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光のもとでT 外伝SS

秘密の想い

Side 若槻芹香 07話

「寒くなかったか?」
「大丈夫。これでもかってくらい防寒してたから、逆に少し暑かったくらい。パパは?」
「父さんも大丈夫だ」
「でも、手洗いうがいはしなくちゃね」
 そう言って、私たちは仲良く手洗いうがいを済ませてベッドへ戻った。
「ね、パパ……」
「なんだ? 貴重な水でも飲むか?」
 水差しに手を伸ばしたパパは私の顔を見て、水差しを取るのをやめスツールに腰かけた。
「どうした?」
「あのね、もうひとつ、お願いがあるの……」
「もうひとつ……? さすがにあまり高いものは買ってやれないぞ?」
「違う……。そういうお願いじゃなくて――」
 私は、もうずいぶんと前から思っていたことを口にしようかどうしようか悩んでいた。
 ここ最近、唯ちゃんが好きなことも話せたし、パパとママが実は兄妹だったことも知れたし、パパたちと色んなことを話せるようになって、少し気が緩んでいたのかもしれない。
 今までなら絶対に口にしないようなことを、私は口にした。
「きっと、パパもママも唯ちゃんも反対する。先生も反対するかな? でも……聞いてほしいの」
「……芹香?」
「あのね……」
 私はベッドの端に置かれたパパの手に自分の手を重ね、
「もう、心臓移植以外の手術はしたくないなぁ……」
 パパの顔を見て言うことはできなくて、自分の指と指の間に見える、節くれだったパパの指の関節を見つめながら話した。
 パパは私のお願いを聞いてすぐに反対することはなかったけれど、手が反射的に動いたことから、相応に驚いたことがうかがえた。
「芹香、それは――」
「あのね、苦しい思いをするのもいやなんだけど、また身体にメスを入れるのも、これ以上身体に傷が増えるのも、手術後の痛みや苦しさに耐えるのも、また管だらけの姿を唯ちゃんに見られるのも、もう、やなんだよね……」
 ずっと誰かに話したかった。でも、話せずにいた。
 娘から、「これ以上の延命を望まない」と言われるパパやママの気持ちを考えたらそう簡単に言えることではなかったし、患者の命を救う立場にある看護師さんや先生たちに言えることでもなかった。
 命を救うための治療なのだから、身体に傷のひとつやふたつできたって仕方がないのかもしれない。でも、毎朝身体を拭くときや、調子のいいときに許される入浴――自分の身体を見るたびに手術痕が目に入り、なんとも言えない気持ちになるのだ。
 唯ちゃんを好きな気持ちに気付いてからは、それまで以上に気にするようになった。
 この病棟にいる子はみんな似たり寄ったりの場所に傷があって、パジャマを上手に着られず胸がはだけてしまっている子なんかは、その傷が見えてしまっていたりする。
 この子は男の子だから、将来的にそこまで気にすることはないかな……。でも、この子は女の子だから、いつかは気になる時期がくるだろうな、とか。そんなことを思いながら、自分よりも小さな子たちのパジャマをきれいに整えてあげることが何度もあった。
 小さいころに切った場所は、身体の成長とともに皮膚が伸び、場合によっては傷跡も少し大きくなる。
 私の手術はいつだって心臓外科のエースと呼ばれる先生が執刀してくれていたけれど、先生の腕がいいとか悪いとかそういう問題ではなく、手術をすれば必ず傷はでき、痕は残るのだ。
 先生や看護師さんは気遣って、「この傷は芹香ちゃんが病気と闘った証だよ」などと言ってくれるけど、私には単なる醜い傷跡にしか見えなかったし、胸にある傷跡を見て「きれい」思う人はまずいないだろう。
 病気が治って身体が成長したあとならば、その傷跡に対する処置も行えると説明を受けたけれど、そんな日が来るのかすら怪しい。
 何せ、私はドナー待ちの患者で、私の前にあと何人の患者が待機しているのかすらわからないのだから。
 でも、私は絶望しているわけじゃない。ただ、もう自分の身体に傷をつけたくないのと、たくさんのチューブにつながれた痛々しい自分の姿を、唯ちゃんや両親に見せたくないだけ。
 それともこれは、一種の「逃げ」なのかな――
「逃げ」ではないと思いたい。
「パパ、だめ……かな」
 勇気を出してパパの顔を見ると、顔を動かした拍子に、堪えていた涙が目からポロリと零れ落ちた。
 けれどもパパは、両目から涙をボロボロと流していて、ひどくつらそうに唇を戦慄かせていた。
 そんなパパを見ても、私は話すことをやめない。
「パパ、『リビング・ウィル』って知ってる?」
 パパは泣いたまま顔を横に振る。
「あのね、『リビング・ウィル』というものがあるの。日本語にすると、『生前遺言状』とか、『終末期の医療やケアについての意思表明書』と言うそうなのだけど、未成年であっても、保護者であるパパとママが納得して、主治医もきちんと理解してくれて、弁護士さんのもとで書類を作成すれば、私の尊厳は守られる――そういうものがあるの」
「芹香っ!?」
 パパは慌てたように、私の腕を掴む。
「この病院の院内図書館はね、藤宮学園内にある図書館から蔵書を借りることができるから、色んな本を読むことができたよ。本当に色んな本を――だから、尊厳死についても人に訊ねることなく勉強することができた」
 私は引き出しからノートを取り出し、一番最後のページを開いて見せる。
 そこには、私が望むすべてを書き出してあった。
 パパは蒼白な顔で絶句したまま、最後のページに書かれた私の文字を目で追っていた。
「パパ、安心して? 私は死にたいわけじゃないし、今すぐ死のうと思っているわけでもないの。ただ、延命措置を望まない。それだけだよ」
「でもっ――」
「ドナーが現れるのが先か、私の心臓が果てるのが先か――それだけ」
 パパは私の考えをどうしても呑み込めないらしい。でも、私を説き伏せる言葉も持ち合わせてはいないみたい。
 私は大の大人がこんなにも震え、こんなにも涙を流すのを初めて見た。そしてパパは、震える手で決して放すまい、と必死な形相で私の腕を掴んでいる。
「私はどうしたってパパたちや唯ちゃん側にはなれないからこんな考え方になっちゃうんだけど、もし大切な人が私みたいな状態だったらって考えると、正直、きついなぁ……って思うんだよね。好きな人が何度も命に関わるような発作を起こしていて、自分はそれを見ていることしかできなくて、助かることを祈ることしかできなくて――そんなことが何度もあったら、私はたとえ健康な心臓を持っていたとしても、身が持たないなって思った。実際、パパやママはどう? もう何度もきつい思いをしてきてるよね? 何度も泣いてきてるよね? ……そういう思いを、唯ちゃんにこの先何度もさせるのは、いやだよ……」
 それまでパパは声を堪えて泣いていたのに、それが無理になったのか、しゃくりあげて泣き始めた。そして、パパとママの過去のお話をひとつしてくれた。
 パパとママに見合い話が持ち上がったとき、もうどこにも逃げられないと思ったママは自殺をはかったらしい。
 幸い発見が早く命に別状はなかったものの、パパは生きた心地がしなかったという。
 その気持ちはわからなくもない。
 大切な人の早すぎる死ほど、受け入れられないものはないと思うから。
 ……あぁ。私は、その気持ちも理解できるのに、自分の延命は望んでいなくて、それをパパやママに受け入れてほしいとむごい願いを突き付けているのか……。
 それは簡単に納得してもらえないし、パパだってすぐには呑み込めない内容だよね……。
 パパはママが回復してから、こんなことが二度と起こらないように――とママを連れて家を出たそうだ。
 そのときのことがあったからこそ、唯ちゃんに私の想いを告げないでくれ、と言ったのだと言う。
 好きな人に、想いが通った人に先立たれてしまうことほどつらいものはない、と――そう思ってのことだったらしい。
 つまり、パパもどこかで私の「死」を覚悟はしているということなのだろう。
 延命できるところまで延命したとしても、心臓移植の順番が回ってくるまで私の心臓がもつか、不安で仕方がないのだ。だから色んなことを考えてしまって、考えてしまった結果、私に余計なことを言ってしまったのだ。
 私はパパに「想いを告げないでほしい」とさえ言われなければ、検査結果や余命宣告諸々、そのあたりのことを問いただすことはしなかったと思う。それから、「延命措置の拒否」今話すこともなかったと思う。
 そのくらい、準備も何もなしに話し出してしまった自覚はあって――でも、その引き金を引いてしまったのはパパでしかない。
 そんなことを頭の片隅で考えながら、
「そうかぁ……。パパとママにも本当に色んなことがあったのね……」
 パパはグスグスと泣いている。先ほど貸してくれたハンカチなど、もうとっくにぐしょぐしょで、ハンカチの役割を「まったく」と言っていいほどに果たしていない。
 その、くったりとしたハンカチを見ながら、
「それなら――パパは私の気持ちをわかってくれるよね?」
 これは誘導尋問になるのかな……。なるとしたら、かなり性質の悪い誘導尋問だな。
 そんなことを思いながら、私はこれ以上ないほどに充血してしまったパパの目を覗き込む。すると、
「でもな、大切な人にはどんな状態でも生きていてほしい、って想いや願いもあるんだぞ?」
「うん、そのくらいは私にもわかるよ。でも、私にも願いというか、譲れない想いはあるもの……。どうにもこうにも救いようのない状態の自分を、ずっと見ていられたくはないの」
「でも、人工心臓手術を受ければ――」
「やだっ」
「せり、か……?」
 それまで冷静に話していた私が急に声を大きくしたからか、パパは驚いて目を見開いた。
「……パパはそれがどんなものか知ってるの?」
「心臓移植まで、芹香の命をつないでくれるものだろう……?」
「だから、それがどんな形状をしていて、私がその手術を受けたあと、どんな生活を余儀なくされるのか、知ってるのっ!?」
「……現在日本でできる人工心臓手術は『体外式補助人工心臓手術』のみだ……。だから――」
「なんだ、知ってるんじゃん……。そう……つまりその手術を受けたら、私は人工移植をするまで病院から出ることはできない。そんなの、本当にただ生かされてるだけじゃない……」
「それでもっ――」
「いやったらいやっ。その間、私は誰かが亡くなるのを、脳死状態になるのを待ち続けなちゃいけないんだよっ!? 私が心臓移植を受けられるっていうのは、どこかで誰かの人生が終わるっていうことなんだよっ!? 自分が助かる可能性が上がるからと言って、人の死を待つような時間を過ごすのは耐えられないっ。それって、どんなエゴよ……。自分が生きるためにそんなことを望むのは――」
 どうしたって納得ができないのだ。
 もし、私の心臓が使い物にならなくなって死んだなら、使える角膜や臓器は必要とする人たちへ譲りたいと思う。でも、私が必要としているのは人が生きるために一番重要なパーツで、人の「死」をダイレクトに感じてしまう「心臓」なのだ。どうしたって、感謝より先に申し訳なさが立ってしまう。
 家族が脳死判定されて、臓器提供という選択をするまでにはたくさんの葛藤があることだろう。親族内で揉めることもあるというくらいだ。でも、その選択をしてくれる人がいるからこそ一部の患者は救われる。その事実は否定しない。でも――それが角膜やほかの臓器なら納得できるのに、「心臓」だとだめなのだ……。
 私が心臓移植のレシピエント登録をされたのがいつのことかは知らない。でも、現況の知識を持ち合わせている私に選択権があったとしたら、私はレシピエント登録なんてしなかった。その時点で、私の尊厳は一度踏み躙られたことになる。
 会話が止まってしまっても、私とパパの間にはピリピリとした空気がある。でも、パパは何も言ってこない。
 あぁ、そうか……。これ以上、私を興奮させないためだよね……。
 パパはティッシュを何枚か引き抜き顔を適当に拭くと、すくっと一息に立ち上がった。
「これ、いったん持ち帰らせてくれ。今すぐ答えられるような問題じゃない」
 そう言ってノートを手に持ち、ショルダーバッグにしまった。
「わかった。もともと、すぐに承諾してもらえるなんて思ってなかったし……。でも、時間をかけてでも納得してもらうよ」
 じっとパパを見上げると、パパはベッド脇にしゃがみこむ。そして、下から私を見上げると、
「そういうところ、ママとそっくりな? 気が強くって、芯があって、絶対に自分の意見を曲げない」
「……え? ママってそんな人?」
「うん。普段は物腰穏やかな印象だけど、意外と芯が強くて、潔くて、恰好いい人だよ」
 そう言うとパパは立ち上がり、
「これ、ママにも話すぞ?」
「もちろん。パパだけじゃ決められないだろうし、ママの意見や気持ちを無視するつもりはないよ」
 それに、DNAとかそいうの抜きにすれば、私の保護者は、親権を持っているのはママだけなのだ。それはつまり、ママの理解さえ得られれば書類は作成できるということ――
 でも、それを言ってしまったら間違いなくパパは地底深くまで落ち込んでしまうので、今は言わない。――今は言わないけれど、どうしても呑んでもらえなければ、そのときは言う――
 パパが病室を出て、ドアが閉まるとき特有の圧縮音を聞いてから、
「まあ予想はしていたけど、やっぱりパパとママを説き伏せるところからだよねぇ……」
 あ、唯ちゃんに言わないでって口止めしなかった――けど、
「言わないか。あの優しいパパが、言えるわけがない……」
 私はひとつ重い荷物を下ろした気分で、窓から見える空を眺める。
「さっきまではお日様が出てたのに、今にも雨が降りそうな空ね……」
 四角い窓から見える空は、重苦しいグレーの雲に覆われていた。
「私、重い荷物を下ろしたのかな? それとも持ち上げた? あれ、どっちだろう……?」


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Update:2021/06/28

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