ぬくもり 02 − Side 御園生翠葉 −


「寝るんじゃないの?」
 視線を感じたかのか、それとも、私が寝室に行かないからか、ツカサに訊かれる。
「うん。寝る、よ?」
「……何」
「……ツカサは読書? 調べもの? それともお勉強?」
 休みの日でもツカサが何もしないでいる時間はない。私が寝ている間は本を読んでいるか、調べものか勉強をしている。
 こういうの、わかってて訊いちゃうのって何かな。
 考えながら、自分の発した言葉の重複ぶりに呆れる。読書も調べものも、どれをとっても“お勉強”なのだ。
「調べものする予定だけど……」
 何、と訊く視線には答えない。ただ、頑張ってね、と伝えるだけ。
 自分でもなんだかわからない会話をしてるな、と思いつつリビングを後にした。

 私たちは普段蒼兄が使っている部屋を寝室代わりにし、もともと私が使っていた玄関脇の部屋を司が書斎にしている。
 廊下の先を見やり、寝室に足を向けようとしたとき、
「翠」
 ツカサに呼びかけられ、後ろから腕を掴まれた。
「え……?」
 手を引かれ、廊下を玄関近くまで進むと、今は書斎となっている部屋に入り、体を引き寄せられる。
「ひとりにしないでって言われた気がしたけど?」
 覗き込むように顔を見られ、何もかも見透かされた気がして頬が熱を持つ。
「ベッドならここにもある。そのかわり、タイピングの音がうるさいとか文句は受け付けない」
「邪魔にならない?」
「寝てる人間がどうやって邪魔するのか教えてくれないか? 今のところ、翠のいびきや歯軋りは聞いたことないけど?」
「…………」
 促されるままにベッドに上がり、横になった。

 ツカサはベッドの足元にある机を使うのかと思ったら、ローテーブルを使っていた。
 それを見ていると、
「ここのデスクは十階のものと比べると小さすぎる。資料を広げるなら床が使えるこっちのほうが便利」
 簡潔な答えに、なるほど、と思う。
 相変わらず、口にせずとも表情だけで思ってること推測される。でも、それにいちいち答えてくれることが嬉しくて、少し頬が緩んだ。
 十分ほど経過すると、やっぱりうるさい、と顔を上げて言われる。
「え、あ、ごめんっ」
 つい勢いで謝ってしまったけど、考えてみたら「うるさい」と言われるようなことは何もしていない。
 物音といえば、羽毛布団がカサリと音をたてるくらいで、ほかには――息、だろうか?
 ツカサは立ち上がりベッドまで来ると、そっち、と私を壁際に寄せて自分も横になる。
 驚くばかりの私をそっと抱き寄せるも、
「さすがに臨月だと前からは抱きしめづらい」
 文句と同時に体を反転させられ、壁側に向きを変えられた。すると、ふわり、と後ろから抱きしめてくれる。
 ツカサの手はお腹に添えられた。
「妊婦体温」
 ボソリと言われた言葉。
 それはつまり、あたたかい、と言いたいのか、熱い、と言いたいのか……。
「――あ、動いた」
 耳元で響く低い声に、心臓がぴょん、と跳ねる。
「ぴ、ピアノ弾いてる時が一番元気だよっ」
 ずっと一緒にいるのに、結婚もして夫婦なのに、あと少しで赤ちゃんも生まれるのに――。
 ちょっとしたことでドキっとしてしまう。動揺して、早口になったり、どもったり……。
 そんな自分が恥ずかしくて仕方がない。
「じゃ、後で体験させて」
「……ピアノ?」
「そのお腹でハープはきついだろ?」
「うん」
 確かに、お腹が大きくなってからはハープを抱えるのは困難で、最近はピアノしか弾いていなかった。

 なんだか目に見えてツカサが優しい。こんなふうに優しくされるとつい甘えたくなる。
「ツカサ……もう少しだけ。もう少しだけこのままでいてくれる? ちゃんと壁側向いて寝るから、だからここにいてもいい?」
 ツカサは喉の奥をくっ、と鳴らす。
「別にかまわない」
「あとね、もう少しだけ……ぎゅって、抱きしめてほしい」
「――珍しく注文が多い」
 そうは言うけど、要望にはきちんと応えてくれた。
「今日だけ……。今日だけ、少し甘えさせて?」
「それ、いつもは甘えられないって言われてる気がするんだけど……」
「そんなことないよ? ――ないんだけど、ね。今日は、なんだか甘えやすいの」
「何それ……」
「わかんない」
 私は思わず、ふふ、と笑う。
「毎日会ってるし、いつも一緒に寝てるけど……なんだろうね? もっと近くにいたい感じ。今日は少し変みたい」
「……マタニティブルー?」
「そうかも」
「ストレス感じてることがあるなら言って。聞くから」
「……ストレスはないと思う。ただ一緒にいたいだけ」
「何、その殺し文句」
「今のが……?」
「ほかに何が?」
「……何があるかな?」
 後ろから、包み込むように抱きしめられて、耳元には大好きな声が心地よく響く。
 そんな状況にいたら、私はいつしか眠りに落ちていた。

 三時になると自然と目が覚めるのもいつものこと。
 目を開けると、私の目は壁ではなくツカサを捉えた。どうやら寝返りを打って、部屋の方を向いてしまったらしい。
 ローテーブルで調べものをしていたツカサが顔を上げ、
「よく寝てた」
「うん。ごめん、こっち向いちゃってた」
 答えると、ツカサがクスリと笑った。
「寝てるときまで自分を制御できる人間はそうそういない」
 体を起こすのを手伝ってくれたツカサに、「何か飲む?」と訊かれたけど断った。
「自分でやる。ツカサはコーヒー?」
「いや、翠と同じでいい」
「じゃぁ、ホーミーベリーでもいい? なんか甘酸っぱいものが飲みたくて」
 ホーミーベリーは私の大好きなカレルチャペック紅茶店のお茶。
 ハイビスカス、アップルビッツ、パパイヤビッツ、パイナップルビッツ、サワーチェリー、グレープ、ローズヒップ、ラズベリーと、たくさんのドライフルーツが入ったフルーツティー。もちろんカフェインレス。
 妊娠してからはフルーティールイボスとこれをメインに飲んでいた。
 ツカサの了承を得ると、私はキッチンでお茶の用意を始める。
 お茶をカップに注ぐとツカサがキッチンに顔を出した。
「それ、淹れるとすぐわかる」
「そうだね。コーヒーには負けるけど、フルーツの芳香浴ができそうなくらいいい香り」
 キッチンは、すでに甘酸っぱいフルーツの香りで満ちている。
 猫舌な私は、自分のカップに氷を二つ入れてキッチンを出た。

 ダイニングに移動すると、
「飲んだら何弾いてくれるの?」
 ツカサが指差したものは間宮さんのピアノ、スタインウェイ。
「何か聴きたい曲ある? リクエストは?」
「とくにない。翠が弾きたいもの」
「うーん、そう言われるのが一番困るけど――わかった、決めた」
 私は飲みかけのカップをテーブルに置き、ピアノのもとに向う。
 蓋を開け、キーカバーを軽く折りたたむと椅子に座り、何度か前後に位置を調整した。
 鍵盤に手を乗せ、すっ、と息を吸う。吐き出すと同時に鍵盤を深く、優しく丁寧に沈める。
 選んだ曲はパッフェルベルのカノン。
 同じコード進行を繰り返し、好きにアレンジを加えていつまでも弾いていられるような――そんな曲。
 ここで終わりにしよう、そう思わないと終われない。

 弾き始めて間もなく、お腹に手が添えられた。ほかの誰でもないツカサの手。
 背中にコツンとあたったものがあって、何かな? と肩越しに振り返ると、ツカサの頭だった。
 ツカサは床に膝をつき、私のお腹に腕を回していたのだ。そんな体勢でお腹に触れてるとは思ってなかったからびっくりしたけど、優しく抱きしめられてる感じがとても嬉しくて、私は弾くことをやめられない。
 五分ちょっと経った頃、
「これ……長い曲?」
「ううん。なんだかもったいなくて……終わるに終われないの」
 弾きながら答えると、
「胎動は十分感じられたから」
 そろそろ終わりにしろ、と言いたいのだろう。
「うん、これで終わりにするね」
 私は弾き足りないのか、名残惜しいのか、どちらかわかりかねるまま曲にピリオドを打った。
 残響音も完全に消えると、新たなる音がはじける。
 パンパンパンパン、と手を叩く音が聞こえてきた。
 音の発生地。階段に視線を向けると、にまにまと笑った湊先生が手すりに体を預け立っていた。
「……なんで姉さんがいるんだよ」
「ん? ピアノの音が聞こえてきたから生で聞こうと思って。あぁ、今の拍手は翠葉の演奏への賞賛と、今までお目にかかれなかったあんたの行動に感嘆する表現。つまり弟の成長っぷりに歓喜してたのよ」
「俺への感嘆、歓喜は遠慮願う」
「相変わらずかわいくないわね。少しは翠葉を見習ってかわいくなったらどうなの?」
「断る」
「ハイハイ、邪魔者は馬に蹴られる前に退散するわ」
「俺が馬じゃなくて良かったな。馬だったら何を言われる前に蹴ってる」
「ほんっと、かわいくないんだから」
 湊先生はくつくつと笑い、愉快そうな面持ちで階段を上がっていった。
「っていうか、来るな……」
 そうは言うけど、湊先生の「かわいくない」は、「かわいい」と同義語だと思うの。
 それは口にせず、
「普段、ピアノ弾いてたら知らないうちに誰かが来てるのはいつものことだよ?」
「なんで……」
「この部屋、完全防音になってはいるけど、真上の静さんの家には聞こえるでしょう? そうするとね、湊先生が栞さんや美波さんに声をかけてお茶しに来るの」
「………………」
 ピアノを弾いてるときは起きてるとき。そんな指針にもなっているようで、ピアノを弾いているときは私以外の人がこの家にいることは珍しくない。
 今日はツカサがいるとわかっているからみんな来ないだけで、それをわかっていて来れるのは湊先生や静さん、秋斗さんくらいじゃないかな?
 完全に私から離れ、立ち上がったツカサを見て気付く。
 あぁ……名残惜しかったんだ。曲が終わったらツカサが離れちゃうことが。だから、演奏をやめられなかったんだ。
 わかったところで、曲はもう終わってしまっている。
「何……」
 涼やかな目が私を見下ろす。
「…………」
 自分が何を欲しているのかはわかっていても、言葉にするのはハードルが高い。さっきはどうして言えたんだろう?
 ふと悩み、思い当たる。
 顔さえ見えなければ、その目に見つめられさえしなければ言えるのに――。
「……手」
「て?」
「そう、手……」
 私はツカサの手を指差す。
「手、貸して?」
 言うと、不思議そうに首を傾げながら、無造作に手を差し出してくれた。
 私はその手に自分の手を重ね、安堵する。
 本当に、ただ触れていたいだけなのだ。一緒にいるだけじゃなくて、くっついてたい……。
 ツカサの体温を感じていたい――それだけ。
「――わかった。読書に切り替える。翠、読むものは?」
「ダイニングに栞さんが持ってきてくれた雑誌がある……」
「じゃ、俺は部屋から本持ってくるから座ってて」
 私はコクリと頷いた。

 ツカサは書斎へ、私は冷めたお茶を飲み干し、新しいお茶を淹れにキッチンへ向う。
 お茶を淹れてダイニングに戻ってくると、すでにツカサはソファーに座っていた。
 わかってくれている――そうは思っても、どうしたことかツカサの隣に行きづらい。
 カップを持ったまま佇んでいると、ツカサが立ち上がりカップを奪われた。
 奪われたカップはすぐテーブルに置かれ、私は手を引かれてソファーに座らされる。
 座る、というよりは、ソファーに上がりこむ、が正しい。
 ラグに座るときと同じ要領でソファーに座った私の隣にツカサが腰を下ろす。
 ツカサは何事もなかったように読書を再開し、私は勇気をふりしぼってツカサの右腕にくっついた。
「……雑誌は?」
「テーブルの下」
「読むんじゃないの?」
「読む、けど……」
 私はローテーブルの下に置いてある雑誌にちらりと目をやる。
 雑誌はひとりのときでも読める。ツカサはいるときじゃないとくっつけない……。
「けど?」
「今はいい」
「……俺、なんか求められてる?」
「とくには何も? でも……強いて言うなら体温、かな」
「…………今日、寒いか?」
「ううん、寒くない」
「じゃぁ、なんで……」
「秘密」
 体温は体温でも、今、私が欲しいのは“ぬくもり”みたい。

 大好きな人の、ツカサのぬくもり――。


END

2012/05/10(改稿:2012/10/16)


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* あとがき *

 抱っこされたまま楽器を弾く……ということがどうしてもできなくて、こんなカタチでしたがお楽しみ
いただけたでしょうか?
 恥ずかしがる翠葉さんは書き慣れてるのですが、甘える翠葉さんというのは珍しくて、書いていて
なんだかとても新鮮でした(←リクエストに入ってないけども)
 でも、せっかく翠葉さんが甘えん坊モードだというのに、司氏はしっかりと感知してない模様で……(笑)
 きちんと理解してなくても、行動や言動がそれなりに噛み合うのがこのふたりなのかなぁ? と思ったり。

 最後までお付き合いくださり、ありがとうございましたm(_ _"m)ペコリ


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