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光のもとでT 外伝SS

秘密の想い

Side 若槻芹香 08話

 パパに気持ちを打ち明けたあの日から、もうずいぶんと経つけれど、あの話題が出ることはない。
 一度確認のように、「私が提案したこと、唯ちゃんには言わないでね」と言ってみたけれど、「言えるわけないだろ」という返答があったのみ。
「この話をしないのは、まだパパとママが話し合っている最中だから? それとも、話をしなければなかったことになるとでも思ってる?」
 そんなふうに問い詰めてみたけれど、
「なかったことになるならそうしたいけど、そんなふうに考えているわけじゃないよ。ただ、まだ呑み込めないんだ。芹香の気持ちを理解しようと思っても、自分たちの希望やエゴが邪魔をする」
「……ということは、私の気持ちを理解してくれようとはしていて、私を説得するために色々作戦を練ってるわけではないということ?」
「……できれば説得したい、っていうのが本音だけど、芹香の希望を無視しようと思ってるわけじゃないよ。芹香の気持ちを踏まえたうえで、自分たちの気持ちとうまく折り合いをつけたいと思ってる。だから、もう少し時間くれないか?」
「時間、かぁ……。前向きに考えてくれているなら待ちたいところなんだけど、私の心臓さん、あんまり気長な性格じゃないんだよね。うっかり発作とか起こして、大きな処置が必要になっちゃったら、今の状態だと私の意志は必然的に無視されちゃうわけなんだけど――」
 そんなふうに言ってパパを見ると、パパは難しい顔をして口を噤んでいた。
「ごめん……。パパをいじめようと思って話してるわけじゃないんだけど、この話題って必然的にそうなっちゃうよね?」
「……これも勝手なお願いなんだけど、美也子からこの話をすることはないと思う。だから、芹香からも美也子にはこの話題は振らないで欲しい」
「ママ、ね……。パパに話した翌日に来たママ、すっごくよそよそしかったなぁ……。いつも通りに接しようとしてるのに、できない……みたいな?」
「当たり前だろ……」
「そうだよねぇ……。だから、私も何を突っ込むでもなく、『パパから話聞いた?』とさえ訊けなかったよ」
「助かる……。ありがとう……」
「『助かる』はわかるとして、お礼を言われるのはなんか違うよね……。でも、もう少しフランクに、もう少し前向きにこの話ができたら嬉しいとは思う。言ったでしょう? 私は今すぐ死のうと思っているわけでも、死にたいと思っているわけでもないの。自殺願望なんてさらさらないからね? ただ、死に時や、どう死にたいか、っていう話をしたいだけなの」
「ううう……父さんまた泣いちゃうから、この話本当にちょっと勘弁してくれ。一生懸命考えて、美也子と話し合って、なるべく早くに回答できるようにがんばるから」
 情けなさ全開のパパを前に、「わかった」と答えたのはいつのことだっただろう。
「あれ? もう一年近く経ってない……?」
 時々催促をするのだけど、パパは一生懸命考えているから、としか話してくれない。
 これは本当に考えてくれているのだろうか、と思い始めている今日この頃だけれど、そろそろ最後の催促をしてもいい時期かもしれない。
 最近少し、体調が下降気味なのだ。大きな処置が必要になるその前に――

 今年もあと少しで冬が明ける。
 まだ肌寒さは感じるけれど、日中はだいぶ暖かくなってきた。
 調子のいい今日は看護師さん付き添いのもと、中庭へ出してもらえているくらいだ。
「芹香ちゃん、ごめん。ちょっと呼び出しが入っちゃって、一度ナースセンターへ戻らなくちゃいけないんだ。でも、十分しないで戻ってこられると思うの。芹香ちゃんはどうする? 一緒に戻る? それともここにいる? 何かあればいつものコールボタンを押せば、誰かしらすぐに来るから大丈夫なんだけど……」
「あ、えと……じゃ、もう少しここにいようかな?」
「病室出れたの久しぶりだもんね? じゃー私、用事済ませてすぐに戻ってくるからねっ!」
 そう言うと看護師の妻田さんは、中庭の出入り口へ向かって颯爽と駆けていった。
 たとえば、「走る」ってどんな感じだろう?
「走ったときに感じる風圧は、自分が静止しているときに感じる――自然に吹いている風を感じるのとは違うのかな……」
「風を切って走る」という言葉を体感したくて、自分で漕げる最大速度で車椅子を走らせて、看護師さんたちにこっぴどく怒られたのはいくつのときだっけ……。
 なんとなしに空を見上げるも、何歳のときのことかは思い出せなかった。そして、視線をもとに戻せば花壇が目に入る。
 私には知らないことがたくさんある。
 たぶん、普通に生きて、普通に生活して、みんなと同じように学校へ通っていたら知っているようなことも、私は知らない。
 でも、知っていることもある。
 あと数週間もすれば、今は何もないこの花壇から、かわいらしいハーブが芽吹くのだ。
「うん。知らないことばかりじゃない……」
 あの樹の枝にも新しい芽が付き始めている。春になれば若葉が生えて、新緑が眩しい季節がやってくる。
「……私、その光景を目にすることできるのかな……」
 パパに思いを打ち明けてから、小さな発作は何度もあった。そのどれも、胸を開く必要はなかったから、私の意志を無視した処置が行われたわけではないのだけど、つながれたくないと思っていたチューブたちにはつながれてしまった。
「あああっ、健常者に言ってやりたいっ。心臓って規則正しく動くのが仕事だけど、それをサボる心臓だっているし、不規則極まりない心拍打ち出す子だっているんだからねっ!? その心臓がいい子に働いているのを普通だと思うなよっ!? この世のすべての心臓に感謝しろっ!」
 少し大きな声で不満をぶちまけると、視界に飛び込んできた女の子がいた。
 真っ白いワンピースを着た女の子は樹の幹に手を伸ばし、目を瞑ってじっとしている。
 何してるのかな、と思うのと同時、
「あ……あの子知ってる」
 知ってるというよりは、病室から見下ろす中庭で、たまに見かける子だった。
 自分と同じくらい色が白くて、髪がすごく長かったから記憶に残りやすかったのだ。
 でも、その記憶はまだ新しい。
 最近になってこの病院にかかり始めたのか、または家族が入院しているのか――
 そんなことを考えていると、その子がこちらを振り向いた。
 目が合って、お互いにびっくりする
 びっくりはしたのだけど、なんとなく目を逸らしがたく、そのまま見つめていたら、その子は首を傾げてこちらへ向き直り、あたりをキョロキョロと見渡し、最後に樹を振り返って、また私の方を向いた。
 えぇと、今のなんの確認だったのかしら……。
 なんか、久しぶりに「人」に関心を持った。
 人との出逢いは一期一会と言うし――
 私は車椅子のストッパーを外し、その子へ向かって車椅子を動かし始める。そしたら、その子も私に向かって歩いてきてくれた。
「こんにちは」
 声をかけると、同様の挨拶が返される。
 想像していたよりも高い声に、小説に書かれていた一文が脳裏に浮かんだ。
「小鳥がさえずるような声」とはどんな声の持ち主を言うのだろう、と思っていた。
 今までそんな声の持ち主に会ったことはなかったし、小さい子の声を聞いても、一度としてそんなふうに感じたことがなかったから。
 でも今、不意にその謎が解けた。
 きっと、こんな声の持ち主のことを形容する言葉なのだろう。
 高いと感じた声は、澄んでいた。濁りがないというのはこういうこと――そして、それは眼差しにも通じるものがある。
 初めて対面する私のことを見てくるその目は、恐ろしいまでに真直ぐで澄んでいた。
 唯ちゃんが、学校の合宿で行った山にすさまじく青い池があったと言っていた。朝、誰も起きていない時間にひとりで見たその池は、今まで見てきた何よりも澄んで見えたと教えてくれたけれど、私はそんな光景を見たことがない。
 私が感じることのできる「澄んでいる」は、「冬の朝の空気」だけだ。
 この子の瞳は青くないし、冬の朝のように冷たくもない。でも、間違いなく「澄んでいる」とはこういうことを言うのだろう。
 肌と同じく色素の薄い瞳はまるでビー玉のようにキラキラとしていて、そこに映るすべてのものが美しく見える。
 その目に映る自分すら美しく見えるなど――この子、人間? 実は妖精だったりしない……?
 神様、カミングアウトするならとっととしてよ!
 言葉、通じるかな……?
 そんなことを真面目に考えながら、
「……あなた、最近ここに来るようになった子よね?」
 私がそう切り出すと、彼女はびっくりしたように目を見開いて、ガラス玉に映る私がほんの少し大きくなった。
「知ってるんですか?」
「そうね、ここにはもう何年も住んでいるから」
 クスクスと笑いながら話すと、
「住む……?」
 彼女は今首を傾げたわけだけど、彼女が動くたびにサラサラのロングヘアがさらりと動く。
 または、風が吹くたびにきれいに舞い上がっては、さらりともとの状態に戻る。「形状記憶か何か……?」というレベルで。
 いいな、ちょっと触ってみたい……。「絹糸みたいな髪」とはこういう髪のことを言うに違いない。
 自分の盛んすぎる好奇心を抑えつつ、彼女の観察を続ける。
 まだ幼さを感じる容姿だけれど、いくつくらいかしら?
 私よりも二、三歳下くらい……? 背格好はそんなに変わらない気がするけれど、会話したときの反応や、目が合ったときの不思議すぎる動作に幼さを感じる。
 彼女は「住む……?」と言った唇の形のまま未だ首を傾げているわけど、そろそろ頸椎さんを自由に――否、もとの状態に戻してあげたほうがいいと思う。
 その結論のもと、早々に答えをあげることにした。
「そう、もう何年も入院しているの。あそこが定位置っていうか病室なんだけど――」
 自分の病室を指差し教えながら、
「病室からこの中庭を見下ろすのが日課なの。だから、あなたがいつごろ病院に来るようになったのかまで把握してるわよ?」
 少し冗談めかして話すと、髪の長い女の子はクスクスと笑いだした。
 まるで、砂糖菓子のようにシュワシュワと溶けてしまいそうに笑う子だ。
「実は、私も今入院中なんです」
「あら、そうだったの? でも、洋服――」
「あぁ……洋服というか、ルームウェアですね。あまり病人っぽい恰好はしたくなくて」
「なるほど……」
 その気持ち、ものすっごくよくわかるわ……。
 でも私の場合、診察や処置のことを考えると、前開きのパジャマのほうが都合がいい。
 そもそも、院内で着るものにこだわる頭はなかったな……。
 最近の子というか、外を知っている子はお洒落なんだなぁ……。
 自分とは違う考えを持つ女の子にさらに興味が湧いて、
「あなたはいつまでここにいるの?」
「私は検査入院だから、明後日には退院します」
「そう……」
 なんだ残念――なんて思っちゃいけないわね……。
「検査、何もないといいわね」
「お姉さんはいつまで……?」
「退院する日は決まっていないの。まだ当分はいると思うわ」
 彼女は私の病室を見上げてから、
「通院日に会いに来てもいいですか?」
 まさかそんなことを言われるとは思ってなくて、
「あら、来てくれるの?」
 うっかり本音が漏れた。
 それは「本当に?」とい疑いと、淡い期待のようなものが入り混じった本音。素の心――
 すると彼女は満面の笑みで、「はい」と答えてくれた。
 春の日差しのような笑顔に、長年の入院で凝り固まった何かが解される気がした。すると、
「お姉さん、お花は好きですか?」
 あぁ、この子から見て「お姉さん」に見えるということは、やっぱり私のほうが年上なんだろうな……。それにお花――お花か。
 確かに、お見舞いにお花、ってありがちなセットよね……。
「好きよ。でも、お花屋さんで売っているものではなくて、お庭に咲いているハーブのほうが好きだわ」
 彼女は不思議そうな顔で、
「どうして……?」
 ちょっとわかってしまった……。この子、疑問に思うと首が右に傾いちゃうの、癖なのね。
 そんなことすら新鮮で、なんだか面白い。
 私は思わず笑顔になる。
「だって、強いじゃない。どんなに風が吹いても雨が降っても、陽が当たればリセットされるくらいには強い。水に挿しておけば発根するものだってあるのよ? その生命力の強さに憧れるの」
 こんなふうに自分らしく、背筋を伸ばして会話できる感じはどのくらい久しぶりだろう。
 自分を繕うことなく、パパやママに気を遣うこともなく、素の自分で人と会話できるのは、どのくらい久しぶりだろう。
 そんなことを考えていると、
「じゃ、おうちに咲いているハーブを持ってきます」
 彼女は私の意見を受け入れ、そう答えてくれた。
 彼女の家にはどんなハーブが植わっているのだろう……。
 そんなことを気にしていると、彼女は花壇をじっと見ていた。
 彼女が見ていたのは、何もない花壇に挿してあるお花のネームカード。
 端から順に、ミント、カモミール、セージ――と視線を移していくと、彼女は穏やかな表情になる。
 あぁ、この子もあと少しでこの花壇に芽が生えることを知っているのかもしれない。
 そう思うだけで少し心が温かくなる。人と何かを共有できる嬉しさみたいな感じ。
「もうそろそろ芽が出るころよね」と声をかけても良かった。でも、「そうですね」ではなく、「そうなんですか?」という返答だったら、私は間違いなく寂しさを覚える。今感じた、喜びや嬉しさを失くしてしまう。
 だから、声をかけるのはやめた。確認するのは、やめた。
 もしかしたら、「お見舞いに来てもいいですか」というそれも、リップサービスみたいなものかもしれない。
 でも、それを確認するのも怖いし、楽しみにしていたいから、通院日が何曜日なのかとか、何時ごろにとか、そういう約束もしない。
「期待」するのは怖いから、いつだってできる限りの予防線を張って、何かしらの保険をかけてしまう。
 それでも直感は訴えてくる。「この子は来てくれる」と――
 気付けば私は「楽しみにしているわ」と口にしていた。
 彼女はにっこりと笑って自己紹介をしてくれる。
「私、御園生翠葉です」
 ミソノウスイハ……?
 音がきれいで一発で覚えられたけれど、肝心の漢字が一文字も出てこないとはどういうことか――
「ミソノウ」はなんとなくわかるのだけど、「スイハ」とは――
 今まで何冊も小説を読んできたけれど、そんな名前の登場人物はいなかった。今どきの名前? それとも割と珍しい名前?
 もう、これは訊くに限るわね……。
「きれいな名前ね? どういう字を書くの?」
 彼女は嬉しそうに答えてくれる。
「翡翠の翠に葉っぱの葉!」
 きっと自分の名前が大好きなのだろう。
 つられて笑顔になった私は、
「緑っぽい名前ね」
「お姉さんの名前は?」
 私の名前――
 そう言われてみたら、私の名前も植物の名前か……。
 でももし、この子に名前を教えたとして、この子が次に来たときに私が死んでいたら……?
 病院側は個人情報のひとつとして、私が死んだことは伝えないし、そういう名前の人間は入院していない、とだけ伝えることになる。でも――
 勘のいい子は察するかもしれない。私が死んだのではないか、と。
 それなら教えないほうがいい……。
「私の名前は秘密……」
 口の前で人差し指を立てて伝えると、
「どうして……?」
 またかわいい顔が右に傾いた。
 どうして、か……。
 そうだなぁ……。それっぽい理由はないだろうか――
 考えたのはほんの数秒。「それっぽい理由」はすぐに思いついた。
「翠葉ちゃんにも一緒に願掛けをしてほしいから」
「願掛け……?」
 翠葉ちゃんの首はどこまで曲がるのか、さらに傾斜が増した。
「そう……。唯ちゃんが来てくれるように一緒に祈って?」
 もう半年を超えるだろうか。
 唯ちゃんが日中に来てくれることはなくなった。
 未だ夜中に忍び込んでくることはあるけれど、毎回自分が起きていられるわけじゃない。
 せめて、毎週何曜日とか決まっていたらいいのに……。
 唯ちゃんは実に気分屋で、来る日も来る時間もまったく予測することができないのだ。
 仕方がないから、ICレコーダーに人感センサーを追加してもらった。
 唯ちゃんが作ってくれたICレコーダーに、パパが人感センサーを組み込んで、さらにはマスキングテープでICレコーダーをデコって、移動テーブルに置いてある、メッシュポーチの中に突っ込んだ。
 夜間だけ、人感センサーをONの状態にして放置してあるのだ。
「唯ちゃんが来てくれたら翠葉ちゃんに名前を教えてあげる」
 私は願いをこめ、いつも首にかけているトルコ石がはめ込まれたアンティークテイストの鍵を握りしめる。
「ユイちゃんはお姉さんのお友達?」
「いえ、違うわ」
「それじゃ、家族?」
「そうね、家族でとても大切な人」
 彼女は当然の疑問を口にする。
「どうして来てくれないの?」
「うーん……家族だから、かな?」
「家族なのに来てくれないの?」
 一〇〇パーセント悪気なしの素朴な質問が、胸にグサリと突き刺さる。
 家族だけど、家族以上に大切で、この世の誰よりも大切な人だからこそ、会えなくなってしまうことがある――
 そんなこと、私だって知らなかったのだから、私よりも若いこの子が知るわけもない。
 私はにこりと笑顔を作る。
「あなたはいいわね? 優しいお兄さんがいつも来てくれて」
「そんなことも知ってるんですかっ!?」
「だから言ったじゃない。あの病室から、この中庭丸見えなのよ。人間ウォッチングにはもってこいよ?」
「ううう、恥ずかしいなあ……。でも、優しくて格好いい自慢の兄なんです!」
 そう言って、翠葉ちゃんは満面の笑みを見せた。
 あぁ、私もそう言えたら良かった。
 自慢の兄で、世界で一番好きな人なの、と――


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Update:2021/06/30

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