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光のもとでT 外伝SS

秘密の想い

Side 若槻芹香 05話

 コンコンコン――
 控えめなノック音に、ママと顔を見合わせる。
「看護師さんかしら?」
「そうかも? あと少しで面会時間終わりだし……」
「どうぞ」と声を発すると、ゆっくりすぎるほどのんびりとドアがスライドし、その隙間からこちらをうかがうように顔を覗かせたのはパパだった。
「パパっ!? どうしたのっ!?」
 スーツ姿のパパを見るのはとても久しぶりだった。
 パパの会社はいわゆるブラック企業というものらしく、いつも残業ばかりで、会社帰りに病院へ寄れることなどめったにないのだ。
 するとママがクスクスと笑いだす。
「あのね、昨夜パパには話していたの」
「何を?」
「今日、もしかしたら芹ちゃんに自分たちのことを話すかもしれない、って」
「そうだったの……?」
「うん。だって芹ちゃん、もうひとりで抱えているのは限界だったでしょう? その話を吐き出させるためには、自分たちの話もしたほうがいいかな、と思っていたから」
 確かに……。
 自分の話だけをしたならば、今ごろ私はそれまで以上の背徳感に苛まれていたかもしれない。
 今、そんな重苦しい感情を抱えずにいられているのは、「自分だけじゃない」と思えたからだ。
 しかし――
「パパ、いつまでそこにいるつもり? 早く入ってこないと面会時間終わっちゃうよ?」
 そんなふうに声をかけると、パパは挙動不審全開の足取りで、ベッド脇までやってきた。
「美也子、全部話したのか?」
 ママはにっこりと笑って、「ええ」と答える。
「ほら、こんなときに――と思って取っていた参考資料もすべて開示済みよ」
 軽やかに答えるママに対し、パパは恐る恐る私の顔色をうかがう。
「パパ……気持ちはわからないでもないの。でも、ちょっとビクビクしすぎ」
 ため息をついて見せ、パパの腕をパシパシと叩く。
「父さんたちのこと、気持ち悪くない? 大丈夫? 気分は?」
「……あれ? ママ、パパは私の好きな人を知らないの?」
「ううん、知ってるわ? 何せ、ママより先に気付いていた人だもの」
「そうだったのっ!?」
 パパを凝視すると、パパはバッグを持っていない右手で頭を掻いて見せた。
「ま、一応親だしなぁ……。ずっと見てきたしなぁ……」
「なんだ、そっかー……。一生懸命隠してるつもりだったけど、全然隠せてなかったのか」
 自分のひとり相撲であったことに恥ずかしさを覚えつつ、はっとする。
「えっ!? それって唯ちゃんにもばれてたりするのかなっ!?」
「いや、あいつは大丈夫じゃないかー?」
「なんでっ!?」
「唯は唯で、今は自分のことでいっぱいいっぱいだからな」
 それがどんな意味なのかはわからなかったけれど、私は唯ちゃんにだけは気付かれていないという事実に安堵した。
「で、ひとつ疑問なのだけど――病院側にはどう話してあるの?」
「どうって……普通に話してあるわよ?」
 ママの言葉に首を捻る。
「だってすでに、色々普通じゃないでしょう?」
「んー……だから、そこは普通に――私とパパは兄妹なのだけど、お互いに子どもがいて、四人で暮らしているから、芹ちゃんはパパのことを本当のパパだと思っているし、唯は私のことをママだと思ってる、って話してあるわ。ついでに、芹ちゃんと唯は従兄妹だけど、小さいころから兄妹のように育っているから、関係性もそんな感じですって説明してあるけど……? 通常、入院時における保証人は生計を共にしていない人を選出しなくちゃいけないのだけど、そこも『別世帯』であることと、別々に収入があることで例外が認められている感じよ」
 そんな話をしていると、時計の針が七時を指し、面会時間終了のアナウンスが流れた。
「芹香、本当に大丈夫か?」
「……パパの目に、今の私はどんなふうに映ってるの?」
 パパは首を捻って悩みこんでしまう。
 仕方がないから私はスタンドミラーを手に持って、
「顔色はいつも通り悪いし、顔のむくみはまあまあね? 脈拍もそう悪くないんじゃないかしら? 心電図の見方まではわからない。でも、発作は起きてないし、発作が起きそうな兆候もなし。どう? 少しは大丈夫そうに見えてきた?」
 そこまで言うと、ママは今までにないくらいに笑い始めるし、パパはそんなママを見ながら悔しそうに唸り、さらには言い訳を始めた。
「だってさ、唯に言う覚悟はあったけど、芹香に話す覚悟はできてなかったし、昨夜確かに美也子から前置きはされてたけど、まさか本当に話してるとは思わないし、話を聞いた芹香がこんなにもあっけらかんとしてるとは思わないだろっ!?」
「総さんったら相変わらず蚤の心臓ね?」
 その言葉に「あっ」と思う。
「ママ、パパのこといつもは『総さん』って呼んでるのっ!? パパも、さっきから『美也子』ってっ!」
 ふたりは少し恥ずかしそうに笑って、コクリと頷いた。
「なんかいいね?」
 それが本音で自然と口に出た言葉だったのだけど、思いのほか、ふたりが嬉しそうに笑うから、なんだかとっても嬉しくて、好きな家族が幸せそうに笑ってるの、いいな、って心の底から思えた。
 そして、ふたりが病室を出る直前、パパがベッド脇まで戻ってきて声のトーンを落とした。
「今週末ももちろんお見舞いはに来るんだけど、その日はパパと内緒話をしないか?」
 その内緒話がどんなものかも知らずに、私は「うん!」と元気よく答えた――

 両親の暴露話を聞いたあとも、私は唯ちゃんにはつっけんどんな態度しか取れずにいて、そんな日々を後悔して過ごしていた。
「ママとパパとは普通に話せるようになったんだけどなぁ……。唯ちゃんだけはだめなんだよなぁ……」
 どうしたら今までのように接することができるのか、と悩んでいるところへパパがやってきた。
「今日は少し調子がいいんだって?」
「うん、なんかちょっと、調子いい」
「そっか。じゃ、車椅子に乗って外行くか?」
「え? いいのっ!?」
「看護師さんに話したら、先生の許可をとってもらえた」
「行くっ!」
 久しぶりに屋外へ出て、太陽の日差しを浴びる。
 でも、まだ肌寒さを感じる季節ではあって、用心に用心を重ねて、屋内との気温差をほとんど感じないほど着こんで外へ出た。
 そこは病室から見下ろすことのできる中庭。
 床はウッドデッキで覆われていて、四方の壁には蔦が這わされており、病院の一画とは思えない緑が豊かなスペースとなっている。
 夏は数本植わる樹の葉が生い茂る涼やかな空間なのだけど、冬の今は葉がすべて落ち、雄々しい枝だけが空へ向かって伸びている。
 それでもここは、飼っているペットを唯一連れてこられる場所でもあり、家族やペットと離れて入院している人たちの憩いの場所だった。
 週末ということもあり、あたたかい時間の今はペットを連れてお見舞いに来ている人の姿が多く見られる。
 私とパパはそんな光景を眺めながら、いつもの場所へ向かった。
 それは中庭の一番端に位置する花壇。
 春や夏にはハーブが生い茂る花壇だけれど、この季節は花壇の中に植物の姿は見られない。
 何もなかろうと、土の中では地下茎が生きており、春になってあたたかくなればまた芽を出す。
 空調のきいた病室は暑くも寒くもなくて、時に今が夏なのか冬なのかすらわからなくなってしまう。それでも、空の色や雲の形が季節を教えてくれたし、何より、この花壇に新しい緑が芽吹く季節が楽しみで仕方なかった。
「この季節は何もないなぁ……。やっぱりあったかい病室のほうが良かったか?」
「そんなことない! 太陽の日差しは貴重! これ以上私の肌を白くしてどうしたいのっ!?」
「いや、白くしようと思って屋内に閉じ込めてるわけじゃないんだけど……」
「ま、それもそうね……。で? 内緒話って何? なんの話? パパとママの話?」
 私はパパとの内緒話を楽しみにしていたこともあり、畳みかけるように話しかける。と、パパはちょっと苦い顔をした。
「パパ……?」
「あのな……。――……」
 言いかけてはやめ、パパは深刻そうな顔をして口を噤んでしまう。
「……ねえ、なんの話?」
「……父さん、今からすっごく自分勝手なことを言う。その自覚があるから、正直言いづらい……。でも、芹香に約束してほしいんだ」
「……何? 何を約束させたいの……?」
 そんなにも言いづらそうに、自分勝手だと言うそれは、何……?
 パパは一度目を閉じて、ゆっくりと息を吸い込むと、私の正面に座って私を見上げた。
「あのな、この先、芹香がどれほど唯のことを好きでも、唯にその気持ちは伝えないでほしいんだ」
 唯ちゃんに自分の気持ちを伝えるつもりなんて、最初からなかった。少なくとも、先日ママ打ち明けるまでは、そのつもりだった。
 でも、ママやパパのことを知って、ママやパパに自分の気持ちが受け入れられて、いつかは唯ちゃんにも伝えられるのかもしれない、という期待はどこかしらにあったかのだろう。だから今、こんなにも衝撃を受けているのだ。
「芹香、大丈夫か……? 心臓、つらくないか?」
 パパは骨ばった私の手を握り、頻りに体調を気にしてくれる。
 でも、体調というよりは、気持ちが――心が――悲鳴をあげる。
 涙腺が決壊したみたいに、壊れた人形のように涙が止めどなく流れ始めた。
「芹香、ごめん……。ごめんな……。ひどいことを言って――苦しい想いをさせて、ごめんな……」
 パパは私の手を握ったまま、もう片方の手でダウンジャケットのポケットからハンカチを取り出しては私の涙を拭ってくれる。そして、
「でも、唯のことを考えると――芹香の想いを告げることは、とても酷だ……」
「でもパパたちはっ――」
 思わず声を荒らげて、はっとする。
 すぐに口を噤み、俯く。
 納得がいかない――
 その感情に心も頭も支配される。
 反発心だけでものすごくひどいことを延々言い続けられそうな気はするけれど、そうしたい気持ちは山々だけど、それじゃだめ――
 私の体調をものすごく気遣うパパは、普段から私が傷つくようなことを言わなように気を付けているし、話題にしないように、と細心の注意を払って会話する。そんなパパが、あえて私に言ったのはどうしてなのか――
 感情に支配されたらいけない。パパが考えていることを、少しでも理解しなくては――
 そうは思うのに、涙は止まらない。
 気付いたときには膝の上にかけていたフリースのひざ掛けに、無数の雫がはじけ、場所によっては水溜りが生じていた。
 その水溜りに小さく自分の顔が映って、少し冷静になる。
「パパ、教えて……。唯ちゃんのことを考えると、私の想いを告げることが酷って、どいうこと……?」
 パパは少し驚いた顔をしていた。
「芹香は――」
 言って、口を開けたまま私を見つめている。
「な、に……?」
「そうか……そういうことか――」
 パパは何かを悟ったように俯き、私の手を握る手に力を込めた。
「パパ……?」
「……これは本当にパパと芹香の内緒話だぞ?」
 確認のように念を押され、私は慎重に頷いた。
「唯も、おそらくは芹香のことを好きだよ」
 その言葉に心臓が止まるかと思った。
 嬉しいはずの事実が、こんなにも苦しくて悲しく思えるのはどうしてだろう……。
 パパに想いを伝えないでくれ、と言われたから?
 ううん、それは何か違うな……。
 じゃ、なんで……?
 パパが今まで口にしたことをひとつひとつトレースする。
 パパはこう言ったのだ。私の想いを告げることが「酷だ」と。
 つまりそれはどういうこと……?
 普通、好きな人から同様の想いを告げられたら嬉しいものじゃないの? 違うの?
 ……あ、たぶん違う。そこじゃない――
「パパ……。パパとの約束を守る代わりに、教えてほしいことがひとつあるの……」
「交換条件か……。芹香も頭を使うようになったなぁ。こんなこと、どこで覚えてくるんだか……」
 そう言って、パパは苦々しく笑った。
「いいよ。父さんが答えられることならいいんだけど……」
 私はほんの少しの笑みを浮かべる。
「大丈夫。パパが絶対に知っていることだから」
「そうなのか?」
「うん。……私にこんな約束を強要するんだから、このくらい教えてもらわないと割に合わない」
「割に合わない」というのとは少し違うのだけど、私が今まで知りたくても教えてもらえなかったことで、きっとパパが危惧している根幹に関わることだから。だから、教えて――
「パパ……。私の余命は、あとどのくらい?」


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Update:2021/06/23

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