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迷路の出口

Side 藤宮雅 27話


 一通り翠葉さんに詰め寄って気が済んだのか、桃華さんはテーブルに乗り出していた身を引き、椅子に座り直した。そして、今度は私の方へと向き直る。
 その顔には、隙のない笑みが浮かべられているわけだけど――
 もしかして、私今から怒られるの……?
 え? 今からっ――!?
 身構えようとしたその時、
「雅さんは?」
 ミヤビサン、ハ……?
 怒鳴り声は飛んでこなかったけれど――これ、なんの話の続きなのかしら……?
 何を訊ねられているのかわかりかねる。そんな視線を返すと、
「人の色恋沙汰聞いてばかりなんてずるいですよっ!」
 あぁ、なるほど……。
 てっきり翠葉さんを苛めたことを怒られるのかと思いきや、まったく関係のない話でびっくりした。でも――
「ずるいと言われても、私、お付き合いしている方なんていないし……」
 そう、話す話さない以前の問題で、「相手」がいない私には、話す事柄が存在しないのだ。
 やましいことはひとつもない――そんな思いで桃華さんの視線を真っ向から受けていると、桃華さんは口元に怪しい笑みを浮かべ、一瞬で真顔に戻る。
「片思い上等、お付き合い未満上等ですっ。こうなったらとことん恋バナしましょうっ! 雅さん、蔵元さんのこと気になっていらっしゃいますよねっ?」
「「えっっっ!?」」
 衝撃的な言葉に声を発するも、同じタイミングで同様の言葉を口にした人間がいた。
 それは左隣に座っている翠葉さん。
「……ちょっと待って、雅さんも翠葉もどうして同じ反応をするの……?」
 それは、予想だにしないことを言われたからじゃないかしら……。
 同意を求めて翠葉さんを見ると、翠葉さんまで身体ごとこちらを向き身を乗り出していた。
「雅さん、蔵元さんのこと、お好きなんですか?」
 桃華さんと同様のことを訊ねられても、私の頭には疑問符しか浮かばない。
 クエスチョンマークがポコポコと湧き始め、止まることなく溢れていく。
 文脈的に、「恋愛の意味での好意を持っているか」を問われているのはわかるのだけど、そんなことを考えたこともなかっただけに、すぐに返せる答えが自分の中に見つけられない。
 蔵元さん……。蔵元さん、ねぇ……。
 改めて考えてみれば、蔵元さんはとても魅力的な方だ。
 紳士だし、仕事もできる有能な人。尊敬もしているし、好感を持ってはいるけれど――
 こういう気持ちを「好き」と言うの……?
 うーん……わからないわね。
 人としては好きだと思う。でもこれが、恋愛の好意なのかはよくわからない。だって、今まで異性を好きになったことなどないのだから。そもそも――
「あのっ、桃華さんはどうしてそう思われたのかしらっ?」
 思い切って訊ねてみると、
「どうしてって……。蔵元さんとお話されているときはいつも嬉しそうですし、頬を染めてますし、頻繁に目で追いかけてますし……むしろ、それでどうしてばれてないと思えるのかが謎でしかないというか……」
「私、そんなでしたかっ!?」
「そんなでしたね……」
「やだ、恥ずかしい……」
 顔を両手で覆わずにはいられなかった。
 桃華さんに言われたことを反芻するも、思い当たる節はそこかしこにある。
 いつもとは違う服装が新鮮で、何度となく目を奪われていたのは事実だし、仕事が絡まない話をし、新たなる一面が見られることを嬉しいと感じていた。
 でも、頬を染めてたって、本当……?
 全然自覚していなかっただけに、人に指摘されて知るのが恥ずかしくて堪らない。
 いつだって、自分は観察する側の人間だと思っていた。だから余計に、こんなふうに観察されていたのかと思うと、顔から火が出るほどに恥ずかしい。
 桃華さんの突飛な発言を聞いてから、なんだか頭も心も忙しいことになっている。でも、こんなときこそ冷静に、客観的に自分を見つめるべきだ。
 分析を――分析をしなさい雅。
 コホンと咳払いをひとつして、自分の中のスイッチを切り替える。
「確かに、蔵元さんのことは尊敬してますし、今までお会いしてきた男性の中でも好感の持てる方ですけれども――」
 現時点で「恋愛的感情」という認識はない。むしろ、どんな感情を持ったら「恋愛的感情」と言えるのか――それすらわからない。
 しかし、桃華さんは心底呆れたような顔で、
「それ、もう恋の始まりだと思うんですけど、違うんですか?」
「「っ!?」」
「そこで翠葉まで驚かない!」
 その言葉に、驚いたのが私だけではないことを知る。
「もう……ド天然がふたりとか、私ひとりで捌けるかしら……」
 桃華さんはこめかみを押さえて唸り始めた。
 そこへ、あろうことか男性の声が割り込む。
「ヒートアップしてるところアレなんだけど……。ここ、窓開いてるんだよね」
 そ、蒼樹さんっっっ!?
 声の方を見ると、翠葉さんの背後にある窓は開いていて、網戸だけが閉じられた状態だった。
「蒼兄っっっ、そういうことは早く教えてっっっ」
「蒼樹さんっっっ、そういうことは早く教えてくださいっっっ」
 翠葉さんも桃華さんも噛み付く勢いで抗議するけれど、私は恥ずかしさに耐えられず、テーブルに突っ伏すことしかできない。
 ……でも、別にまだ好きと決まったわけではないし、本当に好きかもわからないし――
 あれこれ自分に言い訳をしていると、「カチャ」と金属音がして、
「ごめん……。盗み聞きするつもりはこれっぽっちもなかったんだけど……。あまりにも話し込んでるから、なかなか声かけられなくて……。これ、淹れたてはとても熱かったハーブティー。今はそれなりに飲みやすい温度になってると思う。それと、俺以外はみんなリビングで話し込んでるから、話を聞いちゃったのは俺だけ。雅さん、安心してください」
 それだけ言うと、蒼樹さんの気配はなくなった。
 テーブルに突っ伏したまま、
「蒼樹さん……できた殿方だと思ってましたのに……」
「雅さん、大丈夫ですっ! 蒼兄、絶対口外したりしないのでっ」
「そうですよ! 蒼樹さんに限ってそんなことあり得ないのでっ」
 わかってます……。わかってはいるのだけれど――
 未だ判然としない気持ちを持て余している状態で、複数の人に知れる事態など、嬉しい状況ではない。
 ……否。好きかどうかわかっても、人に知られるのは恥ずかしいかもしれない……。
 悶々としていると、背後で窓が開く音がした。
「そろそろ九時半回るんだけど、簾条たちいい加減帰れば?」
 ほかの誰でもない司さんの声だ。そしてこれに応戦するのは桃華さんだろう。
 その予測は外れない。
「うるっさいわねっ! 今帰るわよっ」
 桃華さんは立ったままティーカップを呷り、ハーブティーを一気に飲み干した。それに習い、私と翠葉さんも慌ててカップに口を付ける。
 確かにハーブティーは飲みやすい温度になっていて、難なく一息に飲むことができた。
「それ、私が引き受けるわ」
 桃華さんが翠葉さんの脇に置いてあったトレイを手にすると、カップを回収し始める。そして司さんを見向きもせず、屋内へと入った。
 そのあとを追うように私と翠葉さんも席を立ったわけだけど、なんとなく足取りが重いのは気のせいではないだろう。
 別に好きと決まったわけでもなんでもないのに、今蔵元さんと会うのは非常に気まずい気がするのだ。
 気まずい理由はない。ないはずなのに、どうしてこんなにも足取りが重いのか――
 自己分析をしようにも、なんだかうまくいかない。
 頭の中も心の中もとっちらかっていて、何から片付けたらいいのかすら、さっぱりわからない。
 こういうときはどうすればいいんだっけ……?
 どれだけ思い返しても、思い当たるものがない。
 ……そうだったわ。私、こんな状況に陥ったことがないのよ……。
「雅さん、顔が真っ赤ですが……」
 え……? 顔が真っ赤って、今誰に――?
 顔を上げると、あと一歩で室内という場所に立っていて、目の前には蔵元さんが立っていた。
「泣きました? それとも発熱なさってる、とか……?」
 それは空港で会ったときに向けられた表情――心配そうにこちらを窺う顔だった。
 何か、何か答えなくちゃ――
 そうは思うのに、身体の熱は上がる一方で、言い訳の言葉すら出てこない。
 これは桃華さんに指摘されたから? 指摘されて、うっかり意識してしまったから?
 いや、今はそんなことはどうでもよくて、この場を乗り切るにはどうしたらいいのだろう。
 頭は高速回転しているはずなのに、建設的な解決策は一向にはじき出されず、最後には神頼みをしたくなる始末だ。
 今、神様にひとつお願いを聞いてもらえるのなら、私が瞬きをした瞬間に、私の顔にファンデーションを厚めに塗って、肌の赤味をすべて覆い隠してほしい。
 この際、仕上がりの出来不出来は問わない。だからお願いっっっ――
 祈るような気持ちで目を瞑ると、
「翠葉お嬢様? どうかなさいましたか?」
 えっ、翠葉さん……?
 何がどうしたのか気になって恐る恐る目を開ける。と、蔵元さんが私へ向けて伸ばした手を、翠葉さんが両手で掴んでいた。しかも、掴んでいる翠葉さんが「どうしようっ!?」という顔をしていて、蔵元さんがものすごく不思議そうな顔で翠葉さんを見下ろしている。
 もしかしたら、翠葉さんは私を庇おうとして、反射的に蔵元さんの手を掴んでしまったのかもしれない。
 ものすごく困った顔をしている翠葉さんはしどろもどろに、
「いえ、あの――……あの、具合が悪いとかそういうことではないので……その――」
 できることなら困っている翠葉さんを助けてあげたい。でも、自分がどう動いたらいいのかわからないし、動ける気もしないし、心の中で叫びたい気分だ。「誰か助けて」と――
 その気持ちは天に届いた。というよりは、唯くんに届いた。
「さ、司っちに追い出される前に帰ろ帰ろっ!」
 唯くんは席を立つと、
「司っち、片付けせずに帰っちゃうけどいい?」
「どうぞお構いなく」
「じゃ、ほら、秋斗さんも立った立った。ほらほら蔵元さんも! これ以上滞在しようものなら司っちのブリザード機能が起動しちゃうからねっ! 危険危険! 危険は全力で回避っ!」
 陽気に言い放っては蔵元さんの腕を引っ張り玄関へと歩み出す。
 今ほど唯くんがこの場にいてくれて良かったと思ったことはない。
 唯くんって、実は神様の化身だったりするのかしら……?
 何はともあれ、神様ありがとう――

 胸を撫で下ろしたのは一瞬のことだった。
 これから「帰る」ということは、陽だまり荘までの道のりを六人で移動することになる。八人から六人に頭数が減るのだ。つまり、その分蔵元さんと話す確率も上がるということ――
 大丈夫……。唯くんもいるし、桃華さんもいる。蒼樹さんだっているし、秋斗さんだっている。
 自分に安心材料を提示してみるものの、どうしようもなく心細い。
 不安を抱えて廊下を歩いていると、
「雅さん、大丈夫ですか?」
 翠葉さんに小声で訊ねられた。
「えぇと、大丈夫というか、大丈夫じゃないというか……」
 正直に言うなら全然大丈夫じゃない……。
 でも、ここから陽だまり荘までは歩いて帰るしかないのだ。
 大丈夫、桃華さんがいる――
 安心を得るために桃華さんを見ると、私の視線に気付いた桃華さんはにっこりと笑った。そして顔の近くで小さく手を振ると、その手を蒼樹さんの腕に絡め、私に背を向ける。
 これ、「ご自分でどうにかなさってくださいね」ということ……?
 でも、最後の神頼み――私には唯くんがいるわっ。
 すでに玄関の外へ出てしまった唯くんを探すと、こちらも私の視線に気付き、にちゃぁ、と悪魔のような笑みを浮かべる。
 その笑い方にはいやな予感しかしない。
「秋斗さん、秋斗さん! とっとと下に戻ってチェスしよう! ね、チェスチェス!」
 それはもう、小さな弟が大好きなお兄ちゃんに甘えるように纏わり付き、「早く早くっ!」と手を引っ張っていってしまう。
 ちょっ――唯くんっっっ!? さっきは助けてくれたのに、どうしてっ!?
 絶叫したい気持ちを抑えつけてサンダルを履く。
 残るは蔵元さんしかいないわけだけど――
 正直に言えばあまり探したくはない。探したくはないけれど、現在の所在地は把握しておきたい。そんな思いから蔵元さんを探し始めると、探すまでもなかった。
 蔵元さんは、最初から私の視界にいたのだ。
 できるだけ顔を合わせたくないと思っていたからか、ものすごく近くにいたのに、いないものとして脳が処理していたらしい。
 唯くんに引っ張られ、先陣を切って玄関へ向かったはずの蔵元さんは、玄関脇で陽だまり荘のメンバーが全員出てくるのを、まるで点呼でも取るかのごとく、待っていたのだ。
 唯くんと蔵元さんの次に玄関を出たのは秋斗さん。その次が桃華さんと蒼樹さん――
 きちんと仲直りをしたふたりは腕を絡め、仲睦まじい様子で歩き出す。なんというか、今あのふたりに声をかけられるような図太い神経の持ち主は、そうそう居はしないだろう。
 そのあとを追うように、唯くんが秋斗さんの手を引いて歩き出し、気付いたときには私と蔵元さんが取り残された状態になっていた。
 この状況を乗り切るにはどうしたらいいだろう……。
「少し翠葉さんと話したいことがあるので、蔵元さんは秋斗さんたちと先に帰られてください」と告げたとして――
 その先を想像しては、項垂れたくなってしまう。
 蔵元さんはきっと、「わかりました」と答えてくれるだろう。けれど、秋斗さんたちと先に帰ることは絶対にない。
 ここが藤宮の敷地内で安全が確保されていたとしても、蔵元さんは夜道を女性ひとりで歩かせる人ではないのだ。
 紳士的な気遣いが嬉しいような嬉しくないような……。
 これは早く秋斗さんたちに追い付き合流するが吉――
「司さん、翠葉さん、遅くまでお邪魔してごめんなさい。とても楽しかったです。それから、翠葉さんのお料理もとってもおいしかったわ。また明日ね」
 そう言って、星見荘をあとにした。


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