迷路の出口
Side 藤宮雅 12話
お風呂から上がり基礎化粧品で肌を整えると、スキンケア用のパウダーで肌のてかりを押さえる。ドレッサーの鏡に映る自分を見ては視線を外し、再度鏡に視線を戻した。
すっぴんというわけではない。けれども、メイクをせずに同僚や友人に会うのは初めてのことだし、普段はメイクで武装している部分もあって、パウダーでてかりを押さえた程度ではなんとも心許ない。
お風呂のあとはカードゲームをしようと話していたからには、みんなリビングへ集まっているだろう。
妙な緊張感に部屋を出られずにいると、コンコンコン――
静かな部屋にノック音が響き、心の底から驚いた。
あまりにも驚きすぎて、心臓がバクバクと鳴りだす。
返答できずにドアを見つめていると、
「蔵元です。雅さん、起きていらっしゃいますか?」
く、蔵元さんっ!? えっ!? どうしてっ!?
迎えに来られてしまうほど、時間が経過していただろうか。
咄嗟に時計に目をやったけれど、「雅さん?」という言葉に意識がドアへと戻る。
返答をしないわけにはいかないし、ドア越しに会話をするのも失礼だ。
ドクドクと駆け足をしたままの心臓を右手で押さえ、ドアをそっと開ける。と、Tシャツにアンクルパンツというラフな格好の蔵元さんが立っていた。
視線を上げると、普段は整髪料で立ち上がっている前髪が、ふわりと軽やかに額へかかっている。
いつものきりっとしたイメージより若干柔らかく、なんだかかわいい……。
「もしかして寝てました?」
「い、いえっ! 寝ては……いないんですけど……」
「……けど?」
「……メイクもせずに人とお会いするのは初めてなので、少し、二の足を踏んでいたと申しますか……」
恥ずかしくなって俯くと、す、と顎に指を添えられ掬われた。
強制的に蔵元さんの顔を見上げる形となり、切れ長な目に真っ直ぐ見下ろされてうろたえる。
素顔を晒すことに抵抗を感じたのはつい数分前の話。今は、恥ずかしくて死んでしまいそうだ。
医学的にそんなことはないと知っていても、人は恥ずかしさで死ねると思う。
長い指が顎に添えられたまま、顔を背けることもできずにいると、
「わかりませんね……。こんなに肌理細やかな肌なのに、何をそんなに恥ずかしく思うことがあるんです?」
真顔で訊かれて困ってしまう。でも、蔵元さんは全然気にしているふうではなく、
「すでに身支度が整っているのでしたら、早くリビングへいらしてください。今まで、ババ抜きとポーカー、神経衰弱としてきたのですが、ババ抜き以外は秋斗様のひとり勝ちで、正直面白くありません。なので、雅さんにも少々ご活躍いただきませんと」
「はぁ……。でも、私が加わったところで秋斗さんに勝てるかどうかは……」
蔵元さんは右側の口角を上げると、
「一対五なら少しは勝算がありそうでしょう?」
言われて、部屋を出るよう促された。
「全力で秋斗さんを負かしに行くんですか?」
「当たり前じゃないですか。あの人のひとり勝ちほど面白くないものはないでしょう?」
淡々と口にする蔵元さんがおかしくて、気づけば私は笑っていた。
今日、蔵元さんと一緒にいて何度笑っただろう。
そんなことを思いながら、いつもより少し若く見える蔵元さんをそっと見上げた。
リビングでは、秋斗さんと唯くんがふたりでカードゲームをしていた。
「あれ? 簾条さんと蒼樹くんは?」
「ロフトで天体観測ーっ! 邪魔しないであげて!」
言いながら、唯くんはすごいスピードでカードを重ねていく。
「くっそ、手札ないしっ!」
焦れているのは秋斗さん。蔵元さんの話によると、ふたりはトランプを使った「スピード」というカードゲームをしているらしい。
一通りゲームを見ていると、ルールがなんとなくわかってくる。
「よしっ! 逆転勝利っ!」
結局、勝ったのは秋斗さんだった。
「雅さん、今のゲームでルールは把握できましたか?」
「だいたいは……」
「では――」
「ちょっと待ってくださいっ! 次は蔵元さんでっ! ルールの確認に、もう一回戦くらいは見学させてくださいっ」
そんなやり取りの末、もう一回戦観戦することができたわけだけど、蔵元さんが敗退したあとに秋斗さんと対戦するも、私が勝てるわけがなかった。
「これ、反射神経によるところが非常に大きいですよね……」
私が零すと、
「間違いなくありますね……」
答えながら蔵元さんが唸る。
「俺は結構いい線いってたと思うんだけどなー」
唯くんが頭を掻き毟ると、
「七並べっ! ここはオーソドックスに七並べをしましょう!」
蔵元さんの提案に、私は力強く頷いた。
七並べならば反射神経は関係ないし、神経衰弱のような記憶力も必要ない。
「打倒秋斗さん!」でゲームが始まると、配られたカードに「8」と「6」の数字が目立つ。さらにはエースや「2」、クイーン、キングはなく、ジョーカーとジャックが一枚ずつ。
出せるタイミングが一番遅いのはジャックだけど、「9」までカードが出ていれば、ジョーカーを使ってジャックを出すことができる。そして、私がジョーカーを持っている限り、ほかの人がジョーカーを使うことはできないのだ。
私はにんまりと笑う。
「ちょっと待って……。雅、なんかいいカード回ってきたでしょ?」
秋斗さんが大仰に後ずさって見せる。
「ふふふ、負ける気がいたしません」
結果、私はできる限り「6」と「8」のカードを留め置き、皆がパスを連発する中ジョーカーを使ってジャックを放出すると、最後の最後で留め置いていた「6」を出して一番に上がった。
「雅さん、カードの引き良すぎっ!」
「本当に……。鮮やか過ぎる勝利でしたね」
言いながらも蔵元さんが次に上がり、秋斗さんと唯さんの闘いは、最後は唯さんにジョーカーを押し付けられる形で秋斗さんが負ける結果となった。
「これで秋斗さんに一勝ですね!」
「第一、三人で負かしにくるあたりが卑怯じゃない?」
「「「なんとでも?」」」
「ったく大人気ないよなぁ……」
「誰がだよっ!」
「誰がですかっ!」
唯くんと蔵元さんが声を揃え、私は我慢できずに声を立てて笑う。
「トランプって、ほかにどんなゲームがありましたっけ?」
私が訊ねると、
「秋斗様の優秀な頭脳を使わせない系ですと――『ダウト』とかですかね?」
「あー、カードを伏せて出してって、口にした数字と違うカードを出したことを悟られないようにするゲームだっけ?」
唯くんの杜撰な説明に各自が頷く。
「じゃ、ポーカーフェイス合戦とまいりましょうか」
蔵元さんの号令で秋斗さんがカードを配り始め、無邪気にも騙しあいゲームが始まった。
途中からお酒を飲みながらのゲームになり、雑談へ移行し始めたところへ蒼樹さんたちが戻ってきた。
「うわ、酒飲んでるし……」
「俺はソフトドリンクだし、みんな嗜む程度にしか飲んでないよ」
唯くんの説明に、蒼樹さんは桃華さんを振り返る。
年の割に落ち着いた印象の桃華さんだけど、今の桃華さんはどこか翳りがある。
今まで蒼樹さんとふたりきりだったのに、どうしたのかしら……。
注意深く観察していると、少し目が充血しているように見えた。
「桃華も何か飲む?」
「……自分でやります」
蒼樹さんの問いかけにそっけなく答えると、桃華さんはひとりキッチンへ向かって歩き出す。
「ちょっとあんちゃん、何したのさ。桃華っち、機嫌悪くない?」
「いやぁ……ちょっとね」
これは何かあったのだろうか。
「何、手でも出して拒否られた?」
唯くんの冷やかしに、
「やぁ……その逆かな」
そう言うと、蒼樹さんは苦笑しながら桃華さんの後を追った。
「蒼樹のところも色んな意味で苦労してそうだな」
そんな秋斗さんの言葉を疑問に思いつつ、私はグラスを傾けワインで喉を潤す。
「そういえば、今年人員増やしたみたいですけど、まだ雑用が追いついてないって話を蒼樹さんからおうかがいしました。秋斗さん、今はこれ以上人を増やすつもりないんですか?」
「あぁ、その件ね……。開発のほうに重きを置いて人を採用しちゃったから、事務とか雑用をこなす人間が足りてないんだ」
その説明になるほど、と思う。
「正社員で雇うのが難しいのであれば、アルバイトやパートを入れたらいかがですか?」
「そうなんだよねぇ……。ただ、蒼樹がなんとかカバーできちゃうくらいの仕事量なんだ。雇用条件としてはパートかアルバイトが妥当なんだけど、週に一日二日で一日三、四時間勤務だと、まとまった収入にはならないじゃん? そんな条件で募集をかけてたところで人が来るものかな、と」
すると唯くんが、
「それなら桃華っちにお願いすれば?」
「私がなんですか?」
飲み物を片手に戻ってきた桃華さんが話しに加わる。
「桃華っち、うちでバイトする気ない?」
「バイト、ですか……?」
「そっ! 週に一、二回で、一日三時間から四時間程度なんだけど」
「秋斗先生、仕事内容は?」
「現況、うちは客が来るような職場じゃないから、資料整理が主かな。ただ、来年になったらもう少し仕事量が増えるかもしれない。簾条さんが大学に入ってからも続けてくれるなら、自給一五〇〇円出すけどどう? あわよくば、大学卒業後にうちに就職ってオプションをつけてもいいんだけど。なんならご両親には俺から連絡入れてもいいよ?」
盛りに盛られた条件に、桃華さんは「ぜひっ!」と快諾した。
「ただ、紅葉祭が終わるまではちょっと難しいかもれません……」
「あー、桃華っちは生徒会長だもんね」
「そっかそっか……。ま、そんな切羽詰ってるわけじゃないから、大学の推薦入試が終わったあたりからならどうだろう?」
「それなら喜んで!」
「じゃ、十一月から雇用ということで……」
そんな会話をしていると蔵元さんが、
「簾条さんは何学部を受けるんです? 確か、そのまま藤宮へ進まれるんですよね?」
「はい。興味があるのは政治経済だったのですが……。そうですね、いずれFメディカルで雇っていただけるのでしたら、語学に力を入れたほうがいい気がしますし――文学部や外国語学部、といった選択もありでしょうか? うちの大学の外国語学部であればビジネス用語も学べますし、翻訳や通訳といった分野にも精通していたはずです。それから、その国の社会や経済のあり方あたりまで網羅していたかと思うので……」
「え……桃華っち、文系ならなんでもござれ状態?」
「そうですね。理系よりは文系です。とはいえ、翠葉や藤宮司ほど優秀なわけではありませんが」
「まあ、司っちは秋斗さんと同じでちょっと変態の域だから、比べる対象にしなくていいと思うよ。たださ、うちの会社を基軸に考えちゃっていいの?」
「もちろんです。会得しておいたほうがいい外国語があればおっしゃってください。しっかり履修してきますから」
「ちょっと秋斗さんっ!? ここまで言ってくれてるんだから、マジでちゃんと雇用してあげてよっ!? 蔵元さんもっ!」
「それはもちろん。これから四年かけてうちの会社でバイトしてもらうんだ。就職するころにはそこらの社員よりよっぽど使える人材になってるよ。そんな人間をみすみす放り出すわけがない」
秋斗さんの言葉に蔵元さんも同意する。
話が一段落ついたころには、桃華さんの機嫌はすっかり直ってしまっていた。
蒼樹さんと、それほど深刻な言い合いをしたわけではないのかもしれない。
そんなことを考えていると、
「いえーいっ! 桃華っちの入社、ほぼほぼ決定ーーー! ってことでぇ? かんぱーいっ!」
唯くんの軽薄な音頭に、皆が各々のグラスを軽く掲げた。
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光のもとでU+ 迷路の出口
Update:2021/01/04