先俺に好きな子ができたとして、その子と付き合うことができたなら、こんなふうに付き合っていけたらいいな、って。超悔しいけど、あのふたりって俺が理想に思っちゃうような付き合い方してる。だから、雅さんがそんな沈んだ顔して心配しなくても大丈夫! さ、そろそろ仲直りも済んだころかな?」
唯くんはちらっとふたりを見て、
「ったく、今回は何が原因ですれ違ったんだか――」
そう言ってはクスクスと笑い、
「俺、ちょっと行ってくんね? かわいい妹を奪還してまいるっ!」
そう言うと軽やかに立ち上がり、手に持っていた花火を振り回しながらふたりのもとへ走っていった。
「リィっ! リィは何やりたい? 線香花火も線香花火の派手なのもあるよ!」
唯くんは司さんを見ることなく話しかけ、有言実行で翠葉さんの奪還に成功する。
私の前を通り過ぎるときには視線をよこし、まるでいたずらが成功した子どものように、ニカッと笑った。
思わず笑みが零れる。
さて、置き去りにされた司さんはどんな表情をしているだろう。
面白くないといった顔? それとも、唯くんのことを睨み付けてる?
いくつか想像しながら司さんを窺い見ると、司さんは翠葉さんの背を見ていたかと思えば視線を外し、正面――泉の方を向いては首を傾げてしまった。
私に見られていることにすら気付かなかった。あれは何か引っかかることがあって、試案している顔と取るべきだけど――
「そうね……」
私にもできることはあるのかもしれないわ。
私は唯くんが置いていった花火を手に取り、ひとつに火を点けてから司さんへ向かって歩き出した。
未だ首を傾げたままの司さんの目の前に、花火を差し出す。私が唯くんにされたように。
「はいっ! 司さんも花火をどうぞ。火は私の花火からもらってね」
少し強引に司さんの腕を引っ張りその場にしゃがみこむ。けれど、司さんが花火に手を伸ばす様子はない。
私は司さんに花火を押しつけ、
「ほら、早くしないと終わっちゃうでしょう?」
司さんは花火を受け取ると、「仕方ない」といった感じで手に持った花火を点火した。
ぎりぎりセーフ。
司さんの花火が火を吹いた瞬間に、私の花火は終わってしまった。
その花火をくるくると回しながら、
「司さんが言葉数少ないのは知っているわ。でも、もう少し言葉を補足してあげないと。……って、なんの話かわかる?」
話を急に振った自覚はあったから、なんとなしに訊ねてみる。
でもきっと、話は通じているはず。翠葉さんを強奪されたあとあんな顔をしていたのは、きっと翠葉さんのことを考えていたからに違いないのだから。
司さんはほんの少し息を吐き出してから、
「わかります。さっきは尻拭いをさせてすみませんでした」
……なんだ。私と翠葉さんの会話を聞いていたのね?
「尻拭いとは思ってないけど……。私たちの過ごしてきた環境は一般的――『普通』とは言いがたいわ。それだけは常に念頭に置いておくべきだと思うの」
本当は翠葉さんが「普通」に属す人間じゃないことも私は知っている。きっと司さんも気付いてはいるだろう。それでも、翠葉さんの普通は「一般家庭」と言われるそれと変わらない。そういう部分をきちんとわかっていないと、さっきのようなすれ違いは何度でも起きる。そのたびにふたりがすれ違い、すれ違うたびに仲直りして理解を深めるのもいいだろう。でも、翠葉さんに何度もあんな顔はさせたくないのだ。
私は言いたいことだけ言って立ち上がり、司さんの終わった花火も一緒に回収してみんなのもとへ戻った。
私が戻ってきたことに気付いた唯くんは、
「結局雅さんだって司っちに声かけに行ってんじゃん」
「だって、翠葉さんにあんな顔ばかりさせたくないんだもの」
「もう、リィの周りにいる人はみんなリィに甘いんだから。たまには司っちに甘い人間とかいても良くなーい?」
ケタケタと笑いながら唯くんが口にすると、秋斗さんが笑って話に加わる。
「それは無理だろ。だって、司より翠葉ちゃんのほうがかわいいもん」
「ですよねー」
桃華さんが同意を示すと、
「司様を甘やかすなんて、そんなことができる人間がいるなら、ぜひお目にかかりたいんだが……。何せこちらの『好意』すら、ご本人が受け取ってくださらないからな」
真面目に答える蔵元さんがおかしくて、その場がどっと湧く。けれどひとり翠葉さんだけが、「意味がわからない」といった顔をしていて、それがまたかわいらしかった。
もしかしたら翠葉さんの前では甘えることがあるのかもしれないけれど、やっぱりそんな司さんは想像ができなくて、桃華さんが執拗なまでに、「ふたりがふたりでいるときにどんな会話をしているのかが気になる」と言っていた意味がわかってしまった気がした。
それぞれが相応の数を楽しんでも花火はなくならない。
というか、今まで楽しんだ数以上に残っている気がするのは気のせいだろうか……。
けれど、星見荘の方が標高が高いからなのか、はたまた水辺だからなのか、寒さが気になる。あと数分もいたら、身体が芯から冷えてしまいそうだ。
「さすがに少し標高が高いからこっちのほうが寒いわね」
桃華さんの言葉に頷くと翠葉さんが、
「お茶淹れる? 秋斗さんからいただいたハーブティーのほかに、お紅茶もパントリーにあったと思うの」
「飲むっ!」
「雅さんは?」
「お願いしてもいいかしら」
「ふたりとも、何を飲まれます?」
「日中に散々お紅茶いただいたから、ハーブティーをお願いできるかしら?」
「はい! あ、でも、ハーブティーだとカモミールとミントティーの二択になっちゃいますけど、大丈夫です?」
私と桃華さんは口を揃えてカモミールを所望した。
屋内へ戻ると、すでに稲荷夫妻の姿はなく、キッチンはきれいに片付いていた。
そのキッチンを見て、翠葉さんが「ありがとうございます」と口を動かしたのを私は見逃さなかった。
確かに、こういうことが彼らの仕事ではあるけれど、感謝の念を伝えたり、感じたりするのはとても大切なことだ。そいうことがしっかりと身に付いているのは、そういう育て方をされたからなのだろう。
翠葉さんや蒼樹さんの行動を見れば、どんなふうに育てられてきたのががよくわかる。
ものすごく大切に、そして、人への感謝を忘れないように、と躾けられてきたのだろう。
もしもふたりに子どもができたなら、その子どもも同じように育てられ、同じように育つのだろう。
私は――
この先、私に好きな人ができるかもわからないし、その人に想ってもらえるかもわからないけれど、もし子どもを産む未来があったとしたら、私はその子をきちんと愛してあげられるのかしら……。かわいがってあげられるのかしら……。きちんと育ててあげられるのかしら……。
そんな不安が心をよぎる。と、
「わぁ……かわいい」
砂糖菓子のようにふわふわとした声が耳に届いた。
意識をそちらへ向けると、テーブルには私がお土産に持ってきたお菓子がきれいに並べられていて、その焼き菓子を見て翠葉さんと桃華さんが目を輝かせていた。
その表情は、幸せに満ちている。
……あるかわからない未来を悲観するのはやめにしよう――
今、目の前にあるものを大切にすればいい。それがきっと、未来へつながる。
「私のお勧めはこれ。とってもおいしいのよ」
ピスタチオとアザランが乗った、ホワイトチョコを纏ったクッキーを指差すと、ふたりはそれぞれ手を伸ばし、親指と人差し指でつまんでは口へ運ぶ。
サクと歯を立てるとモグモグと咀嚼を始め、しだいに顔がふにゃふにゃと弛緩していく。さらには身悶えしながら「おいしいっ!」と言ってくれた。
「でしょう? 第一のお勧めはそれだけど、ほかのお菓子も甘すぎなくて、とってもおいしいのよ」
そう言うと、ふたりは次に何を食べようか悩みだした。
お土産を用意するのはぎりぎりになってしまったけれど、こんなに喜んでもらえるなら悩んで選んだ甲斐があるというもの。
唯くんの言うとおり、センサーが敏感なのに越したことはないわね。
私は頭に存在するタスクに追加する。
「お土産に喜ばれそうなものは、常にリスト化しておこう」と――


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光のもとでU+ 迷路の出口
Update:2021/01/21