menu

Riruha* Library

光のもとでU+

迷路の出口

Side 藤宮雅 02話

 霞がかっていた視界がしだいにはっきりとしだし、目に映るものの輪郭が一本の線になると、私は辺りを見回した。
 飾り気のないこの部屋は、幼少期の一時を過ごしたアパートだ。
 そう――ちょうど三歳半ばから、四歳の始めごろまで。
 ダイニングの片隅には半畳ほどの玄関があり、シューズクローゼットではなく壁面に作りつけられた棚に、華奢で煌びやかな靴が何足も並んでいた。
 ダイニングには部屋の広さに見合わない大きめの冷蔵庫と、部屋の雰囲気にそぐわないクラシカルなキッチンボードがひとつ。
 キッチンボードには電子レンジと炊飯器らしきものが置かれているけれど、私の身長では「そのように見える」というだけで、ほかに何が置かれているのかまでは見ることができない。
 わかることと言えば、ダイニングテーブルも椅子もない、ガランとしたスペース。それがこの家のダイニングだった。
 ダイニングに面しているのは六畳ほどのリビング。
 折りたたみ式のローテーブルと、少し大き目の座椅子がひとつ。ほかには、大きさの異なるクッションがいくつか。
 北側の壁面にはテレビが掛けられていたけれど、そのテレビがついていた記憶はほとんどない。
 リビングの窓から見える外は、黒いシートの上に細かな砂利が敷き詰められていて、突き当たりには灰色のブロック塀が聳えていた。その光景から察するに、部屋は一階だったのだろう。
 リビングの右隣にもう一部屋あって、その部屋は寝室として使われていた。
 どの部屋も、窓からの採光が望めない薄暗い部屋で、湿気がひどかったのか、窓際の白い壁はところどころに黒い染みが広がっていた。
 幼い私には、黒い染みが薄笑いを浮かべた人の顔に見え、気味が悪くて、それが見えないダイニングの片隅にいることが多かった。
 暑い日はダイニングとリビングを仕切るガラス戸が冷たくて気持ちよく、寒い日は冷蔵庫近くがあたたかかった。
 その温度を思い出すように冷蔵庫へ手を伸ばし、馴染みある振動と温度を手のひらに感じると、私はゆっくり部屋を振り返った。
 倒れたゴミ箱、中途半端に潰された缶、飲みかけのペットボトル、脱ぎ捨てられた洋服――
 何度となく退行催眠を繰り返すことで、曖昧だった記憶は鮮明になり、実際目にしているかのように光景が思い浮かぶ。
 そこはいつだって雑然としていて、部屋のあちこちにゴミ袋があり、洋服がそこら中に山積していた。

 この家には、私とひとりの大人が住んでいた。
 その大人が「親」であることや「母」であることも、幼い私はきちんと理解していた。もっと言うなら、自分がその人から産まれ、その関係性を「親子」と言うことも知識としては知っていた。けれど、一般的に言われる「親子」として接してこなかったため、私は「親子」の意味や本来あるべき姿を知らずに育った。
 母は外が暗くなるころに家を出て行き、明け方に帰ってくる。
 部屋を出て行くときにはいい香りがしたのに、帰ってくるときにはなんとも言えない不快な臭いを漂わせていた。
 私は、いい匂いは時間が経つと臭くなるのだと思っていたけれど、いい匂いと感じたそれは香水で、不快に感じた臭いは香水やアルコール、タバコの臭いが混ざったものだったのだろう。
 私は毎朝、母が帰ってくる音で目覚めていた。
 母はコツコツとハイヒールの音を立てて帰宅し、玄関ドアを開けると靴を脱ぐのもそこそこに倒れこむ。そして、「雅、水っ」と言うのがいつものことだった。
 しかし、三歳や四歳そこらの子どもが背伸びをしたところで流しの縁に手が届く程度。どうしたってその先にあるレバーに手は届かない。
 母も、私の手が届かないと知っていて口にしていたのだろう。
 何もできない私を見て舌打ちをすると、苛立ちを隠すことなく手近なものを私へ向かって投げつけた。
 重量の軽いゴミやペットボトルならさほど痛くはない。けれども、細かいビジューが表面を覆う、小さくて硬いバッグを投げつけられたときは、相応の痛みが生じた。それを投げつけられたときは決まって痣ができたし、ビジューで傷ついた肌が血で滲むこともあった。
 母は自力で水を汲むと壁に背を預け、気だるげな面持ちで私を見ながら水を飲んでいた。
 そのときの視線が忘れられない……。
 あの、人を蔑むような視線は、幼いながらに居心地の悪さを覚えたものだ。
 息をすることはおろか、そこに存在することすら認めてもらえないような、そんな感覚――
 このアパートに越してくるまでは、そんな目で見られたことはなかったと思う。
 どうしてそんな目で見られるのかが私には理解ができず、えも言われぬ不安に萎縮する日々だった。
 この人を怒らせてはいけない。この人を怒らせたら良くないことが起きる――
 何を知らずともそれだけはわかっていて、私は極力口を開かず、キッチンの片隅に佇んでいた。

 酔って帰ってきた母はよく言っていた。
「こんなはずじゃなかった。本妻になっていたら、こんな惨めな思いはしなかった」と。
 当時は何を言われているのかよくわからなかった。それでも母の口調や視線から、自分が責められているのはわかったし、今ならその言葉が何を指していたのか、何を意味していたのかもわかる。
 かつて母は、上流階級の人間のみを相手とする高級風俗店の娼婦だったのだ。
 店で一、二を争うほどの指名率だったというのだから、そこそこ稼いでいたのだろう。そして、そこで出逢ったのが藤宮朔――私の父だ。
 父は藤宮グループの本家筋の人間で、三十を目前に身を固めていたが正妻との関係はうまくいっておらず、子もなく、風俗へ通っては母を指名していたという。
 保守的な父が繰り返し利用するほどその店を、または母のことを信用していたのだろう。けれど母は、その信用を地に落とす禁忌を犯した。
 母は意図して父の子を身篭り、父や店に知らせることなく妊娠を継続し、出産したのだ。
 そうして産まれたのが私……。
 母がこんなことをするほど父を恋慕っていたのかと問われたら、そういうわけではない。母はただ、地位ある男の妻の座に収まりたかっただけだった。
 曲がりなりにも売れっ子娼婦だったのだから、もっと無難な相手を選ぶことだってできただろう。たとえば、結婚するにあたり「正妻」などという障害のない独身の人間だとか、正妻に先立たれた人間だとか――けれど母が選んだのは、正妻が健在の父だった。
 なぜそんなハイリスクな人間を選んだのか、私にはわからない。不倫の末に本妻の座へ収まるなど、一筋縄でいかないことは目に見えて明らかなのに。
 もっと言うなら、父にとって母は性欲の捌け口でしかなく、愛人や不倫相手ですらなかった。
 それに一般的に考えて、格式ある家に元娼婦が迎え入れられる可能性など、どう都合よく考えても低い。
 母には何か切り札になるようなものがあったのだろうか。
 少し考えて思い当たるのは「私」という存在だけれど、「私」が切り札になることはない。
「藤宮」が後継者問題を抱えていれば話は違ったかもしれないけれど、藤宮グループの次期総帥はすでに決まっていたし、次々期総帥まで決まっていた。私が産まれたところで何が変わることもない。このくらいの情報は、一族の人間でなくても容易に知ることができたはず。では母は、何を考えて私を産んだのか――
 世間体をひどく気にする父は、風俗嬢と関係していることだって表沙汰とならないよう細心の注意を払っていたはずだし、そんな人間が婚外子を認めるわけがない。
 もし母が妊娠したことを父が知ったなら、間違いなく中絶させられただろう。
 何度か会えば、父がどういう人間であるかはわかりそうなものなのに――
 あぁ、わかっていたから誰にも何も告げずに店を辞め、それまで住んでいたマンションを引き払ったのか……。
 とはいえ、最初からこんな安アパートに住んでいたわけではない。
 職業柄、複数のパトロンがいた母は金銭に困る人間ではなかった。ただ、それまでの生活レベルを維持したまま暮らし続けるのには限度があったのだ。
 妊娠してから身を隠すように引っ越したマンションは、それなりにセキュリティーの整ったマンションだった。
 私に与えられた部屋に窓こそなかったけれど、子ども部屋らしい内装だった。
 部屋の突き当たりには柵付の子ども用ベッドが置かれていて、ベッドには小さい子どもが喜びそうなぬいぐるみが数え切れないほど並べられていた。
 部屋の壁は白く飾り気のないものだったけれど、床には淡い色味のタイルカーペットが敷き詰められており、パステル調にまとめられた部屋は心が落ち着く優しい色で溢れていた。
 部屋の右側にはカラーボックスが五つ並び、図鑑や絵本、積み木や洋服などがきれいに収納されていたし、カラーボックスの上のスペースには大きめのテレビが掛けられていて、私が起きている時間は幼児向けの教育テレビや音楽が聴けるようになっていた。
 左側の壁にはひらがなやカタカナ、アルファベットや数字が大きめに表記されたものが貼られていて、私はそれらを見ながら音読の練習をさせられたり、文字を書く練習をさせられていた。
 これだけを聞くとごく普通に育てられ、躾られてきたように思うかもしれない。でも、実際は違う。
 私を産んだその人は、私の世話を一切しなかった。
 母は出産が済むとふたりのベビーシッターを雇い、私の世話や育児の一切を他人に任せたのだ。さらには何を警戒していたのか、一定期間が過ぎると違うベビーシッターを雇う徹底振りだった。
 私の世話を人に任せている間、母が何をしていたのかは知らないけれど、母は一日一度子ども部屋を訪れ、自分が「母親」であることを執拗に刷り込んでは、カラーカードや様々なイラストが描かれたカードを私に見せ、「これは?」と学習の進行状況を確認するのみ。
 母は父と結婚することを諦めていないどころか、私を藤宮学園の幼稚部へ入れようとしていて、そのためにかかる教育費の一切を渋ることはなかった。

 そんな環境で暮らしたのは三年半ほど。
 仕事を辞めた母の財力は、四年強で底を尽きた。
 やがてベビーシッターは来なくなり、それまで住んでいたマンションを引き払ってセキュリティーも何もない、このアパートへ越してきた。
 ふたりで暮らすようになってから、母と顔を合わせる回数は格段に増えたものの、私の生活環境は悪化の一途を辿った。
 ベビーシッターがいたころは、三食のほかにおやつも食べさせてもらっていたけれど、ふたりで暮らすようになってからは一日二食がいいところ。水分においては、あらかじめバケツに汲まれた水を飲むよう指示されていた。
 衛生面を考えれば問題しかないわけだけど、それでもないよりはいい。
 そう……ベビーシッターを雇えなくなったからといって、母が私の面倒を見ることはなかったのだ。
 そしてアパートへ越してきてからというもの、母は私を邪険に扱い始め、それまで惜しむことなく力を注いできた教育の一切を放棄した。
「あんたがいなければもっと楽に生きられたし、こんなことにだってなってなかった」。
 当時は言われていることの意味などわからなかった。ただ、意味がわかったところで何を言えるでもない。
 私の誕生を望んだのは、ほかの誰でもない母だったはずなのに……。
 出産が済んだ母は父に連絡を取り、子ども共々藤宮へ迎え入れられるつもりでいたという。しかし実際は、父の秘書に門前払いされ、取り合ってはもらえなかったらしい。さらにはかつていた業界で、客の子を身篭り出産したという噂が広まってしまい、母を雇う店はなかったと言う。店のランクを問わなければ働き口はあったかもしれない。でも、一時でも高級風俗店の「蝶姫」と呼ばれた母には捨てられないプライドがあったらしく、結局は一介のホステスとして働くことを選んだのだ。


 ↓↓↓楽しんでいただけましたらポチっとお願いします↓↓↓


 ネット小説ランキング   恋愛遊牧民R+      


ネット小説の人気投票です。投票していただけると励みになります。


↓ コメント書けます ↓

光のもとでU+ 迷路の出口

Update:2020/12/25

Home  もくじ  Back  Next

Menu

© 2009 Riruha* Library.
designed by FOOL LOVERS.
top